【原神】「…一切の希望を捨てよ。」と神曲の話

だいぶ前に書いたものですが、もったいないのでアップします。
原神のアチーブ名に絞った内容で、ほぼ「神曲」の話です。

「…一切の希望を捨てよ。」

さて、この一文は先日のアップデートで追加された「蒼漠の国土」最深部、ダーリの遺跡の奥、巨大な門にたどり着くと解放されるアチーブメント。
正直このアチーブを見た時、めちゃくちゃテンションが上がった。
私が最も愛する文学作品からの引用だったからだ。

この巨大な、太陽の彫りこみがされた恐らくカーンルイアに繋がるであろう門は地獄門であるという見立てらしい。
元ネタはダンテ・アリギエーリ作「神曲」の地獄編に登場する一説だ。

「神曲」とはどんな作品なのか

主人公ダンテは人生の道半ば、35歳の時に正道(この正道とはなんなのかは諸説ある)を踏み外してしまう。
その時若くして亡くなったダンテのミューズであり、天国にいたベアトリーチェの計らいで、ダンテ自らが師と仰ぐローマ帝国時代の大詩人、ウェルギリウスの案内によって地獄、煉獄、天国を見て回る旅を行うことになる。

そのとき、ダンテとウェルギリウスがくぐる地獄の門にこんな銘文が刻まれている。

我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり

義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛、我を造れり

永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ

『「神曲」地獄篇第3歌 山川丙三郎
強調は引用者による

この銘文は門の一人称となっていて、いわば門の自己紹介文であると同時に地獄の紹介でもある。
「憂ひの都」とはディースと呼ばれる地獄の中にある街のことを指しているし、「永遠の苦患」とは最後の審判のあとも苦しみ続けねばならない、終わりのない苦しみを指している。

この最後の審判とは、イエス・キリストが過去生きた人々を含め、すべての人間が復活させ、裁きを下すことをいう。
生前に悔い改めなかったものはや、重大な罪を犯した者たちは地獄へと落ちる。

日本の地獄で行われる責め苦は、天文学的な年月が必要だとしても最終的に終わりがある。たとえば殺生をした者が落とされる等活地獄での寿命は500年。とはいえ年月の流れ方が違うので、1兆6653億1250万年間かかる。だが終わりはある。

ところが神曲の地獄には終わりがなく、文字通り永遠なのだ。
たとえば自殺した人間は第七圏 暴力者の地獄に落ちる。そこでひどい目にあっているのだが、最後の審判のあともひどい目にあう。
人々は最後の審判のあと、自らの肉体に魂を戻して復活(生き返る)のだが、自殺した人々は復活できない。なぜなら、彼らは自分で自分を殺し、肉体を手放してしまったからだ。

肉体とは、キリスト教の考えでは神からの贈り物だ。その大切な贈り物を傷つけ、自ら手放したのだから都合よく手に入れることはできない。
永遠に彼らは復活できず、自らの肉体を目の前にして永遠に嘆き続けることになる。
このように、基本的に地獄で与えられる罪は生前犯した罪に対応するという形になっている。

なお諸事情あって地獄の門に鍵はかかっておらず、開きっぱなしであるが、天国の門は鍵がかかっている(この鍵を持っている人こそ、ローマ法王であるとカトリックは考えている)。
あのカーンルイアへ続く門も、今は開かないだけで、実際は鍵がかかっておらず、誰でも出入りできるのかもしれない。

果たしてあの門の先が地獄なのか、それとも門のこちら側が地獄なのか。
今のところこちらが地獄の様相を呈しているけれど、思えば「原神」のストーリーそのものもちょっと神曲っぽい。

原神の神曲っぽさ

そもそも「神曲」と聞いて「めっちゃすげー曲」「サイコー」と誉めそやすネットスラングを思いつく人の方が多そうなのだが(まあ近年はそういう使い方をされているから仕方ない)、これで「しんきょく」と読み、13世紀から14世紀にかけて活躍したイタリアの詩人・政治家のダンテ・アリギエーリの代表作である。
先ほども書いた通り、神曲はこんな作品だ。

主人公ダンテは人生の道半ば、35歳の時に正道を踏み外してしまう。
その時若くして亡くなったダンテのミューズであり心の恋人である女性「ベアトリーチェ」の計らいで、ダンテは自らが師と仰ぐ大詩人ウェルギリウスの案内によって地獄、煉獄、天国を見て回る旅を行うことになる。

さて、ここではダンテを導くのは、ダンテが読んだ本を通じ励まされ、その美しい文体を学ばせてもらった師匠であると言ってはばからない大詩人ウェルギリウスだ。
彼はキリストが生まれるより以前の世界(作中彼の言葉を借りるなら「嘘偽りの神々の時代」である帝政ローマ)に生きて死に、洗礼を受けていないために、罪を犯したわけではないが天国には入れず、辺獄(リンボ)と呼ばれる場所にとどまっている。
キリスト教世界では善良なだけでは天国には入れない、洗礼を受ける必要があるのだ。そのため辺獄にはウェルギリウス以外にも著名な詩人たちがとどまっている。

そんなウェルギリウスは読者にとっても大変心強い先達であり、ダンテを励ましたり知恵を授けてくれたり、時にはダンテを抱きかかえ坂道をかけ下り、彼を負ぶって山を登る。
ウェルギリウスは色々あって辺獄から地獄の途中まで下った経験があって、地獄の最下層へ降りるのはこれが初めてではない。

彼に導かれダンテは地獄の9つの圏をめぐり、煉獄でやがて天国に上る望みを抱き罪を清める人々を見届け、天国でベアトリーチェと邂逅し、彼女から神学の真髄、ひいてはキリスト教的世界のすべてを授かる。

そのまま構図が原神っぽい。
原神では主人公の空(または蛍)がパイモンに案内されたり助け合ったりしながら7つの国々をめぐり、神の目を持つためにやがて神になるかもしれない人々の運命を見届け、やがて地中深くの国で蛍(または空)と再会する。
そしてそこで聞かされるのはカーンルイアとテイワットのすべてとなるんだろう。

というか、そもそもこの神曲という作品自体非常にRPGとの親和性が高い。
ギリシャ神話に登場する神々までも混在し、数多くの悪魔や天使たちも登場する。
時には人ならざる存在に案内されたり騙されたりしつつも旅をするというのも、最終的に誰かと会うことが目的であることも、ほとんど今のRPGと同じだ。

たとえばカプコンのアクションゲーム「DevilMayCry」はまさにこれをネーミングから踏襲しているゲームだ。
主人公はダンテで、ヒロインはベアトリーチェからもじったトリッシュ、主人公の兄バージルはウェルギリウスの英語読みだ。

また最近配信されたスマホゲーム「Limbus Company」も、主人公はダンテで、彼が乗るバスの案内役がヴェルギリウスとなっている。

原神で言えば、神々やパイモンがウェルギリウスで、蛍や空がダンテと言えるだろう。

おすすめ翻訳版「神曲」

日本語訳をすべて読みつくし、それぞれ複数回読破した私から、「神曲」をこれから読む人向けにおすすめ。

まずこれからお読みになられたい方は是非、最新のダンテ研究に基づいた新訳でどうぞ。
翻訳を行った原 基晶さんは、惣領冬実さんの漫画「チェーザレ 破壊の創造者」(これも大好きだ)でも監修を務めるなど、現在の日本におけるダンテ、中世イタリア研究の第一人者と言えると思う。


個人的に最もおすすめなのは平川先生訳。猛烈に読みやすい。
私にとっての神曲といえばこれで、平川祐弘先生が私にとってのウェルギリウスだった。平川先生翻訳で「新生」や「デカメロン」も読んだが、とにかく読みやすい訳文となっているのが特徴。

ただし、かなり古い翻訳なので注釈に書かれた情報などがその当時のもののままになっているっぽい。とはいえその注釈も読みやすく、聖書のこの部分ときちんと数字も振られているので不安なく読める。


読書が苦手?ではこちらの美麗な挿絵版でどうぞ。
銅版画で特に有名なギュスターヴ・ドレの挿絵で構成されていて、一見の価値あり。そんなにお高くないし。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?