欲深き我々

またまた信仰深希人の続きです。
先ほど思っていたことを書き残します。

私は海外に住んでいたことから、いろいろは宗教を信じる人達に
会ってきました。大半は生まれた環境が宗教が習慣的にあったから
信仰している人々です。
アメリカ、メキシコ、ブラジル、コロンビア、スペイン、イタリア、インド、タイ、台湾、香港、などなど。

殆どの人が日常『神』『主』『ジーザス』などを口にすることなく、週末に
なると教会に行ったり、習慣的に神社やお寺に行ったり、そんな感じ。
だから、横にいて宗教を勧誘するような人は友達にはいない。

基本自分の考えは宗教とは、弱い人間の心を救うBELIEF。
『信じる者は救われる。』
ダメージを受けた人が、『あなたは一人じゃないよ。』と
死を望もうとしている人たちを救ってくれる。
そんなグループたち。

人間は弱い生き物だから、そういう時の共有してくれるグループというものは素晴らしいと思う。しかし、一つではない。
宗教は、人の信仰は世界に万とある。
だから、他の宗教に対して評価し、差別するというのは間違えている。
自分がそうしないか?と問われれば100%否定はできない。
なぜならば、私は日本という宗教心がおそらく世界一薄いミックスカルチャー内で生まれ、風習というものがそれほどない東京で育ったから。

話せば長くなるが、戦後GHQが日本の深い文化を消し去り、マインドコントロールしたせいで、侍魂や大和魂が薄れてしまった。文化が半減したというバックグランドはあるだろう。

しかし、『日の出づる国』と中国に言われたように日本という国は特殊な
エネルギーを持っている。第二次世界大戦で日本が戦わなかったら、今のアジアは白人の支配下と化していただろう。歴史にIFはないが。

アインシュタインは宗教がロジックでないと言ったように、現実的ではないことは言える。なぜって?世界各国に神がいて(日本にも世界を作ったと言われる神がいた。)人は文化や教えで世の中を見たいように見ているから、
それぞれ『違い』が生じるのは明らかである。
それらほとんどが全て間違えていて、一つの神だ。と断言できる方がおかしい。だって、神が10あるとするならば、10がそのように断言するから。

だから本当は神は信仰をというよりは困ったときにポジティブに信じる力を
持つために信じやすい神を演出しただけの事じゃないか?と思う。
なので、いろんな神がいていい。しかし、他人の人権を脅かしたり、自由を奪ったり、傷つけたりすることが許される宗教というのは既に
独裁者の利用物となっている事に人間は気づかなければいけない。

人は欲がある以上、人をコントロールしようとしたり、自分を有利に見せようとしたり、他人の人権、所有物などを奪ったりする。生きるためと言いながら、私腹を増やすために自然を破壊する。人間が生きている以上それは
仕方がない事ではないだろうか。ただ、限度を決めなければいけない。
人間が仕切らなければいけない。
神が全てを作り出した創造主で、それが博愛心の元に行われたのであれば
当然、人間が悪行をする事を認め、それらを愛し、そこから改善していく
事を見届けるだけの許容を持ち合わせていないければ嘘である。

出ないとするならば、悪となるものを作り出したこと自体が間違えている。
人は元々改善する心を持ち合わせている。何度も何度も生まれ変わりそれらを少しづつ学んでいるから、バーバリアンのような性格から、多少なり秩序が生まれてきている。
その中でも突飛抜けて心がピースな愛で包まれた人々は、この世に存在する必要がなくなる。この世で学びを得る必要がなくなる。存在価値がなくなるので、『消える』という現象が起きる。
実際にオーストラリアのアボリジニやチベットの高い地位の僧侶などに
起きていたらしい。自分の死期がわかり、その場からいなくなるのである。

仏教家ではないが、仏教では肉体は『欲』である。と言われる。
なので、欲が無くなったら人間は生きていけない。
精神的に病んで欲が無くなったら、屍を残して魂が抜ける。
しかし、精神的にレベルの高い人は肉体をも消し去ることができるらしい。

インドには聖人がいて、分身の術が使えるという。
例えば、長い間Aという地域で瞑想をして、ある意味生きている屍のように
動かなくなった聖者が、違う地域Bで見受けられたという現象である。
香港でヨガを習っていた時にインド人のインストラクターに聞いたことがある。

また、本の名前は忘れたが、アメリカ人のグループで(おそらく戦後まもなく?)チベットを旅していたところ仙人たちに出会ったという。
その仙人たちは電気もとおっていない山奥になんと前触れもなく出現し、
彼らを豪勢な食事でもてなしたという。
火も使わずマジックのようにご馳走がテーブルの上に並び、キャンドルに火が付き、まるで映画を見ているかのようだったらしい。
彼らアメリカ人はその人たちとの会話等を本に残したのであるが、
現代人の生き方に憤りを感じているらしい。
すべて自然に反した生き方をしていると。

普通であれば、そんな話は信じられず脳の酸素値が下がり幻想を見たのではないか?と思われがちだが、その話を肯定することで『もしかしたら、本来の人間は現代人よりも科学では説明がつかないような力を持っていたのではないか?)と考える事ができる。
例えば、ピラミッド、マチュピチュ等はどのように進化論を信じるのであれば作れたのであろうか?と考えたときに何か腑に落ちるのでないだろうか?

宇宙人が画壁として描かれていたりする。宇宙人がつくった?と考える人もいる。それらが力を貸した?と考えることも可能だ。
例えば、忍者は現代では考えられないような動きや忍術が使えたという。
合気道の創始者である植芝盛平は1㎞先の虫の声が聞こえ、剣道の達人に木刀で頭を殴られても平気な顔をして、80をこえて150cmぐらいのがりがりのおじいちゃんになっても容易に動かせることができないほど力があったと言われる。または、中国の武術家は鉄の棒をも折り曲げたり、折ってしまったり、手刀で石を割ったり、頭で石の板を折ったりする。
インディアンたちはグループで歌を歌ったりして気分を高揚させ、真っ赤に燃える炭の上を裸足で歩くことができる。
実際にそれを体験したアメリカ人の家族(6歳ぐらいの子供も)会って話を聞いたことがあるし、テレビでもそのような事は見たことがある。

科学とは起きた事を証明する事であるが、起きたと人間が認識していなければそれは科学にならないし、認識できない出来事はこの世には一杯ある。
現に素粒子の存在を証明するのは実物ではなく存在したという過程からであるらしい。まだ人間の科学はその現物をとらえるまで行っていないという。
量子力学の世界では細胞の中にある電子に関して、二つある電子があるものでAという電子は右回りだったとするとBという電子は左回りであり、
実験でそれらをはなし、Aを左回りにすると同時にBが右回りになるという。
これは何が言いたいかというと、ミクロの世界では時空を超える。
時間と距離が関係なくなる。と私は理解する。
この発想が正しいかどうかはわからないが、電子を何万メートルも離し、損の実験をやったとするならば、光を超えるスピードでAからBへ連絡がいくと思われる。これは意志の世界がそうではないかとおもう。
アインシュタインは光を超えるスピードの物は存在しないというが、
ミクロの世界では存在するという事にある。

意志はものではない。と言われるかもしれないが、
日本が開発したスーパーカミオカンデという装置により人間がこの世に誕生する前から宇宙を流れていると言われるニュートリノが観測できた。
それは質量を要さないと言われていたらしいが、新しい発見であった。
『質量とエネルギー』が存在したという。

これは私の理解では、目の見えないものでもそれを成り立たせるための情報とエネルギーが存在する。だからビッグバンが成り立つ。
ビッグバンは何もないところから要するにゼロから生まれるという発想だと思うが、そうではなく、『何もない』というのは存在しないのである。
元々『意志』がそこにあり、その意思は『情報とエネルギー』であることから物事を作り出せ、今の宇宙となったという方が私には理屈に合うのである。

この世の中には説明がつかない出来事がいっぱいある。
例えば何万件もの証言がある臨床体験である。手術後死んだと報告された人々がまた生き返り、その生き返るまでに病院を魂が浮遊していた為、見ることができるはずのない物を覚えていたり、言ったことがないはずの病院の屋上を鮮明に説明できたり、手術中みていない聞いていないはずの看護師の話を知っていたりと、実体験をした人々がいっぱいいる。
幽体離脱をする人々もいる。
私も睡眠中魂が体から抜ける体験を何度かしたことがあるが、
その原理を理解できたのはアメリカのすでに故人となっているロバートモンロー氏の研究である。その方は金縛りや幽体離脱を誘致するヘミシンクというものを作り、学校を設立して世界中のスピリチュアルの方々が毎年セミナーを受けに行っている。

また、生まれ変わりを報告している人々がいる。
通常生まれてくる赤ちゃんは前世の記憶を持ち合わすはずがないのであるが、世の中には何万という子供が明確にその記憶を持って生まれてきている。そんな報告が医者からされたり、その当人からされ映画化されたり、
本になったりしている。知らないはずの何十年も前の歴史にも出てこない事実を語り始めてる子供たちもいる。
しかし、それらの記憶は大人になるにつれて忘れてしまう。

忘れない人たちもいる。
私の知っている代表的な人は正木和三氏である。彼は3000以上もの発明をして特許を取らないから大手がそれを製造販売している商品がいくらでもある。代表的なものは炊飯器や自動ドアである。
この人のホームページは今でもあり、霊的に高い人々に生まれ変わっていたらしいので、どのような前世だったのかは見てもらえば載っている。

このような話を『偶然』『嘘』と決めつけて聞く耳を持たなければ
人間の見識や将来の可能性は無くなってしまう。お気づきかもしれないが未来に対するアニメやストーリーはすべて妄想から始まり、それが現実化されているのが現代ではないだろうか?
量子学は将来スピリチュアル的な事を証明してくれる科学である。

科学を否定してしまう宗教は、どうなのだろうか。


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