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折り紙すらままならない

「ぜんぶちがう 50色おりがみ」をダイソーで買った。
袋の後ろには50色全部の色が書いてあって、正直めちゃくちゃに素敵だ。
せっかく買ったので、私は最近毎晩のように折り紙をしている。手元だけ机についている電気で照らしながら、鶴とか花とか色々なものを作っている。それどうなの?暗くない?っていうツッコミもよくわかるんだけど、私が一番よくわかっているので、心でそっと呟くに留めていただきたい。

ともかく、折り紙なんて久しぶりなので、何も見ないで折るとなると鶴ぐらいしか作れないことに気づいた。いや、実を言うと鶴さえ危うかった。
おかしいなぁ、小さい頃の私、もっと色んなもの作ってなかったっけ?ハートとか、奴さんとか、手裏剣とか薔薇とか。
結構手先も器用だったし、昔はもっとたくさん、綺麗なものを生み出していた気がする…と何だか悲しくなってきて、ちょっと難しいのにも挑戦してやる、とiPhoneを取り出し、複雑そうな花とか二重になるハートとかを作り出す21歳、女性。

驚いたことに、めちゃくちゃ難しいのだ。
いや、難しいものを作ろうとして検索したのだから難しくて当たり前なのだけど、まさか、まさかわからなくなって断念するなんて。
2、3個の失敗作を犠牲に、なんとか出来上がっていくお花達。
綺麗に出来上がった、とはお世辞にも言えないなぁなんて、細かい部分のズレとかヨレとか細かい部分を眺めながら思う。

折り紙、難しい。何が難しいって、美しく完成させることが、難しい。
私の手先が器用じゃなくなったのかもしれないけれど、それにしたって難しい。紙を2つに、4つに折りかさねることにこんなに全神経を注ぐことなんて他にあるだろうか。ないと思う。
綺麗に折り目をつけるために、真剣に端と端を合わせて、ズレないようにしっかりと固定して、スーッと折る。折り目をつける。
途中で変なところに折り目をつけてしまわないように、それこそ袋から折り紙を1枚取り出すときだって慎重で真剣だ。

「丁寧」に何かやるって、難しいことみたいだ。
毎日丁寧に生きなきゃいけないんだろうな、となんとなく誰しもが察していると思う。丁寧に生きるって実際のところふわっとしすぎて全然どういうことかわからない気もするけど、綺麗に生きることかもしれないと思った。
大切なものを大切にする、吐き出す言葉には綺麗な言葉が溢れかえるように、大事にしたい人を大事にすることを忘れずに、そんな風に毎日の自分を作ることかもしれない。これが、もう本当に、本当に難しい。

両手で簡単に扱えてしまうくらいの四角い紙を折ることがこんなにも難しい。裏が表にはみ出してこないようにするのはすごく大変で、ちょっとでもズレてしまえば見せてはいけない裏面が出てきてしまう。だから、自分の中にある人に見せたくない部分を表に出さないことって、ものすごく難しいのも仕方がない。怒ったり、八つ当たりしたり、無視してしまったり、惨めな部分をさらけ出してしまうことは仕方がない。動揺したり悩んだり悲しんだりしている時に折り紙をしても、なんとなく集中できなくて綺麗に折れないのだから、大事で大切でどうやって向き合ったらいいかわからなくて、わかってもらいたくて必死になってしまうような相手を前にして、自分の見せてはいけない部分を隠し通すなんてものすごく難しいことで当たり前だと思う。丁寧に生きることが一番難しいのって、多分必死になってしまう時だから。余裕がない時だから。自分を一番必死にさせる人や物の前で、綺麗な自分を作り出せないのなんて当たり前だ。仕方がないことだ。

折り紙さえままならない。21歳。女子大生。
綺麗な花を一つ作るのに、何枚も無駄にしてしまう。
自分の裏面を綺麗に内側に折り込むことは、もっともっと、ままならない。だけどそれって、仕方がないことだ。



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