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インド人とマウンティング

あなたはインドで水が買えるだろうか。本日のお題です。

売店で水を買う。そんな実になんでもないことが普通にできない。インドを知る人なら「ああ」とピンとくる事象かと思います。

1) 客がほかにおらず
2) 店員がスマホで動画に夢中でなく
3)商品の在庫があり
4)あなたが小額紙幣を持っている、または
5)店に充分な釣り銭があれば

それほど苦労せずに買えます。実際なんの問題もないことも多いです。

かと思えば、ときと場合と場所によっては、客は入り乱れ、店員はおしゃべりか動画に夢中で、ほしいサイズのペットボトルは品切れで、あなたは少額紙幣を持っておらず店には釣り銭がない。

そんなことも日常茶飯事なのがインドでして。

生水を飲むわけにはいかないあなたは、どうにかして水をゲットしないといけません。さてどうしたらよいでしょう。

私が企画・添乗している「はじめての王国ツアー」で、世界最大の映画村「ラモジ・フィルム・シティ」を訪れたときのことです。混雑した売店でマンゴージュースを手に入れるのに、お客様たちは5分以上かかっていました。

カウンターの奥に商品があり店員にお金を渡し商品を取ってもらう形態の店で、列など作らず群がる人々に揉まれながら途方に暮れているお客様の姿がありました(私が入ろうにも入れる状況でなく、ちょっと遠巻きに眺めていて、その節はゴメンナサイ)。

野ざらしの炎天下の気温は40度超え。この5分は永遠とも思えるほど長い長い時間です。すぐそこの冷蔵庫にマンゴージュースが陳列されていて、お釣りも不要なクーポンとの引き換えなのに、なぜジュースが手に入らないのか。

ずばりいいますと、ナメられているからです。店員からも、ほかの客からも。

身分制度と階級社会

いいか悪いかはここではさておき、インドは階級社会です。

カースト制度という言葉を聞いたことがあると思います。専門外なので解説は端折りますが、カースト制度はインド人口のマジョリティを占めるヒンドゥー教徒の身分制度だということがまず大前提にあります。

カーストの序列は現代ではねじれ構造になっていることも多く、最高位の知識層であるブラフマン(僧侶)階級の人よりも、ビジネスを幅広く展開しているヴァイシャ(商人)階級の人のほうが生活レベルが高い、なんていうのはよくある話。高カーストだからお金持ちというわけではないし、その逆もまたしかり。

ここで肝心なのが、宗教的には身分差がない建前のヒンドゥー教徒以外の人々にも、あるいは都市部の新興地区で宗教色の薄い暮らしをしている人々にも、社会の構造としての階級意識は大いにあるということ。その階級意識を決めるのは、家柄、財力、そして教育レベル。

田舎のムラ社会なら先祖代々知れ渡っているカーストや階級による序列も、雑多な人々が集まりお互いに素性が分からない都市部では探り合うしかありません。インド人のマウンティング体質はこの点が大元にあります。

なんとなくみんなが並列で、見た目だけでは貧富の差や教育レベルが分からない日本で生まれ育つと、これはなかなか肌感覚では理解しづらいし、一見しただけでは序列の構造がほとんど読めないと思います。私も細かいことはよく分かりません。

分かることといえば、序列のある社会においては、強いものが勝つという点だけ。そして、強い者はエラい、とにかくエラいのだ! というのが悠久の昔からインド人の頭に多かれ少なかれしみついている価値観で、それはときとして人としての良き行いに優先されることがあります。

たとえば、前の人が終わったら自分の番というルールがあるなら従うとか、我先に突進するのではなく弱い者に道を譲るであるとか、それが「良いこと」というのはだいたいみんな分かっているのです。

息をするようにマウンティング

水やジュースを手に入れるなんて些細な行為に勝ち負けの話を持ち出すとちょっと大げさかもしれません。でも客が殺到した場合、店員が対応するのは、まずは強い者からなのです。強い者とは、売店レベルでいうなら、声や態度や身体が大きい者、女性よりも男性、みすぼらしい者よりもパリっとした服を着た者など。

2, 3人なら待てるにしても、混雑した店だと後から後から新しい客がやってきて、そこにいるだけでは存在を認めてもらえず、冒頭のツアーのお客様のような憂き目に遭ったりします。

もうちょっと澄ました場、たとえば空港のチェックインカウンターなどでは、列に並んでひとつずつ対応するというシステムがあることはあります。でも、たとえロープが張ってあってもそんなものはガン無視で割り込みをしてくる人たちもいますし、(ここが日本人にはびっくりですが)対応する側の職員も、とくに咎めるでもなく当たり前に割り込んできた人たちの相手をします。

階級社会に生まれ育ち、常に相手が上か下かを無意識レベルで判別しながら暮らしてきた人たちにとっては、自分より強い者がいたら黙ってやりすごし、自分より弱い者がいたらすかさず自分が強いことを示す、それがごく普通の感覚で、すなわち息をするように常に周囲をマウンティングしながら生きているわけです。

そのへんをぶらぶら歩いている暇そうなお兄さんから大学教授まで、基本的にそのメンタリティは変わりません。ちょっと乱暴な言い切りかたかもしれませんが、そのように相手との優劣を判別した上で自分のとるべき言動を変えているのがインド人といえます。

並ばないインド人が並ぶ時代

インド人は列に並ばない……というのはちょっと前までは常識でした。冒頭の売店や空港での例のように、強い者から優先的に要求を通していけるというのが社会の基本なので、そこにロープがあろうが「ここから並んでちょうだいよ」のマークがあろうが、あまり意味はなかったのです。

それが変わり始めたのは……、私の主観ですが、この10年くらいのことではないかと思います。分かりやすかったのは、首都デリーにメトロが開通し、整列乗車が啓蒙されたこと。

この光景を見たときは隔世の感がありました。思わず写真を撮ってしまったくらい。

インド人が、並んでいる……! それまでだったら、このような列は存在せず、ただワーッと大量の人々が無秩序に入り乱れているのがありふれた光景でした(いまも場所によっては健在ですよ……)。

とはいえ、これで乗り降りがスムーズかというとそうでもなく、扉が開いた瞬間に我先に車内に殺到したりします。現地採用でメトロ通勤の経験がある知り合いが「あれはチキンレース」と心底疲れきった表情で言っていましたが、まあ私も同感です。さっきまで並んでいたのだからそのまま大人しく順番に乗ろうよ、そのほうが効率的だよ……。

秩序の枠組を作ったところで、いったん乱れたらあとはカオス。メトロでも売店でも空港でも同じ。DNAに染み付いた強い者優先ルールは一朝一夕には変わりません。ま、それでも変わっていっていることには違いない!

エアコンが効き文化的な設備があるメトロの主な利用層は、都会のオフィスや店舗で働く中の下ぐらいの人たち。もうちょっと上の人たちは、たとえどれだけ渋滞してメトロの何倍も時間がかかろうとも頑なに車で移動します。かたやもっと下の人たちは、メトロより料金が安い、ノンエアコンで排気ガスがもうもうと入り込み、乗るだけで修行のような市バスを利用。

もちろん例外もありますし実際の区分はもうちょっと細かいのですが、なにがいいたいかというと、移動手段ひとつとっても階級社会で、身分に応じて棲み分けているのがインドという国です、ということ。

外国人の立ち位置

全体の序列でいえば、自国を出てインドという外国に来ることができる外国人は、売店レベルでは本来ならぶっちぎりにトップです。ではなぜスルーされるかというと、外国人を外国人と見極められない層のなかにいるからです。

これが外国人馴れした都市部のしかるべき高級ホテルやレストランだったらサービス提供側も利用客側ももうちょっと見る目があるので、こういうことはあまり起きません。反対に、よそ者が目立つもっと田舎で、どこからどう見ても外国人にしか見えない場合は、みんなとてもよくしてくれます。もちろん親切心からというのもありますが、私は実はこれは外国人にいいところを見せられる自分たちの余裕が誇らしい……つまり、そうできない人たちへのマウンティングなのではないかと思っています。スレてて申し訳ないけども。

インドには、北東部に東南アジア系統の日本人に近い見た目の少数民族がいたり、かつてインドに難民としてやってきたチベット系住民や、あっさりした顔のネパール系住民もいて、全土に散らばっています。実際の財力や教育レベルとは関係ないところで、彼らはインド社会のマジョリティの序列では低いほうに見られています。服装や雰囲気によっては、日本人はぱっと見、ここにカテゴライズされやすいといえます。

ちなみに白人はどんなにみすぼらしいヒッピースタイルでも基本的には上のほう。

インド人が見た目を盛る理由

身体の大きさや肌の色(白いほうが上)のほか、服装、持ち物といった分かりやすい見た目が判断材料になるので、インド人は自分を強そうに見せるために外見を盛りに盛ります。

自分が属するコミュニティ以外の世界を知らない層であればあるほど(単刀直入にいうと田舎者ってことね)、外出時はギランギランの装飾過多な服を着ますし、偽物でもメッキでもとにかく高そうに見える時計やアクセサリーをじゃらじゃらさせています。

単なる見栄の側面もあると思いますが、根底にあるのは「外に出るときは強く見せておかないといろいろ不便だから盛っておく」だと思います。

肝心なのは先制猫パンチ

さてそんな社会で、つつがなく水をゲットするにはどうしたらよいのかというお題に戻ります。

あとから割り込んできた態度の大きな人のほうが優先されるなんて、他人を疲れさせることを嫌う日本人がもっとも疲弊することですよね。

それでも水はゲットしないといけないあなたがなにをすべきかというと、

「私は水がほしい。売れ! 釣りがないならなんとかしろ! おっとそこのオッサン私が先だ、待て!」

ということを、気合いを入れ、かつ間をおかず一気に示すことです。これを先制猫パンチと呼ぶことにします。

まずは要求を理解させる→そのための相手のアクションを促す→悪条件があればクリアさせる→邪魔してきそうな周囲を牽制する

悪条件のクリアの部分は、場合によってはこちらも協力しないといけないかもしれません。いままさに割り込もうとしているオッサンに両替できないか尋ねるとかね。この場合、目的は水をゲットすることなので、割り込みはひとまずおいておいて、利用できるものはすべて生かします。

ここで重要なのは、猫パンチは最初が肝心ということです。水が欲しいということを店員にも周囲にも一発で理解させなくては、永久にただのボーッと立っているだけの人になるからです(おそろしいことに)。

古典的な猫パンチのやり方は二種類あって、威圧するか、めんどくさい人を演じるか。

威圧の方法は、とにかく大きな声でいう、またはあまり品はよくないけどもカウンターをバン!と叩いて大きな音を出す、など物理的なもの。

めんどくさい人というのは、キーキー喚いて「早くして!」などと文句を言い続けるとか、そういうちょっとしたパフォーマンス。

いずれにしてもこの猫パンチで「アテンション・プリーズ、私のいうことを聞いて?」という流れを作るのが肝心です。

威圧はその後の「ごめんね、でも聞いてくれてありがと❤️」というフォローにコツがいるし、キーキーパフォーマンスは日本人女性がやるにはあまりに品がないし……ということで、私の大切なお客様たちにはたいへん申し訳なかったのですが、冒頭の場面では5分間耐えていただきました。

私ですか? マンゴージュースのゲットまでは1分くらい。そこまで急を要しているわけではないので、やったことは上の威圧のもうちょっとソフトなやつ。

ニュッとクーポンを突き出してとにかく店員のお兄さんをロックオンしてガン見。イラついた感じを演出するためにカウンターを指でタンタンと叩きつつ、両脇と背後から伸びてくるほかの客の手を「気」ではらう。受け取ったらおっきな声と笑顔で「サンキュー」、サッと退く。以上です。

マウンティングは必要な通過儀礼

水とジュースの例は単なる一過性のできごとですが、インドで働いたり暮らしていく上では、大なり小なり日常のすべてが勝負になり得ます。

私がいま接するインド人は主にツアーのときに関わる観光業の人たち、つまり外国人には充分に慣れていて、こちらが日本人で、それなりに財力があり、ある程度の教養があることを理解している人たちです(私は別にお金持ちでも頭がいいわけでもないけど、比較の話として)。

しかし先にも述べた通り階級意識がDNAレベルで染み付いている人たちなので、自分が属するコミュニティ外からやってきた私というエイリアンをどう扱うか、彼らは彼らなりに判断してから物事をはじめようとします。

だから初対面で「ただいま絶賛値踏みされ中だな私」ということはよくあり、そこで「よし、こいつは下」と判断されてしまうと、その後すべてが相手のペースで進むことになり、あらゆる仕事がやりづらくなります。

モノや生活レベルや彼氏や配偶者をダシにいくらマウントされたところで日本では精神衛生上の問題で、即刻仕事や生活に困るということはありませんが(よね?)、インドでインド人のマウンティングに負けると、食べたいものを食べたいように食べられず、行きたいところに行きたい方法でいけず、せっかく立てた予定はガタガタに狂い、仕事や生活の質があからさまに下がります。

まずは要求を理解させる→そのための相手のアクションを促す→悪条件があればクリアさせる→邪魔してきそうな周囲を牽制する

これは水やジュースだけではなく、インド人と接するあらゆる場面で必要になってくることなのです、実は。

それでもニュートラルに持ち込む

仕事の場合は、会った瞬間すかさず始まるインド人の値踏み(=マウンティング)を先制猫パンチで強制終了し、お互いニュートラルなところから「さあ話をはじめましょう」と持っていかないとうまくいきません。

相手によっては、マウントにはマウントで返すことも必要で、会社の看板がない私は、服装やメイクや持ち物、日本での暮らしぶり、はてはその相手よりも強い立場の有力者の名前をチラつかせるなど(たとえ名刺しか持っていなくてもね♪)、使える武器は総動員という感じでスタートを切ります。

そこで「あ、このエイリアンは既存の俺たちワールドの上下じゃなく、イチから関係性を築かないといけないんだな」と理解してくれるインド人はアタリです。

同じ土俵に立ち、お互いの役割を理解し、自分たち及び、サービス業ならクライアントが満足するためのゴールを確認し、必要なアクションを話し合う。

この関係性ができていけば、インドで仕事をするのはそれほど難しくないと思います。

そしてなにより、こうやって異なるバックグラウンドを持つ者同士が信頼関係を築けたとき、思ってもいなかったような面白い視点が聞けたり新しい世界が見えたりして、インド人の持ち駒の深さってスゲエと思うわけです。キレる頭脳と斜め上をいく創造性の豊かさにはほんとうにリスペクトしかない。

ま、これができない相手とは(そっちのほうが多いけど……)その場限りと割り切るしかありません。とにもかくにもマウント争いに勝ち、こちらペースで押して乗り切るというのが得策です。主導権を渡したら最後、すべてが先方の利益になりこちらは骨折り損のくたびれ儲けという、トホホな展開が待っています。ええ、経験済みです(何度も……)。

以上、「インド人マウンティング人種」についての深堀りでした。これに関係して「使う人/使われる人:インド人のあしらい方」、そして私がいつも意識している「Fairness(公平であること)」についても書こうと思っていたけど、かなり長くなってしまったので本日はここまで。

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