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#みんなの仕事術 × 敬意の表し方 × アイデンティティ

2023年4月、まさか40代になって自分のアイデンティティを見失うとは思ってもみませんでした。「今の『いま』」で自己紹介をするとしたら、

  • 4月1日から無職です。

  • 同居する家族はいません。

これがいまの自分。ある意味では、人生の折り返し地点で何の縛りもないオールフリーな状態。改めて作り直す『アイデンティティ≒自分らしさ』が、noteでのテーマです。

先日、SNSを通して初対面の方と会う機会がありました。深く考えた訳ではないけれど、自分はいつものスーツを着て出かけました。そこで、ふと「服装はアイデンティティの表れの一つかも?」と思い、この記事をまとめてみました。


1.服装に表れる心持ち

①♯業界あるある × 福祉のお仕事

自分が20年間、携わってきた福祉業界。さまざまな分野がありますが、「福祉、服装、イメージ」でグーグル画像検索するとユニフォーム姿が多く見つけられます。

事業所によって様々な事情があると思われますが、自分が長く務めた障がい者支援事業所では「ユニフォームなし」と「ジャージ禁止」でした。

ボスの考えとして、ノーマライゼーションを実現・推進していくべき場所で、ユニフォームを”着ている”職員と、”着ていない”利用者に立場の違いを出すべきではない。かといって、汚れる・動きやすい・買い替えやすいなどの理由で機能一辺倒のジャージも禁止でした。これは利用者側にも求めていて、生活に支障のない範囲ではありますが寝巻のようなジャージの普段着使いは遠慮してもらい、行事の内容によってはスーツ、夏季には浴衣なども推奨していました。

様々な考え方があるので是非は何とも言えませんが、自分はボスのその考え方には同意でした。服装によって単純に心持ちが変わるのは、誰もが一緒ですものね。

ちなみに「ノーマライゼーション」という言葉、最近はもっぱら耳にする機会が減った気がします。果たして実現の程度はいかに?

障害のある人もない人も、互いに支え合い、地域で生き生きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す「ノーマライゼーション」の理念に基づき、障害者の自立と社会参加の促進を図っています。

厚生労働省:障害福祉施策の考え方 (mhlw.go.jp)


②服装をたしなめて頂く

さて、普段着で仕事にあたっていた自分ですが、ある機会に一般企業の方を訪問して話をする機会がありました。自分はいつも通りの服装(当時はチノパン、無地の襟付きシャツ、動きやすいスニーカー)で出かけました。

お話はつつがなく終えることができましたが、先方からこのようなご指導をいただきました。

「君は礼儀も言葉づかいも申し分なくてよかったけど、どうしてその服装で来たのかな? 君の業界では常識かもしれないけど、違う業界の人に会うのならその業界にあった服装で来たほうが損はない。相手への敬意は言葉、礼儀作法、そして服装で示すべきです。」

福祉の仕事に就いて5年以上たって、何となくこなれてきていた自分は狭い世界でしか物事を見ていなかったと気づかせていただいた出来事でした。

「TPOに合わせる]はよく聞きますが、一歩踏み込んだ「敬意を服装でも示す」という姿勢は私生活でも大事にさせていただくようになりました。



2.さん・くん・ちゃん・よびすて

ところで、みなさんは相手への敬称はどのように使い分けていますか? TPOに合わせて、相手と自分との関係性によって、まさに臨機応変さと適切な距離感の見極めを求められる”超”複雑な対人技術だと思いませんか。

年上に対しては男女問わずに「さん」。これは誰しも共通?

だったら同い年にだったら? 年下だったら? 18歳以下の未成年だったら?

女性に対しては「ちゃん」、男性に対しては「くん」、これは一般的?

しかし、LGBTQの方たちにも配慮すれば「男・女」で敬称を使い分けるのは今後は不適切になってくるのか?

自分は英語に明るくないのですが、未婚の女性には「Miss」、既婚の女性は「Mrs」はいまだに通用するのですか? 男性は未婚・既婚に関わらず「Mr」なのに? 詳しい方がいらっしゃったら教えてください。

「距離を縮めて仲良くするには呼び捨てにする」といった距離感をとる方の話を聞いたこともあります。自分もなくはないと思います。

けれども自分は結局はよくわからないから老若男女問わず全部「さん」づけにしています。よっぽど親しい間柄か学生時代の友人であれば「ちゃん」か「くん」を使うこともありますが、どちらかというと愛称の慣用句的に使っているようなところがあります。



3.唐突に作品紹介

ここで唐突ですが、「他者への敬意の表し方」という点で自分の金言となっている作品を紹介させてください。小野不由美さん原作のファンタジー小説「十二国記」です。

…と言っても自分は原作は未読、2002年にNHKBSで放送されたアニメを大人になってから再放送を観ただけです。

なぜ自分が金言としているのかを説明するのに、簡単な世界観の紹介が必須なので拙いですが、、、

日本で暮らす普通の女子高生・陽子は、ある日突然に「ケイキ」と名乗る男性から異世界にある十二国の一つ「慶」の国(現実世界といろいろと違いはありますが中世の中国風の様子を思い浮かべてもらって良いかと思います。王に対しては皆、額を地にこすりつけて平伏することが当然とするような慣習。)の王に選ばれたということで、異世界に連れられる。
最近、流行りの「異世界転生」がモチーフですが、連れられた陽子は王にしか使えない剣を自由に操れる、神獣の麒麟(これが「ケイキ」です)を従わせるというスキルはありますが、他は至って普通の女子高生。最近の作品のようなチート級の能力は全くありません。
なんやかんやと試練を乗り越えて王位に就くも、今度は政府内の陰謀策略・権謀術数に巻き込まれ(この辺の駆け引きや人間模様は異世界であっても我々の現代世界と何ら変わりない状態)、一度は立場から逃げながらも市井の中で圧政と戦う人たちと過ごす中で王としての覚悟を決めて、国を治めるに相応しいように陽子は成長をしていく。

作品レビューを一度も書いたことない筆者の必死の説明より。

…レビューが薄っ(汗)。。。非常に素晴らしい作品なので、詳しい紹介はその手の方にお譲りいたします。

さて、主人公の陽子が慶の国の王となって初めて公布する法律「初勅(しょちょく)」、この記事のテーマ「他者への敬意」の真理を突いていると自分は感じており大切な言葉としています。
物語を追っていないと誰のことかわからない部分は脚色してますが、一読の価値ある内容を本記事のもっとも伝えたいこととさせていただきます。アニメのYouTubeのキリトリも添付します。


私は人に礼拝されたり、人の間に序列のあることが好きではない。相手の顔が見えないことが嫌だ。人から叩頭(こうとう)されることも、叩頭する人を見るのも不快だ。
これ以後、礼典、祭典、及び諸々の定めある儀式、他国からの賓客に対する場合を除き伏礼を廃し、跪礼(きれい)、立礼のみとする。

他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者の事など私は知らない。それよりも人に頭を下げる度、壊れていく者の方が問題だと私は思う。
人は心実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じた時には自然に頭が下がるものだ。他者に対しては礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題でそれ以上のことではないだろう?と言っているんだ。

私は、慶国の民の誰もに王になってもらいたい。
地位でもって礼を強要し、他者を踏みにじることに慣れた者の末路は驕り高ぶり謀反・反乱を企て捕らえられた者たちの例を見るまでも無く明らかだろう。そしてまた、踏みにじられることを受け入れた人々が辿る道も。

人は誰の奴隷でもない。
そんなことのために生まれるのじゃない。

他者に虐げられても屈することのない心、災厄に襲われても挫けることのない心、
不正があれば糺(ただ)すことを恐れず、獣に媚びず、
私は慶国の民にそんな不羈(ふき)の民になって欲しい。
己という領土を治める唯一無二の君主に。

そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げることから始めてほしい。

小野不由美 原作 アニメ「十二国記」第39話より(*一部、文章として読みやすいように脚色)


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