社会人になる

就活に、失敗した。
1社内定をとった後、格闘し続けた5ヶ月間がパーになった。

パー。っていう響きがハマりすぎて、笑えた。

高校の時からの夢だった留学をコロナウイルスの影響で中断させられ、
帰国後に発狂しそうになりながら試合から逃げなかった。
逃げない自分を誇りに思っていたし、努力は報われると本気で信じた。

最終目標にしていた企業から連絡が来なかった日。

虚しさが、壁を伝って流れてくる蒸し暑さと共に肌に沁み込んできて、
ベッドにあおむけに寝転んだ。


努力は必ずしも報われないという現実を、初めて知った。


血の流れがドロドロと、重く感じられる。

孤独だった。
暗闇の中で、1人ポツンと、立っている。空気が吸えなくて、苦しい。
手を伸ばしてみても、掴めるものが何もなくて、ただ空中を虚しく漂うだけだった。

ずいぶん前に内定をとっていた企業に就職する決意をした。
流れに従おう。

「内定をくれた企業に感謝」
そう言いながら、自分の言葉が遠くに聞こえた。
「貧しい子供たちを救おう」と言われている感覚と、似ていた。


ーーーーーー

緑が茶色になって、無色になって、桃色になり始めた。

母の友人と3人で食事に行ったのは、そんな、蕾がパンパンに膨らんでいるくらいの時期である。


とある企業の女性初の取締役員。
それだけで想像していた「前髪かき上げ系パンツスーツ女・最初の挨拶は握手」
という偏見と裏腹に、その人はタツノオトシゴが散りばめられた紺色のジャケットにふんわりスカートで登場した。前髪あり。挨拶はお辞儀。

「娘ですー。4月から社会人なので、色々話してやってください。お願いしますぅ」
「そんなありがたいお話し出来るか分かんないんだけど…どうしよう」
「なぁに言ってんの」

母とタツノオトシゴを交互に眺めながら、水に手をつける。

サラダが運ばれてきて、「あなたの会社はいい会社だよ」と言って頂き、
ペペロンチーノが運ばれてきて「戦略的に、誰よりも早く、一番に出社する必要はない」と言われた。
母がフォークでくるくるとパスタを巻きながら本題に入る。
「こういう子は今後伸びるな、と思う新入社員の共通点ってあったりするんですかぁ?」

スプーンの上でパスタが綺麗に巻かれた状態で、母の友人は手を止めてうーん、と首をひねった。

「とにかく一生懸命な子かなぁ。始めから器用というよりも、不器用でも、一生懸命な子」

あー私だと思った。器用でない代わりに、努力でカバーするタイプ。
んで、努力でカバー出来ない場合があることを骨の髄から理解したのが、8月。

「一生懸命頑張ってる子ってさ、その分周りの子より失敗が多いの。どんどん壁に当たっていくっていうか。もちろん上司に怒られることもあるし」

今の私であり、未来の私だなぁと思った。
私もスプーンの上でパスタを巻こうとしたが、お話を聞きながらだと上手く巻けなかった。
自由気ままな麺と格闘していた私に、それは不意打ちだった。


「でもさぁ失敗って、自分の限界を超えてるってことなんだよ」


どういう意味だ?
顔を上げると、パスタをもぐもぐしながら話している母の友人が居て、でもその目はどこか他を見ていた。

「自分が出来る範囲のことしかやっていなければ、失敗はしないもん。自分の限界を超えるから、失敗するの。
そうして、その失敗から学んで、成長する。繰り返している内に経験値が格段に変わっていくから、一生懸命な子はどんどん伸びる。」


失敗は、自分の限界を超えているってこと。


数学を泣きながら勉強して、ESを夜中3時まで書き直して、面接練習を繰り返し繰り返し繰り返し、やった。
そんな目になるなら就活なんてやめて。壊れちゃう。
という母の悲鳴を聞きながら、やった。

ああそうか、私は自分の限界を、超えていたのか。


「だからね、失敗したら、『自分にいいね!』ってしてあげて」


母の友人がスプーンとフォークを置いて、タツノオトシゴたちの前でガッツポーズをつくった。

私の心臓に、そのガッツポーズがグサッと刺さった。
痛いくらい、心地よかった。


「はーちゃんES添削して」
「自己分析お手伝いしてくれない?」
「昨日面接したんだけど上手くいかなくて落ち込んでて…電話して欲しい」

就活が終わってからの7ヶ月間、人に頼られることが数倍増えた。
私、就活成功者じゃないからね?と念押ししても、一週間に3件電話、3件ES添削の週もザラにあった。

あの時就活を必死にやっていなかったら、今、誰の役にも立てていないと思う。
あの時就活を必死にやっていなかったら、社会人へのメールの書き方さえも理解していないと思う。
5ヶ月間必死にやったからこそ、今内定がある会社で頑張っていくしかないと、覚悟を決められているのだと思う。


就活で、
努力は必ずしも報われないという現実を、初めて知った。
でも、

私の努力は、無駄にはならなかった。


自分にいいね!ってしてあげていいんだ。


パスタを食べ終わった頃には母とその友人は雑談に花を咲かせていて、私は思う存分デザートを楽しめた。
帰り際に「タツノオトシゴすごく素敵です」と言えなかったことを、後悔している。


ーーーーーー

黒スーツ、タイトスカート、ピカピカのパンプス。
入社式の開始時間を今一度腕時計で確認する。
電車の揺れが背筋をすっと伸ばすように諭してくる。

窓から、この前まで蕾だった小さな花が世界を彩っているのが見えた。
毎春、日本中の人の背中を押してくれる、私の大好きな花だ。

小さく、ガッツポーズしてみる。


就活に、失敗した。


これから、成功にしていこう。