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【セトラーがサポーター企業に学ぶ】進む少子高齢化。社会課題の解決に挑む和布刈神社の「在るべきすがた」とは

福岡と山口の県境。
関門海峡を目の前に望む九州最北端の神社が和布刈神社(めかりじんじゃ)です。
「神社を在るべきすがたへ」というビジョンを掲げ、神社の原点を守りながら社会課題解決に向けた挑戦を行っています。

和布刈神社はアナザー・ジャパン1期、2期のサポーター企業でもあり、今回、1期キュウシュウチームの山口と2期キュウシュウチームの鈴木でお話を伺いました。
1期から2期へとバトンを繋ぐ中で、門司の地で改めて振り返ったアナザー・ジャパンの原点について、今回は綴っていきます。


8月12日。
関門海峡花火大会を翌日に控えた門司港駅は、多くの人でにぎわっていました。
東京のうだるような暑さとは違う、潮風を感じられる心地の良い夏の気候を楽しみながら、私たちは歩いて和布刈神社に向かいました。

鳥居の真上を関門橋が通る絶景

▶和布刈神社はわかめを刈る神社⁉

お話を伺ったのは禰宜の高瀨和信さんです。
到着すると「暑かったでしょう」とお茶を出して、やさしく出迎えてくださいました。おいしいお茶をいただいて一息つき、高瀨さんに境内をご案内いただきました。

境内には拝殿、授与所、会館、母屋と4つの建物が立ち並んでいます。
拝殿の隣、しめ縄を掛けられた大きな岩が、ご神体「磐座」(いわくら)
です。

海に面した磐座。しめ縄は雲をイメージした形なんだそう。

高瀨さん:「神社では自然物に神が宿ると言われているんですが、海の上にある和布刈神社ではこの磐座に神様を祀り1800年もの間ここで見守られています。」

鈴木:「1800年も・・・!弥生時代まで遡りますね」

高瀨さん:「そうです。当時は建物もこの目の前の関門橋もなく断崖絶壁だったんです。この磐座が今でいう灯台の役割を果たしていました。西暦200年に神功皇后という当時の天皇のお后様が韓国に戦いに行く道中にこの海峡を通って、そこで海の神様に「満珠」と「干珠」という潮の満ち引きを操る珠をもらうんです。それによって戦いに勝ったお礼を込めてたてられたのが和布刈神社です。ご利益は「導き」で、潮の満ち引きを司どる月の女神をお祀りしてます。」

拝殿のすぐそばには海に面した鳥居があり、関門橋の下では荒々しい波が立っています。
満ち引きを繰り返してきた海と、それを1800年もの間見守ってきた磐座が向かい合う姿を見ていると、だんだんと心が落ち着いていくのを感じました。

高瀨さん:「毎年一回、この海に面した鳥居のもとで和布刈神事というわかめを刈る行事が行われるんですよ。これが名前の由来でもあるんです。」

和布刈神事の様子

鈴木:「和布刈の由来がわかめをかるということですか?どうしてわかめなんでしょうか?」

高瀨さん:「そうです。旧暦のお正月、朝の2:30は真夜中の一番寒い時で潮がずっと引くんです。そのときに神主が松明と桶と鎌をもって、わかめを刈り取る。わかめはお正月に自然物で一番初めに芽吹くものなんですよ。だから縁起物という事でわかめを刈り取って神前に供えるんです。」

鈴木:「それは知りませんでした・・!でも今と漢字が違いますよね?」

高瀨さん:「昔はわかめではなく「め」と呼ばれていたんですよ。海藻の側面が波打っていてやわらかいので和やかしい布と書いて、わかめを表していたんです。そして実は和布刈神事ではわかめだけではなくひじきも刈り取るんです。これは荒布(あらめ)といって、ひじきがとげとげしていることからわかめと対称においてそう呼びます。この二つを刈り取ることで満珠と干珠をもらった和布刈神社の始まりを表す行事が和布刈神事です。」

神社の由緒というと、漢字がたくさん並ぶ神様の名前や古文書にかかれる難しい歴史というイメージがありましたが、高瀨さんのお話は大変わかりやすく、また興味深いものでした。

高瀨さん:「小学生や外国の方にも由緒の説明をすることがたくさんあるんですけど、皆さん質問がとても面白いんです。鳥居やしめ縄、境内に敷いてある砂利なんか、日本人の大人にとっては当たり前のことでもこれは何ですか?どんな意味があるんですか?と聞いてくれたりするんです。だから難しい歴史の話なんかはほとんどしませんね。」

▶雨降れば神社はもうからぬ…神社の収益構造を変えたい!

高瀨さん:「私、神主になって14年目なんですけど、これが14年前の写真です。」

中央に映るのは寄付の芳名盤。朽ちてしまっている。

子どもからお年寄りまで、国籍も関係なく多くの人でにぎわう今の和布刈神社からは想像もつかない姿に私は少し驚きました。

高瀨さん:「大学を卒業して就職活動のために福岡に帰ってきました。就活の無い時は神社にいたんですけど誰も来ないし電話もならない。することがないから2年間くらいずっと草むしりをしてました。就活も、神主との兼業がしやすい仕事を探したんですけどなかなかいいところがなくて、神社の仕事だけで食べていけたらいいなと考えるようになりました。」

それまでの和布刈神社はお正月のみ空けている神社で、高瀨さんのお祖父様、お父様は普段は違うお仕事をしながら、お正月のみ神主としての仕事をしていたそうです。
そのため神社の収益はお正月三が日の賽銭、祈願、お守りに全て依存している状態。さらにその収益がいくらなのか把握していなかったというのです。

高瀨さん:「本物のどんぶり勘定ですよね(笑)子どものころからお正月だけで一生懸命やっている家なんだなという認識は持っていました。お正月に雨が降ると人が来ないから大変なことになってたんですよ。お小遣いは減るし・・お正月の1週間前から両親はずっと天気の話をしていて、そういう天気に振り回される人生は本当に嫌で・・・だからもし自分が神主になったらお正月に依存しない収益構造をつくりたいというのはずっと思っていました。」

草むしりをしながら2年間300円を毎日貯金したお金で駐車場を整備すると、少しずつ参拝客が増えるように。
そして、独学でHPを開設し、思い出があって捨てられないものを神社で供養する思物供養を始めると、全国から少しずつひな人形やランドセルと言った大切なものが送られてくるようになったと言います。

収益構造を少しずつ改善させていきながら、次に高瀨さんが注目したのが少子高齢化という社会課題でした。

高瀬さん:「町を見ていると若い人向けのお店がつぶれてデイケアが立ち、葬儀屋が立ち・・高齢者の方のための町になっていく様子を見て、高齢化社会の中で神社に何ができるんだろうという事を考え始めました。お葬式はお寺でやっているしなと一度は諦めかけたんですが、歴史を調べてみると元々は葬儀を神社でしていたことがわかったんです。」

仏教は6~7世紀に伝来した外来の宗教です。今は9割が仏式で執り行われる葬儀ですが、仏教が伝来する以前は、亡くなった方を小さな船に乗せて西向きに流すという葬儀が神社で行われていたのです。現代では火葬が法律で定められたことにより、古来の葬儀と近い形ということで、高瀬さんは海洋散骨の事業を始め、終活全体をまかなうことのできる事業へと成長させました。

高瀨さん:「2040年には170万人の人が亡くなると言われています。自分の周りの4人に一人が亡くなってしまうようなイメージです。これからやってくる大葬儀時代に合わせて和布刈神社では終活をひとつのパックにしました。生前整理、遺言や相続、お葬式のプラン、散骨、お墓まで、仏式のお葬式の平均は290万円なのに対して和布刈神社では43万円で全てをワンストップサービスで行うことができます。これまでの終活は、お墓は石屋さん、葬儀は葬儀屋さん、遺言や相続は弁護士さんと多岐に渡っていたのですが、窓口が神社ひとつにまとまっているというところも良い点です。」

今では終活事業が全体の収益の7割を占めているといいます。たとえお正月に嵐が来ても大丈夫。三が日に依存した収益構造から抜け出したのです。

▶終活事業、人事制度…「在るべきすがた」を求めて

これから先神社を続けていく中で何をやり何をやらないのか。悩んでいた高瀨さんは2016年の冬に中川政七商店にコンサルティングを依頼します。

高瀨さん:「僕はコンサルティングの中で中川さんから出される宿題がすごい好きだったんですよ。中川さんに宿題たくさんくださいって言うと、そういうこと言われるのは初めてだって言われました(笑)月に1回のコンサルティングの時間以外はずっとその宿題に取り組むような日々でしたね。」

鈴木:「特に思い出深い宿題はありますか?」

高瀨さん:「やっぱり一番はビジョンですよね。ビジョンとステートメントをつくるのに一番時間がかかりました。神社におさめられている膨大な古文書に目を通して、図書館にも通ってとにかく和布刈神社に関する資料すべてを調べ上げました。ご飯と寝る以外の時間はずっと資料を読むような生活をしていて、とても大変だったんですけどあれがあってよかったなとすごく思います。「神社を在るべきすがたへ」というビジョンの「在るべきすがた」というのは基本的なことなんですよ。和布刈神社はもともとちゃんと神社をしていなかったので。お供え物をしましょう。着物を着ましょう。挨拶をしましょう。そういった皆さんが神社ってこうだよねと思っている印象に戻すというか。基本的なことを当たり前にやっていきましょうというのがビジョンです。だから付加価値をつけるようなことはしないんです。とにかく削ぎ落して削ぎ落して原点に立ち返ろうというのが自分たちの中でも合言葉になっています。」


満珠・干珠の印は古文書の中で見つけた蔵板目録に記されていたものを使っている

また、高瀨さんにはコンサルティングを受ける中でどうしても整えたいものがありました。それが人事制度です。

高瀨さん:「コンサルではまだ早いと言われたんですけど、3回くらいお願いして、ようやく整え始めることができました。」

鈴木:「そこまで人事制度にこだわった理由はなんだったんですか?」

高瀨さん:「収益の形態が安定してきたころ、アルバイトではなくて神主さんが欲しいなと思い始めました。日本には神主の資格をとれる大学が2つあって、そこにいわゆる神主の卵がいるわけなので、最初はそこに求人を出すんです。だけど卒業生80人に対して求人は200社。みんな太宰府天満宮のような大きな神社に行ってしまうので地方の小さい神社に来る人は1人もいません。人手不足で困っていると大学の神職養成室に電話をかけても諦めてくださいと言われてしまって・・実際7年間大学からは1人も来ませんでした。それで、大学ではないところから募集をかけるようにしたんです。」

鈴木:「えっ、大学に行かなくても神主さんになれるんですか?」

高瀨さん:「はい。大学で資格を取る人たちは大抵実家が神社だったりするんですけど、そういう縁もゆかりもない人でも、1か月で神職の資格はとれるんです。それを費用もすべて神社側で負担して資格取得をあっせんするということをしています。」

大学で学ぶことは歴史と祭式の実技がほとんどで、神社をどのように運営するかという定量的な事については学ばないのだと言います。社会に一度出て働いた経験があるからこそ和布刈神社で輝けるという人も多いそうです。

高瀨さん:「でもいざ雇用をする前に、土台は整えなければと思って、人事制度の整備を急いだところがあります。給与も休みもそういった基本的な会社の水準に合わせた人事をしないと人が来ないだろうなと思って。」

求人サイトに募集を出してみると、1件当たりの応募数が平均7人であるのに対し、和布刈神社にはなんと40人もの応募が!「こんなに全国に興味を持ってくれる人がいるんだ」というのは驚いたたそうです。

また、基本的な給与や休暇の制度だけでなく、人事評価制度も同時に整えていったと言います。

高瀨さん:「神社は数字を求める場所ではないので何をもって評価をするかというところはとても難しいんですけど・・年々精度をあげて、今は5項目の年間目標というのを社員全員に毎年それぞれ決めてもらっています。お正月に、私と社員と1対1で話をして何をいつまでにやるかという目標を決めるんですけど、1度決まると皆さん自発的に目標達成のために動いていくんです。そこに給与も紐づけるようにして、評価制度もかなり整いました。」

社内の組織整備も進め、昨年には終活事業をフランチャイズで全国の神社に展開していくための会社も設立。神社の原点に立ち戻り、「在るべきすがた」を求める動きは全国へと広がっています。

そして、コンサルティングの最後の半年で取り組んだのが授与所の新装でした。
授与所とはお守りや御朱印を授与(販売)しているところのことです。元々は軒下に何十種類ものお守りを並べたお店のような授与所だったと言いますが、たくさんあったお守りは「満珠」「干珠」のお守り2種類に。お店のような雰囲気から、弥生時代の洞穴をイメージした厳かな空間へと生まれ変わりました。

高瀨さん:「お守りを出す場合は全国どこもそうなんですけど、拝殿で祝詞を奏上して鈴振りを行うんですよ。それをひとりひとりにできると良いなと言うのをすごく思っていて。ちょうど剥がれ落ちた磐座があったので、それを授与所において、ご神体があってお守りを重ね合わせてすずを振って受け渡すようにしました。生産性は下がるんですけど、ものでもなくて商品でもなくて、神様が宿っているお守りなので、荘厳な印象を受ける演出をしています。」


鈴振りの様子

澄んだ鈴の音が、お守りに込めた願いをよりずしりと心に響かせます。
たくさんの人に来てほしいからと親しみやすい場所へと変えるのではなく、この神域と日常空間にしっかりと線を引くことがこだわりであり、和布刈神社らしさ。
和布刈神社の目指す「在るべきすがた」がそこにはありました。

▶門司で振り返るアナザー・ジャパンの原点

アナザー・ジャパンへのご協賛について、高瀨さんは地域産品のお店を学生だけで経営するという点に興味をひかれたと話してくださいました。

高瀬さん:「お土産の語源は、宮笥(みやげ)という神社でもらえるお札をはる板とも言われています。昔は伊勢参りが人生最大の旅行で、行く人に自分の分まで祈願を頼んでいたんです。それで無事祈願してきましたよと言うので買って帰ったのが宮笥です。アナザー・ジャパンでもそういう地域に根差したものを販売されるというところで神社とご縁を感じたというのもありますね。」

私たちへの期待をお話くださる高瀨さん

高瀨さん「2期の方々にはぜひ1期を超えていただきたいです!1期目は誰も答えがわからない中でやっていく難しさがあったと思います。2期では1期が見ていなかったところをいかに見定めて整えるというところが大切で、そういった視点は社会に出てからもすごく役に立つと思うのでぜひ頑張ってください」

1期から2期へバトンを渡すこのタイミングで和布刈神社に伺えたことは、私たちの中でとても大きな意味がありました。高瀨さんが何度も繰り返した「原点」という言葉。
私たちの原点、それは「新しい発見と懐かしさを届け、もうひとつの日本をつくる」というビジョンです。
高齢化、人口減少が進む中で人々はますます都市へと移動し、東京とその他の地域という日本の構造は強まる一方です。しかし私たちは、日本にはたくさんの面白い地域があり、そこに根付く文化や紡がれる歴史、そこに生きる人々がかけがえのない地域の個性をつくっているということを知っています。
アナザー・ジャパンというお店は、ただ商品を届ける場所ではなく、商品を通してその背景にある地域の面白さを感じていただく場所なのです。
和布刈神社への出張で、その原点に立ち戻る大切さを改めて感じることができました。


アナザー・ジャパンの入り口に掛けられた幕は、鳥居の形をイメージしたものです。
鳥居の語源は「鳥が居る場所」。天岩戸隠れという神話の中で、岩陰に隠れてしまった天照大神を外に出そうと行われる宴の際、動物たちの集まる止まり木として丸太を立てたことが由緒とも言われています。

たくさんの人が集まり、そしてここから日本中へと出かけたくなる。アナザー・ジャパンがそういうお店で在り続けられますように。
私たちの鳥居が、遠く和布刈神社とも繋がっているような気がしました。

今回のライター:Sei Yamaguchi








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