研修医がロンドンに大学院留学して解脱するまで Ep.1 渡英

 出勤最終日は、関連病院の救命科での夜勤だった。「来月からイギリスの大学院に行く」というと、上級医たちは怪訝そうかつ羨ましそうな、微妙な表情で応援してくれた。先生たちが奮発して頼んでくれた高級弁当が控室に鎮座していのに、彼らが決まらない転院搬送依頼の電話を永遠にかけ続けているから全然食べられなかった。働く先生たちを尊敬と同情と空腹による苛立ちの混ざった複雑な気持ちで眺めていたのをよく覚えている。
 夜勤明け、家に帰ったら無職を実感してしまいそうで、そのまま在籍する大学病院に向かった。私物や白衣を使い古したトートバッグに詰め込み、ロッカー室から出ると、研修医控室には談笑する同期たちがいた。11時頃、暇な科を回っている研修医がちょうどまどろむ時間だ。当たり障りのない挨拶をすると、「あー海外の大学院に行くんだっけ、頑張ってね、元気で」など生暖かく身の入らない返事が数人から帰ってきた。
 その瞬間から約1か月間、渡航準備期間という名目で、この国で仕事も所属もない時間が始まった。高校の友人、大学の友人、など、久しく会っていない人たちに次々と会いに行った。楽しく有意義な時間であったと同時に、疲弊する時間だった。人に会って、留学することを伝えて、自分でも見えていない将来のビジョンを話して、まるでどこかのベンチャー企業の社長みたいだった(だれも助けてくれないし、出資もしてくれないが)。留学に行くのだ、という事実に目を向けられず、パッキングもろくに済まさず、言い訳のように人に会い続けていた。最後の人と会う約束が終わったとき、5日ほどしか荷物をつめる時間がなかった。とりあえず目についた冬服を詰め込んだ。
 出国当日、研修医1年間でできた友人1人と、母が見送りに来てくれた。もし一人で空港に向かっていたら、不安で途中で渡航をやめていたかもしれない。空港でも、飛行機の上でも、これが現実であるという感覚が全くなかった。飛行機の上で、いったい自分は何をしているのだろうという疑問と、一方これは必要な時間だ、向こうでイギリスですごく良い仕事、すごくいい仲間と出会えるかもしれないという気持ちの間で揺れていた。離陸するときと着陸するときの一瞬の緊張以外、現実感のある感覚がなかった。
 ヒースロー空港で荷物を受け取り、コスタコーヒーの店舗に入った。100Lのスーツケース一つと、修学旅行サイズの鞄一つだけを持った小さくひ弱な日本人。語学留学にでも来た学生にも見える風貌だっただろう。空港のどこまでも事務的な風景の中で、電波のない携帯電話を眺めて、この国には自分が頼れるひとは一人もいないという事実に思いをはせた。

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