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今ある幸せ

小学生の頃、毎日朝学校に行く前に『ハヤテ』という柴犬に
挨拶するのがルーティンだった。
3年前リンが来てくれた。
長~い期間待ったが、柴犬を飼えるようになった。

両親はいつなくなるかわからない年と疾患の持ち主だが、
まだ生きてくれている。
子供たちも出来が良いとは言えないが、
笑顔を与えてくれている。
妻はこんな自分にずっと文句を言わずについてきてくれている。
だから毎月収入がない時でもお金を欠かしたことはない。

自分は色んなところ足りないところある。
こうなりたい、あぁなりたい。欲はたくさんある。
例えば、自分の人見知りする部分。
人前で自分の潜在意識が圧迫をかけずに制限をかけずに
調子いいと記みたいに思考にとらわれないような発言ができる
人間だったとするならば、恐らく
自分で言うのもおこがましいが、モテてモテてしょうがなかった
『かも』人生には、『IF』という言葉はないというが、
もし、このような自分の弱点がなかったとするならば、

女たらしになり、ロックスターのように遊びまくっていたのかもしれない。
そうでなくともある時期は遊ぶことが学びだった。
相手の事を思いやるよりも自分の欲が先行していた。
しかし、人前が怖くなることで、『観察』する事の方が
話す事よりも普通になっていた。それに加え武道や書道の鍛錬から
目で見て学ぶ方が発言によって聞き出し理解するよりも習慣化された。
典型的な日本人かもしれない。

長い年月をかけて中年を超えるころに
自分のデメリットが本当は今の幸せを引き寄せてくれたのだなぁと
自分を認めてあげられるようになってきたのかもしれない。

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