だれも信じられないと思うきっかけになったのは昔の恋人のせいなのかもしれない。高校時代のことを思い出す機会があってぐるぐるそのときの恋人のことを思い出してあれ実際どんな関係だったんだろうって当時の日記帳を読み返したら恋人がうつ病の私にかけてくれた本当に救われるような心強い、優しい言葉を見て涙が止まらなくなってしまった。日記は大学生になるとだんだん日付が飛ぶようになって恋人の気持ちが冷めていくのがハイスピードで感じられてまた悲しい気持ちになった 思ったより早く関係が破綻していた 毎日つらい死にたいって言われたらそりゃ嫌になるよね、かつ気持ちも冷めてれば。頭でわかっているからきっと恋人のことを責められなかったし、今も責めることができないけど、気持ちは永遠に続くものじゃないっていう私のなんとなく思ってた予想を裏付ける経験になったのは間違いない。

恋人ができない。あまり人を好きだと思えないのは、この経験のせいなのか単に理想が高いのか他人に興味がないのかたぶんそのどれも正解だと思う。失敗してもいいから投げ込んでみなよ、ってよく言う言葉、実践してみたけどまだまだ私の心に変化を起こすほどではない。

いろんな人からあなたは十分よくやってる、肩の力を抜いて、と言われていたけど自分がダメ人間としか思えない病気の私に響くわけなかった。きっと今の私も彼女を見たら同じことを言うんだと思う。じゃあ私はどうすればよかったの?いつかいい経験になったと思える日がくるよと言った病院の先生、私は今おおむね元気だけどやっぱり高校時代の日記帳を読み返して全然晴れやかな気持ちにはならないし生きててよかった死ななくてよかったって思う気持ち全部帳消しにしたいくらいひどいひどい言葉にあふれていた。もうそのまましんでもいいよって思うくらい。ああもう戻りたくない。戻りたくない。戻りたくない!!!!職場は部署によってブラックなので本当に怖い。忘れかけてた気持ちを思い出した。眠れない夜、自分がいちばん理想的な状況で死ぬ想像をして心を落ち着けていたのだけど、読み返したらそれは高校3年生のときだった。もうちょっと後のことだと思ってた。高校生になんて思いをさせてるんだ?

去年、福祉を学んでいた同期から、かささぎは自分に自信ないでしょう、自己肯定感が低いのは親の育て方に原因があることが云々って言われてさ、でももう親のせいにしたって何も始まらないじゃん?自分の生まれ持った遺伝子や気質や性格、そういうものが結局根本的なものだし解決するにはそこに目を向けるしかないんだよって思ったし言ったんだけど、最初の恋人の話も一緒かもしれない。親も元彼も誰より私も未熟だったし無責任なこと言ったりしたりしてたんだし仕方ないじゃん。結局自分を変えられるのは自分だけなんだし。でもそうやって考えてるとどんどん人を深く信じることができなくなるし自分にはどうしようもないストレスをどうぶつければいいかやっぱりわかんない。信じ方が下手だったの?

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