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地獄と同義の恋におちたはなし

はじめてnoteというものを書いております。杏です。ただいま限界大学生をしているわたし、杏ですが、2023年、運命の出会いをしました。

それがオルタナティブ歌謡舞踊集団、龍宮城です。
わたしと龍宮城の出会いは2023年8月、とあるフォロワーのツイート(わたしはまだツイートと言います)を見たのがはじまりでした。

なにやら、「0年0組」という番組があるらしい。そして、それがとても面白いらしい、と。普段そういったツイートに反応することは稀ですが、その日はなんとなく気になってYouTubeに上がっている動画を見ることにしました。

よく覚えています。8月16日、家事の片手間に見ていたはずの動画を、気がつけば涙を流しながら最終話まで見ていました。ところで、アヴちゃん先生のことはいつ知ったかというと、あれは高校3年生の春。当時某ウイルスで家にこもりきりで、これも当時フォロワーに教えてもらった女王蜂の「売春」をきっかけに女王蜂を聴くようになったのでした。

話を戻します。いや、また脱線します。私自身、オーディションには少し苦い思い出があります。高校時代、打ち込んでいた部活動のコンクールへメンバーオーディションに落ちて泣いたのも、夏の日でした。だからこそ、オーディション番組に抵抗感を覚えていたのも確か。そんな経験もあり、「0年0組」は見ていて、辛くなることも多かったです。でも、どこまでもまっすぐで、素直な彼らに惹かれる気持ちから最終話まで見てしまったのでした。

「0年0組」を見る中で、最初に目に付いたのは「異邦人」を歌ったITARUくんでした。その時、わたしは思ったのです「ぜったいITARUくんは人気だから、ハマるもんか」と。変な逆張り精神が働き、ハマるな、ハマるな、と言い聞かせながら見ていました。

結果。わたしの普段のツイートを見ている方なら分かるでしょう。そうです。しっかりと沼にハマってしまいました。こんな文章を書いていながら、ITARUくんにハマった具体的なきっかけは覚えていないのです。しかし、覚えているのは最終試験のITARUくんの涙。あれを見て、ああ、だめだこりゃ、と思いました。

わたしの初現場となったのは、9月2日、ららぽーと豊洲で行われた2MUCHのリリースイベントでした。数日前に思い立ち、急に飛行機とホテルを取って。
倒れてしまいそうな暑い日に早起きをして会場に向かったのでした。はじめて出会った龍宮城は、正直言うとあまり覚えていません。覚えていないことばかりですが、でも、気がつけばITARUくんの名前を叫んで声を枯らしていたこと。そして、トレーディングカードを渡してもらい、やっと最後に「好きです!」と言えたことは覚えています。2MUCHのライヴには行けなかったので、2MUCHを聴くと思い出すのはいつだってあの暑い豊洲のステージ。真っ白なステージで踊る彼らの姿です。

次の現場、これはすこし期間が空いてSHORYUなんばでした。この時、最前で浴びたITARUくんの「キスだけで」。これがあまりにも衝撃的で、あの時のわたしを絵にすると、雷が落ちてからだの中が透け透けになってしまったような、そのくらいとんでもないことだったのです。ライヴの時は泣くことさえできませんでした。ただただ、ステージで歌うITARUくんから目が離せず、釘付けとはこういうことを言うんだろうと思いました。その時思ったのです。これを端的に表すのならば、恋というほかにない。わたしはもう後戻りできないくらい、恋に落ちてしまった。大阪から帰宅する新幹線の中で、「キスだけで」を思い出して泣きました。このひとに一生を捧げることになるかもしれない、覚悟のようなものさえ感じました。

このあとFCライヴ、JAPANESE PSYCHOのITARUくんバージョンJAPANESE PSYCHOで驚きのあまり座り込んでしまったこと、楽しすぎて頭を振っていたらめまいを起こしかけたこと、春ツアーDEEP WAVEで号泣したこと、エピソードはたくさんありますが、またこれはいつかの機会にお話させてください。

長くなりましたが、わたしが龍宮城、ITARUくんに落ちた経緯はこんな感じでした。最後までお読みいただき、感謝します。

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