自主規制回路

なんでもいいからちゃんと文章を書く癖をつけようと思ってnoteを開き、何を書こうかいくつか案が浮かんだものの、一つ一つの案をよく考えてみた時に、コンプライアンス的にどうだろうかとか、ポリコレ的にどうだろうかとか、クオリティ的にどうだろうかとか、そういった自主規制が働いていって、筆が進まず、何となくブラウザを閉じてしまったりした。

書きたいことや言いたいことは数あれど、実際に表に出さぬまま消えていく考えが多くなった気がする。現代オープンインターネットの環境が僕にそうさせたのかと一瞬思ったが、変わったのは自分の自主規制回路の方だろうなと思い直した。深く反省である。

自分の自主規制回路が発達したのはなぜかしらと思ったが、やはり仕事は一因だろうと思う。それなりのクオリティに達するまで、自己チェックは続けるし、アウトプットがもたらすリスクとリターンの評価も当然行うわけで、癖としてついてしまっているのだろう。そしてクオリティチェック機能があること自体はそんなに問題ないとも思う。

問題は閾値の調整能力かもしれない。閾値をぐにゃぐにゃに状況に合わせて上げ下げできる柔軟体操をどこかでやらないといけない気がする。線形に日常生活を過ごしているだけでは身体も凝り固まるのと同様に、自主規制回路も思いっきり外したり思いっきり高くしたりするエキササイズがあるといいのかもしれない。

週の半ばである。明日もシンギュラリティに向けて頑張ろう。

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