2011年8月2日9時58分

よく晴れた、暑い日だった。

信州の夏は、天が近いぶん日差しは強いものの、湿度は低いから日陰に入れば過ごしやすい。職場は冷房の効いた過ごしやすい環境だったが、会社に着いて駐車場から更衣室に向かう僅かな時間で「今日も暑くなるな」と思った。歩道脇の芝の緑が鮮やかだった記憶がある。
その情報が入ってきたのはお昼休みだった。当時は昼飯を食べたあと、薄暗い横になれるスペースで15分くらい目を閉じるのが日課だった。アラームが鳴ったら携帯でtwitterをポチポチして、午後の仕事に向かう。同僚がiPhone3GSか4か、少し待つと4Sが出そうだから悩んでいると熱っぽく語るのを聞き流していた私の携帯はガラケーで、小さい画面で小さい文字を流し読みしつつボンヤリした頭で更新ボタンを押すと、それは流れてきた。

松田直樹が、倒れたらしい。

一気に目が覚めた。真っ先に確認したのは練習場だ。当時のかりがねはまだ自転車の練習場で、アルウィン近くの松本市営サッカー場は完成したばかり。選手の大半がアマチュア契約の市民クラブだった松本山雅は、市内の練習場を転々としていた。中には車の陰で着替えるしかない練習場もあり、そういうところは大体が市街地から離れたところにある。梓川ふるさと公園。アルウィンのバックスタンドから右手、アウェイサポーターが陣取る向こう側に見える北アルプスの山並み。その麓にある練習場だ。よりにもよって、というフレーズが浮かぶ。松本市の中心部から車で30分はかかる。
嫌な汗が出た。心停止から蘇生処置までにかかった時間と生存確率のグラフが頭をよぎった。1分なら90%助かるが、4~5分で50%を切り、10分を越えると絶望的。クラクラした。TLには松田の生命力に賭けるというフレーズが流れていたが、医療関係者らしい彼のツイートはかえって事態の深刻さを示していた。

白くなった頭で仕事をこなせたかは覚えていない。帰宅後のニュースで中村俊輔や田中隼磨が病院を見舞った場面を見たような気はするが、その映像が当日なのか"終わった後"なのかは定かではない。数週間後に思い出そうとして数日分の記憶が無いことに気付いた。次の記憶は金曜夕方の「行くJ!山雅TV」である。


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