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初めて髪を染めた日

ぼんやりと、黒っぽい小山のような影が鏡に映っている。
眼鏡をしていないからわからないけど、多分そこには何とも言えない顔で固まっている私がいるはずだ。
29年間の人生で、今日、初めて髪を染める。


染めようかなぁ、と思うことはあっても、実行することは今までなかった。
それはそれはずぼらな性格なので、一度染めてもメンテナンスに行かずにプリン頭になるのはわかり切っていた。
成人式の和服は黒髪でキメたかったし、そのあとすぐに就職活動が始まったのでなんとなくタイミングを逃したまま今日まで来たのだ。


4月に転職をして新しい職場で過ごしている。
まだ環境に慣れるので精いっぱいだ。
できるはずのことすらうまくできなかったり、やりたいと思っていたことを見失ったりしながら、ちょっぴり焦る気持ちが顔を出してくる。
望んでもいないのに巻き込まれた社内のごたごたをなんとか乗り切っていると、にこにこ笑って「いい子ちゃん」をしているのが馬鹿らしくなってくる。

ちょっとした反発心といたずら心も含めて、
「髪の毛、緑にしようかなぁ…」
と、つぶやくと
「うん、いいんじゃない」
と言われて拍子抜けする。
緑だよ、緑。と確認するけれど、隣の人はにこにこ笑いながら緑もいいけどピンクのほうが似合いそう~とのんびり返事をする。
さんざん何色の髪が似合いそうか、話をしたあと
「別に何色の髪になっても、君のいいところは変わんないし自分の気に入るようにしたらいいと思うよ」と返される。

そうか、緑の髪でも私は私なのか。
そんな当たり前のことを、当たり前に言ってもらえたことがうれしかった。


いつも髪を切ってもらっている美容師さんに
「次に来るときに髪を染めたいんですけど…」
と切り出すと、いいねいいね~と相談に乗ってくれる。
どんな感じにしたいの?と聞かれて写真を見ながら相談する間、なぜだか内緒で夜に家を抜け出しているみたいな、ちょっと悪いことをしている気分になった。
後戻りできないように、次に来る日はその場で決めた。


ブリーチ材はツンとしたにおいで目に染みる。
カラーを担当してくれる、私よりも若い男の子が真剣な顔でブリーチ材を髪に広げていく。初めて染めるのだと伝えたから、きっといつも以上に丁寧に時間をかけてくれるのだろう。
少し時間をおいてからブリーチ材を流すと、見事に髪の色が抜けて金髪になっていた。
毛先をつまんで光に透かして見ると、すっかり色素が抜けてキラキラしていて、ほんのり透明だ。
すごいなぁ…自分の髪じゃないみたい。
ひとしきり感動していると、面白いよね、といつもの美容師さんが笑う。
なりたいカラーはもう伝えてある。
後は染め上がりを待つだけだ。

染髪が終わって髪を乾かしても、まだ私には、自分がどうなったのかわからない。
眼鏡をかけたその時に初めて自分の髪がどうなったのかわかるのだ。
いつもカットもパーマもお任せだけど、今回ばかりはちょっとそわそわする。

じゃあ、かけてみて、と眼鏡を渡される。
いそいそと眼鏡をかけて鏡を眺めても、映るのは黒髪のいつもの自分だ。
そっと横から手が伸びて、サイドの髪をかき上げる。
「インナーカラー、こんな感じで入れたよ。どうかな。」

黒髪の中から出てきた深いボルドーピンクの髪の毛は、一見すると光の具合で明るく見えているような絶妙な色合いだ。
ハーフアップにすると、少しだけ赤がのぞくように、上品にカラーを入れてくれている。
まじまじと眺めたあと、後ろを振り向いて
「すごくいいです。」
と告げると、ほっとしたような顔で美容師さんは笑った。

初めてのカラーは、内側にひそめるようなインナーカラー。
髪を下ろしたままだと、ほとんど気づかれないだろう。
でも、それでいい。
内側に秘めたものはなんでも、わかる人だけわかってくれたらいいのだから。

日常はすぐに変わりはしない。
明日からも私は、周りに振り回されつつも仕事をこなす、黒髪で眼鏡のマジメな私のままだ。
でも私には、わかる人だけ知っている、秘密をもったまま会社に行くのだ。

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