「教科書は現代史をやる前に時間切れ」

前回、「歴史」をいつ、どのように教えるのかということについて記事を書きました。

息子が不登校かどうか関係なく、このことはぼんやりとではありますがずっと考えてきたことです。息子が不登校になり、ホームスクーリングを考えるにあたっては避けて通れない問題ですので、考えを整理する意味でも記事にしてみました。今後も引き続き考えてみたいと思います。


サザンオールスターズの「ピースとハイライト」という曲はご存じでしょうか。2013年に発売されたこの曲の歌詞に次の一節があります。

「教科書は現代史をやる前に時間切れ
 そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの?」

歴史に興味がある人なら誰しも「その通り!」と膝を叩く一節だと思います。このあたりの切り取り方、歌詞はさすが桑田さんだと思います。

一方で「歴史に興味がある人」ならこうも感じると思います。「現実的に教科書で勉強したわけではないよな」と。


私自身、理工系の大学入試を目指して、高校では「日本史」を選択しました。イコール、センター試験(今でいう共通テスト)の受験科目です。日本史及び世界史の近代史以降は人並み以上の知識はあると思いますし、この分野を学ぶことが楽しいので社会人になってからも様々な本を読んだりドキュメンタリーを見たりしています。

身も蓋も無い言い方をすれば、教科書で勉強した記憶がありません。決して教科書がダメだと言っているわけではありません。体系的に学ぶための情報が系統立ててかつコンパクトに整理されているという点では教科書に勝るものはないと思います。ただ、教科書の内容を読んだだけで歴史を学んだと言えるかと思うと疑問です。もちろん、受験の試験に突破さえすればよい、そのための必要な情報を暗記してテストでいい点を取る、ということが目的なら別にそれでいいでしょう。しかしそれでは「歴史を学ぶ」とは決して言えません。(「歴史」に限らずあらゆる学びがそうだと思いますが)

ちなみに自分の場合は、中学・高校の時の「歴史」の授業を担当していただいた先生の授業がとても面白く、自分の歴史の興味をさらに伸ばしていただけたと思っています。この先生のエピソードはまたいずれ書きたいと思います。また、教科書より副読本(図説資料集)や用語集が大好きでした。用語集のそれぞれの用語には掲載されている教科書の数が記載されており、「これが載っていない教科書があるの?」「有名だけど意外と教科書には載っていないんだ」「この用語って意外とメジャーなんだ」と楽しんでいました。


2022年2月24日、ロシアによるウクライナの侵略戦争が始まり、まもなくまる2年が経とうとしています。承知の通り、いっこうに解決の見通しが見えません。

第二次世界大戦後、「悪の帝国」ソ連による侵略戦争(アフガニスタン侵攻やソ連圏内の民主化・独立阻止等)を除き、曲がりなりにも「大国」が正面切って他国を侵略しようと戦争を仕掛けた事例はほかにないでしょう。アメリカもベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などを引き起こしており、実情は利権確保の要素が大きく実質的に侵略だと言えばそうかもしれませんが少なくとも建前上は「アメリカが占領する」ことを目的にはしていません。日本はもちろんG7諸国及び、ソ連崩壊後のロシア(クリミア併合にその兆候はありましたが)と中国(明らかに台湾併合を国是としていますがそのためにも「台湾は中国である」という主張は絶対に譲らない、逆に言えばだからこそ歯止めがきかずいつでも行動を起こす可能性があるかえって危険)はこれまで、ここまであからさまに一方的に「侵略」する行為を起こすとは考えられませんでした。

ロシアによるウクライナ侵略戦争は、ロシア内部で続行できないような事態にならない限り、当面終わることはないでしょう。2年前に侵略が始まった当初からそう思い(直感等ではなく上のように考えれば終わりが見えないことが明らか)、現実にそうなっています。その時に考えたのは、「戦争が続く」とはどういう状況だろうか、ということです。

1941年12月、日本はハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカとの(及びあまり言及されませんがイギリスとも)全面戦争を開始しました。そして1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾し日本は無条件降伏し(正確には9月2日の降伏文書調印で)、太平洋戦争(第二次世界大戦)は終わりました。このことは誰でも知っているでしょう(最近はこれすら知られていないとの話もありますが、ここでは置いておきます)。

この間のよく知られている「歴史」の出来事と言えば、「ミッドウェー海戦(日本の進撃の終了、山本五十六の死)」「東京大空襲を始めとする日本各地の都市の空襲」「沖縄戦」「広島」「長崎」「ヤルタ会談」「ソ連の日ソ中立条約の破棄による対日宣戦布告」「ポツダム宣言」といったところでしょうか。「ゼロ戦」「集団疎開」「特攻」などもよく知られていると思います。

ところで不思議に思いませんか?どうして1941年12月から1945年8月まで「3年9か月」もの間、戦争が続いたのか、と。

と、書いている私自身も、ロシアのウクライナ侵略戦争が始まるまではあまり考えたことはありませんでした。逆に言えば、初めてそういう疑問が起こりました。


そこで高校の日本史の教科書を改めて取り出してみました。もっとも一般的な山川の教科書を参照したところ、上記の「太平洋戦争の勃発」から「日本の降伏」までの期間の記述は8ページでした(全379ページ中の割合として多いか少ないかはここでは置いておきます)。歴史上の出来事としての戦争の経緯や、国民の生活への影響、日本以外の国(欧米、中国、アジア諸国)の動向などが書かれている中に、次の二つの出来事の記載があります。

1942(昭和17)年4月
東条内閣は衆議院議員総選挙を実施

1944(昭和19)年7月
サイパン島陥落を理由に東条内閣総辞職、小磯内閣成立

どうでしょう、違和感を感じませんか?

日本人の一般的なイメージの先の「戦争」は、軍部の暴走した軍国主義日本が無謀にも大陸侵略とアメリカへの戦争を仕掛け、日本中の都市を空襲で焼かれ、沖縄を戦場にして、広島・長崎に原爆を落とされた挙句、力尽きて無条件降伏をした、といったところでしょう。政治論争でもよく言われる「戦前の軍国主義に戻る気か」「軍靴の足音」といったステレオタイプな言い方も上記のようなイメージからくるものでしょう。

軍部の暴走を抑えられなかった日本政府が無謀な戦争を始め、日本中が焼け野原になって戦争に負けた、と短絡的に考えがちですが、この間に衆議院議員総選挙があり、内閣が変わる、という現在の日本と同じような政治上の出来事があるのです。もちろん選挙は今のように民主的なもの、自由に意見を言う保証をされているものではありませんが、それでも男子普通選挙(税金を納めているか否かに関わらず選挙権はある)は実施されていました。

戦争が始まって約4年もの間(※ここでは日本人が「戦争」としてイメージする太平洋戦争を差します、実際はそれより前から戦争状態でしたが敢えてここでは触れません)、どうして誰も止めることができなかったのか、普通に暮らしている街の上に空から爆弾を落とされ日本中が焼け野原になり、沖縄が戦場になり、広島・長崎に原子爆弾を落とされるという破滅の事態になるまで、どこかで立ち止まって引き返すことができなかったのか、という疑問が沸き起こります。しかも日本の場合、わかりやすい「独裁者」がいたわけではありません。誰が進めていたかというと、歴史の解説では「軍部」とひとくくりに称される当時の権力者・利益受益者集団でしょう。そして同調圧力に支配されてその体制を支えた国民自身です。

「戦前、国民は目隠しをされたまま戦争に突っ走り、挙句に戦争に負けて国が滅び、戦後は民主国家に生まれ変わった」というのは、もちろん一側面からみると間違いありませんが、それで思考停止をしてしまってはいけません。戦前の日本は、映画やゲームの敵として出てくるような「闇の支配者が支配する悪の帝国」などではなく、今と変わらない人間が作った「社会」のひとつであり、人類が作った「歴史」の結果のひとつです。


確かに日本の歴史は、「1945年」という破滅を迎える「物語」としては不愉快な展開を持ちます。しかしその不愉快さから目を背けていては、あまりに多くの「得られるはずの教訓」を失うことになります。日本は「人間は失敗をする」という真理を体現した典型的な歴史を持つ国です。歴史を学ぶ上で、これほどの好材料を持つにも関わらず、まともに学ばず、しかも未来に活かさないのはあまりにも勿体ないですし、厳しい言い方をすれば現代と未来の人類への背信行為とも言えると思います。

戦争の話題ですので、暗くなることばかり書きましたが、日本の歴史はそれ以上に数多くの「成功」の事例もあります。心動かされる「物語」も数えきれないほどあります。

歴史を学ぶことが楽しいと言える最大の理由は、「人類は失敗をしながらもトライ&エラーを繰り返して少しずつではあるが確実に進歩してきた」ということを実感できることだと思います。そしてそこからこれからの未来を生きるヒントも数多く得られます。

「歴史を学ぶことは楽しい」ということは断言できます。少し大風呂敷を広げた話になりましたが、ホームスクーリングを目指すにあたって、歴史を学ぶことの楽しさをもういちど分析してみたいと思います。

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