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お母さんに求めていたもの

2021年のクリスマス
日本にいる母から「これでみんなへクリスマスプレゼントを買ってね」
と送って頂いたお金で私は家族4人分のバレエのチケットを買った
ロシア国立モスクワバレエ団「眠れる森の美女」
母は私たちが小さいころ クリスマスに 
バレエ「くるみ割り人形」のステージに連れて行ってくれて
私もそんな思い出を子供たちに残してあげたいと思ったのだと思う
たくさんの”経験”をプレゼントをしてきてくれたのは母の子育てのやり方で私はそれが大好きだったし、今でもその思い出をとても大切にしている

子供たち、
特にバレエのクラスに通っているAnitaはとても喜んで楽しみにしていた

日程は2022年の3月
昨年の3月だったのだけれど
残念ながら戦争が始めってしまったためにこの公演は一年後に延期に

そして今年に入り
シアターのスケジュールにこの公演がしっかり載っているのを見つけた私は
早速キッチンの壁掛けカレンダーに大きくしるしをつけたのだけれど
昨日再び…「この公演は延期になりました」のメール
こればっかりはしょうがないよね

そんなことも話したいなぁ…と思って
私は昨日久しぶりに母に電話を掛けた

実は母と話をしたいと思っていたのは少し前からで
心の学びの中で私が対峙なければいけないラスボスは
父ではなく母なんじゃないか、ということを少しずつ感じていたから

でも何を伝えたいのかは正直わからなかった
特に今の関係性に不満があるわけでもなく
私たちはお互いに愛し愛されて
良好な母娘の関係を国をまたいで持てている

心の学びを通して
私は以前とは違う視点から二つの個を俯瞰して見るということをするようになって、今までにない距離のようなものを母に感じたり…
それでも泣き叫んでぶつけたいような激しい思いはなく
とても静かに二人の関係性を見るようになって

9月に帰国したときに
私が自己投資をして心を学んでいることに母は眉をしかめて
あからさまに嫌悪感を示した
娘が新興宗教の沼に嵌っていってしまうことを恐れるような
そんな感じだなと思った

だから私は躍起になって私が取り組んでいることが自分にとってどんなに大事なことなのかをどうにか伝えたいと思ったのかもしれない
今までたくさん話してきたじゃない
歴史のこと、環境のこと、自然のこと、農業のこと、地域のこと、教育のこと… どうして心の話には、私が私に向き合っているという話には、魂や神様の話には、急にシャッターを閉めてしまうんだろう

これは母の内側にあるもので
私の問題ではない

夕べの電話でも
私が講座の卒業式がもうすぐあることや、私がポッドキャストで自分のことを話し始めたことなど、そんな話題に対しては電話の向こうにいる母の眉間にしわが寄る様子が伝わってきて
「きっと今はタイミングじゃないんだ」と私は”伝える”ことをやめた

今朝この話をしたら
Anthonyから「Why did you want to tell her?」と聞かれた
どんな学びをしたのか、どんなプロセスを経たのか…
それを彼女に話すことで何が欲しかったの?どうしたかったの?

そこでやっと気づいた  私は母から
「苦しかったね、よく頑張っているね」って言ってほしかったんだ

たくさんの愛を注いでくれて、奔放な私が自由でいられる人生認めてくれて、選択を尊重してくれていた母にわたしはさらに望んでいたんだ
と思ったらなんだか恥ずかしい

でも私は母に
自分がこの一年に学んだことを通して
少しずつ何かをお返ししていこうと思う
私が輝くこと、私が心穏やかに生きていること
たまに電話をして母の体の不調や、祖母が言うことを聞いてくれないことや
鶏小屋の修理の進捗なんかを聞いてみよう

私が何を学んだかを伝えるが大事なんじゃない
学びをもって生きている姿を見せるほうがずっとずっと愛がある
そんな風に思った






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