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②危険があぶない

鹿を何頭か捌いたり、猟友会のBBQへ遊びに行って同世代の女性が活躍しているのをリアルに感じたり狩猟が少しずつ身近になってきた頃、夫が甲斐駒ケ岳へ植生調査の為頂上まで登ると言う。

8月

夫は南アルプスユネスコエコパークという事業に参加していて、生業としている鶏卵のパックにもそのマークを印刷している。彼はボランティアや地域の活動を何の気負いもなくさらっとやる。
さらっと2,967mも登るのかよ!と思うのだが楽しそうにアウトドアショップへ行って装備を買い込み意気揚々と出かけていった。翌日はまるでSTARWARSの金ぴかロボット、C3POみたいな動きで帰ってきたがずいぶん楽しそうであった。

私はボランティアとか募金とかそういうのはこそばゆくてやれない性質である。ふとした瞬間に「あれ、これって偽善的?」と振り返ってしまうのだ。とはいえ誰かの役に立って褒められたいので下手な承認欲求だけが残る。バンドやってた頃は承認欲求が満たされてたのでそんなことはなかった。なんだか中高生の頃に戻ってしまったようだ。なんかしたいけどなんもできない、みたいな。バンドのフライヤー作りから始まったPCでのデザイン作業は今ではお金をもらえるようになったけれど、むちゃくちゃ役に立ってる実感があるかというとそうでもない。デザインに対しての対価をいただくのみだ。夫の養鶏業を手伝ってはみたものの中途半端で、というのも私はインコを2回餓死させたことのあるほどの不精者で、毎日の世話はきっと続かないし、農場の空いているところで始めた畑&植物園は今やジャングルである。ボタニカルな生活に憧れて買ったグリーンは次々と枯死または腐り、そう、私は何か育てるのに向いていないのだ。子育て中の私としては不穏な発言だが。

そこで気づいたのが狩猟。「命をいただく」とか大げさ過ぎて好きじゃないけど、要するに殺生のほうが向いているのではないか?
そこらにあるものを使って何か作ることが好きな私。中学生の頃は理科室へ連日通って切れた豆電球をもらってアクセサリーにしていた。
そこらへんで増えすぎた鹿を殺生して使えばいいのでは…?

聞けば日本の森林破壊の2割は鹿の食害だという。畑を食い荒らすだけじゃなく森の木の皮まで食べてるとは。森の木が減り保水力がなくなると川へ流出する栄養素が減りゆくゆくは海へ流れ込む栄養素がなくなって漁業が大打撃…ってそういや学校で習った覚えがある。狼のいない今、鹿は増え放題なので誰かが減らさねばならぬ。私が鹿を使えば山だけでなく海まで守れるということ?農家のおじさんおばさんには感謝されるしいいことづくめじゃん!デメリットは感染症や銃の危険性や野生動物と対峙する危険性…命の危険があぶないな。でも環境の為にいいことしてますー!っていう照れがないのが良い。

そう気づいてからは「ジビエでなんかやろう!」と毎日ワクワク妄想するのであった。

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