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嫌いな人から学んだこと

こんばんは、暗夜灯(あやと)です。
孤独と底辺に身を包まれながら生きている大阪のおっちゃんです。

今日は、山根あきらさんの投稿企画である
#嫌いな人から学んだこと

について、記事を投稿なされた日に読んでから、ずっと考えていました。

すみません、趣旨に反してしまっているとは思うのですが
わたしの中の答えは嫌いな人がいないなーって。
でも投稿したいので、投稿させてください!!

この人と合わないなー!というのは、よくあるんですけど
この人嫌いだわー!とまではいかないんです。

100%良い人もいなければ、100%悪い人もいない。
わたしはそう考えています。

今までのことを振り返って
例えば、嫌がらせをされたとしても
「何か機嫌が悪かったんだろうなー」と思いますし
仕事で蹴落とそうとされても
「そりゃあ、みんな給料高く欲しいもんなー」って
思っています。

戦争と同じかなと。
相手は相手の正義や都合があるのでしょう。

ただ、正義という言葉は、結局はその人の主観と思ってまして
立場や状況が変われば、その正義は正義ではなくなることがあります。
そのため、わたしは正義という言葉は好きではありません。
わたしが正しい、相手が間違っている、と思い込んでしまいますから。


考え方が合わなければ、離れればいいと考えていますが
それでも、つっかかってくる方は、たまにおられます。

その方を嫌いとは思ってはいないのですが
わたしにとって、害悪な場合は、ある程度身の回りから排除しなければ
生きづらいので、色々なことを調べて、武装を固めます。


結論が出ました!
嫌いな人(≒害悪な人)から学んだことの私の体験は
守るための様々な武装を固める術を勉強させて頂ける、ということが
1つの回答になるのかな、と思いました。

おそらく今後、わたしが嫌いになる人というのは
我が子に対して、卑劣な言動・行動などで、我が子を長く苦しめる者が
現れたのならば、その者を嫌いになると思います。
その時、わたしは必ずや非道な攻撃者になるでしょう。
でも、その場合は、嫌いではなく憎むになるから嫌い以上になりますね。

#嫌いな人から学んだこと
#山根あきらさん

note vol: 42

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