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002 きっかけはアン・ジョンファン

韓国には縁もゆかりもなく、韓国にまったく興味を持っていなかった私。

韓国?中国?どうちがうの?ぐらいのレベルだったと思います。←あほ


そんな私が韓国に興味を持つきっかけとなったのは、タイトルにもある通りサッカー選手のアン・ジョンファンでした。

2002年の日韓共催ワールドカップ。

当時私は中学3年生でした。

確か中間テストの真っ最中。私は日本代表戦を見るぐらいで、あとはテスト勉強に集中していました。

調べてみると、2002年6月18日だったそうです。

韓国とイタリアの試合、私はテスト勉強の間のひとやすみに、飲み物を取りにリビングに行きました。

そこでついていたTVに映ったのは、どストライクめちゃめちゃタイプなサッカー選手。

「誰だこれは!!!!!??????」と、TVにかじりつきました。

名前をちょこちょこ解説の人が呼ぶのですが、韓国人の名前は馴染みがないので全然覚えられませんでした。

「この超タイプの人の名前を覚えなきゃ、どうしよう」と思っていたその時。

同点での延長、当時のルールだった「先にゴールを決めたほうが勝ち」というゴールデンゴールをアン・ジョンファンが決めたんです!!!!!!

興奮の中、解説者は彼の名前を連呼しました「アン・ジョンファンが決めました」「何ということだアン・ジョンファン」と。

そこでようやく彼の名前を覚えました。アン・ジョンファン。


もう16年も前のことですが、上に貼った写真をみて「やっぱタイプだわ」と思いました。好きな顔なんですね。

中3というアイドルや芸能人にハマりやすいお年頃だったこともあり、私はアン・ジョンファンを追いかけ続けることになります。

アン・ジョンファン用ビデオテープ(VHSだった時代)を作り、全スポーツニュースをチェックしてはアン・ジョンファンのシーンだけを撮りだめ続けました。

ワールドカップ関連の雑誌や新聞を買いまくり、アン・ジョンファンスクラップブックを作成しました。

スクラップブックは今でも実家に残っています。

↓↓中身の一部を公開します。恥ずかしい。。。。苦笑


学校の机には「安貞桓」「J H AHN 19」と落書きしました。

通学用のカバンには、アン・ジョンファンの写真を入れたキーホルダーをつけていました。


学校の友達はベッカムにハマっていましたが、私はアン・ジョンファンを推し続けました。

あまりにもしつこかったのと特異だったので、当時の私のことを「アン・ジョンファン好きな子」として記憶している同級生も多いかもしれません。

これが私と韓国との出会いです。


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