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夜峰美晴とCUE!に関する最後の手紙

 CUE!のクラファンが終わりましたね。
 これで、CUE!の物語を知る人間の総量が確定しました。つまり、CUE!の世界と物語はこれ以上増殖しなくなったということです。
 ストーリーやミームを生命体のようにみなすなら、広がりが途絶えたCUE!の物語は死を迎えました。

 さて、そんな終焉のさなか、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 実は、私は今そんなに悲しみはないんですよね。
 もちろん、少しの負の感情はありまして、「CUE!のシナリオ、もっと布教したかったなあ」という後悔や、「コンプリートブックが手に入らない人は『カレイドスコープ』を読まずにオタク人生を終えるんだよなあ……」という憐憫はありますが。

 正直なところ、4th Liveが始まる前は、たぶんこのままこのジャンルを去るんだろうなと思っていたり、そのライブのことを「葬式」って揶揄したりしてた私です。
 そんな私が、今でもCUE!の世界に居続けて、こうしてCUE!のことを語る記事を書いているのか。
 それは、私の中で、AiRBLUEのキャラクターたちがずっと生き続けるということを確信しているからです。

 シンプルな理由としては、私の思考がCUE!のことを考え続けている、ということはあります。
 「リベラくんが描くAiRBLUEは終了したが、私の中のAiRBLUEは動いてる」「私の方で勝手に夜峰美晴を動かさせてもらう」という哲学ですね。
 
 ただ、この哲学って、維持するのが苦しいし、いつか飽きが来た時に限界を迎えるんですよね。
 これだけの思想だけで、CUE!への想いを維持し続けるのって、私にとっては厳しいと思っていました。
 ただ、それを超える強固な価値観を、4th Liveから数日後に発見したんです。

 私の中で、夜峰美晴がずっと生き続ける理由について、極力陳腐でない視点から話します。
 
 4th Live開けの祝日である水曜日、私はバンドリの同窓会合同というものに参加しました。
 その合同誌に、氷川紗夜の小説を書き上げて寄稿しました。
 ちなみに、装丁デザインや広報デザインも担当していました。なかなか凝ったことしててエモい&楽しいです。是非お手にとってみてください。

 少し解説すると、私のオタクの始まりは氷川紗夜からなんですね。
 それより前に我那覇響や桜内梨子が推しだった時期もありますが、「シナリオを読み込んで解釈を深め、同人誌を書いて表現をする」レベルのオタク活動をした最初のキャラクターが、氷川紗夜でした。
 彼女にまつわる同人誌も、これまでに8冊書いています。

 ただ、いろいろあってバンドリから離れて、3年間くらい氷川紗夜のことを書いていない期間がありました。その間にCUE!に出会ってCUE!と別れたんですよね。
 本当に久々の氷川紗夜、はたしてどうなるのかとワクワクしながらの執筆になりました。
 (そういう意味でも同窓会合同なんですよね。皆バンドリを卒業した作家たちが集まって、久々にバンドリ書いてみようや、っていう企画です。楽しかったぁ〜!)
 
 結果、3年ぶりに書いた氷川紗夜は、思ったよりスラスラ書けたんですよね。

 同じ合同に参加した氷川紗夜のオタクから「めっちゃ面白い!」とお褒めの言葉も頂きましたし、なにより自分の中で「面白い氷川紗夜を描くことができた」という確信がありました。
 サンプルを公開してるんで、氷川紗夜のことを知っている人は、是非読んでみて下さい。

 もちろん私が描いた氷川紗夜は、今のガルパの中でリアルタイムに生きている氷川紗夜とは離れたものです。なぜなら、彼女の成長している姿を追っていないので。(紗夜さん、卒業おめでとうございます)

 でも、私の中のどこかに、氷川紗夜の像が深く根付いているんだなぁ。ということに気づくきっかけになりました。3年間ほとんど彼女のことを考えたことがなかったのに、まるでセーブデータをロードしたかのように彼女のことを表現できたのです。

 これは、けっこう驚きな体験でした。
 なんたって、3年前の推しですからね。
 なにもかも忘れたと思ってたんですけど、そんなことはなかったんですね。

 それから、はたして私のどこに氷川紗夜がいたんだろうな、ということを考えました。
 すると、ある一つのことに気づいたんです。
 そもそも私が「理解したがりの分析オタク」になったのは氷川紗夜の影響だな、と。

 この美晴に関するツイートを見ればわかりやすいと思います。

 このように推論を重ね、キャラクターの内面を想像して構築し、理解しようとする。
 これが私のオタクとしてのスタイルであり、推し方
なんです。
 まさしく、「理解できる」という観念は、氷川紗夜が私に根付かせたものだったんです。

 だからこそ、オタクをやるかぎり、氷川紗夜は私の中から消え去ることはないんです。

 では、夜峰美晴からの影響はどうなのか?
 私が夜峰美晴から受け取った観念のひとつは、「伝えたいことが伝わるわけじゃないということは、楽しさであり豊かさである」というものです。
 これは、WindのReading Liveを観た人ならわかってくれると思います。

 それまでの私は、解釈とは公式に基づいて一意に定まるものだという姿勢でいました。
 ある種、理解したがりの弊害ですね。
 その考えをほぐしたのが、美晴の姿勢であり、美晴の思想でした。

 「公式の伝えたいことをそのままそっくり受け取る」以上の喜びがあるんじゃないかしら。
 解釈とは試験問題でも早押しクイズでもなく、公式とオタクの間の化学反応によってもっと無秩序に広がるものなのかもしれない。
 いや、そういうものだと思った方が、オタクとして「楽しい」なと。

 この観念は、きっと私に残り続けるんだと思います。
 その証左に、今年の1月に私は、美晴とマネージャとの関係を噛み砕き、受容することができました。
 そうして生まれた話がこちらです。

 私はみはあやの人だったので、CUE!のサービスが続いてる時にはこの話は書けなかったでしょう。
 この作品を生み出せるようになったように、その分だけ私は豊かになったのです。
 そしてこの豊かさに、夜峰美晴が根付いています。

 いずれ私は、AiRBLUEの世界について考えることをやめます。私は自分の飽きっぽさに対して信頼を置いていないので。なにか魅力的な世界があれば、いつかは移住するんだろうなと思います。(まーだ現時点で見つかってないんですが)
 いずれ私は、夜峰美晴のことを忘れます。彼女が秋葉原の裏路地でホッピーと一緒に注文したおつまみが何だったかも、彼女が好きな『かもめ』のニーナのセリフも、彼女の大好きなお兄ちゃんの名前も、彼女が抱いた夢も。全て、ぼんやりとしたもやに覆われた忘却の記憶になります。
 いずれこの記事もネットの藻屑になります。note株式会社がサーバーを維持できなくなった瞬間、この文章は消え去ります。ドキュメントに書いた下書きの文章も、Googleが滅んだら跡形もなく消えます。

 それでも、私の中に夜峰美晴は残り続けます。
 私の価値観の一部として。

 
 私の言葉を誰かが受け取った時、夜峰美晴は私の心に蘇ります。
 これが私の中で、夜峰美晴がずっと生き続ける理由です。

 ま、でも、まだそんな未来のこと考えてしんみりする時じゃねえですよ!
「年寄りじゃないんだから、今から思い出にひたっててどうすんのさ、って話」って、悠希も言ってた通りです。

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 という文章が、ドライブに残ってました。
 どうやら、クラファンが終わった直後に勢いで書いてた文章ですね。オチと終着点が思い浮かばずに途中になって、そのまま放置されていたみたいです。
 直前にCUE!の布教記事も書いてましたし、きっとガス欠になって止まってたんでしょうね。

 さて、この時の私の考察を、半年後の私から観て思うことですが。
 この思想の結晶として、私の夏コミの本があるなと、しみじみしております。

 夜峰美晴を推したからには、一度は彼女の愛した「クラシック音楽」というものに触れないとな、と思って題材を選んだ本です。

 ちなみに、手前味噌ですが、めっちゃ上手いし面白いです。 

 二冊とも読んだ方ならわかると思うんですが。
 去年の夏コミは、美晴の根底に挑み、美晴を理解しようとしていました。
 今年の夏コミは、美晴の視界に潜り、美晴を広げようとしています。

 
 ぴったりの比喩が、ちょっと前のオタクとの会話で生まれたんですが、
 去年の夏コミは美晴の解説書を目指しており、今年の夏コミは美晴の問題集を目指しています。

 だって、私が考えて理解した美晴よりも、「私が美晴を通して観たもの」に読者の皆さんが反応して、そこで感じた美晴の方が、きっと『豊か』ですから。
 ね、そうでしょう。

 明日、CUE!のクラファン返礼品が届きます。楽しみですね。
 昨日のメールと、返礼品のコンプリートブックを最後に、これからのCUE!公式からの表現は一切合切されなくなります。

 でも、そんなものがなくても、私の心の中に夜峰美晴は残り続けます。

 「信じる強さをくれたのは、あなたの声でした」って、そういうことなのかもしれませんね。
 美晴の『声』を聴けたことを、心から幸福に思います。
 
 皆さんの中には、どんな形でAiRBLUEの声優たちが根付いてますか?


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