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日本酒のお話 〜 勝駒と射水神社

今回は富山県のお話です。
富山県、つまり越中国の総鎮守一宮の射水神社にお参りしました。
富山県高岡市に位置する射水神社は、城郭を公園にした所にありました。

射水神社

階段を上がったり降りたりしながら、駐車場からたどり着いたのがこちら。
ご祭神は瓊々杵尊(ニニギノミコト)です。ご神徳と県民の皆様の努力の賜物で、何気にお米が美味しく、寿司も美味しいイメージがあります。

地元の回転寿司

白海老やのどぐろを頂きました。お米も表示は富山米でしたが、やはり美味しいですね。堪能致しました。
で、上の射水神社の写真の右側に菰樽が積み重ねてあるのがお分かりでしょうか。
こういうのを見ると、つい調べてみちゃう訳ですよ。
勝駒…高岡市の蔵元のお酒だ!ってんで、扱っている販売店を探したら、射水神社からさほど離れていない酒屋さんが見つかったので行ってまいりました。
最初は明らかに辛口寄りの味ですが、辛味や苦味が強烈な自己主張をすることなく、上手くまとまったお酒です。食べ物の味をそれほど選ばないバランス感覚が好ましいお酒です。
水の旨味を感じるのも勝駒の良さなのでしょう。

勝駒・本仕込特別本醸造

で、この勝駒ですが、私が行った酒屋ではこの特別本醸造の四合瓶が1500円でお釣りがくる価格でした。基本的に酒作りに専念しているのか、蔵元の清都酒造さんでは直接の小売はしていない様です。つまり蔵元の売上は上記小売価格の6割か7割か、まあそこらな訳ですよ。その価格で実直に自社の生産能力の範囲で酒作りをしている訳ですが、某巨大ネット販売サイトで勝駒の本醸造四合瓶の売価を見て驚きました。もうアホらしくてここには書きませんが、昨今の日本酒事情…それも地酒の特定名称酒の一部がやたらと持て囃される…の歪さがよく表れている様に思います。正規小売価格の数倍の末端小売価格がもたらす利益は、果たして蔵元には良い作用をするのでしょうか?
高値がつく、つまり幻の名酒みたいなイメージや風説が流布すれば、確かに蔵元は作った日本酒を殆ど売り切ることは出来るのでしょうが、一方で正当なお酒の味の評価は得難くなる様にも思えます。ン千円も出して買った日本酒なんだから美味いに決まっている、いやさ美味くないと困るという心理が働いた状態で飲む訳ですから、口コミ評価もインフレ化するでしょう。場合によっては蔵元が生産量を増やすかもしれません。そうすると希少価値が下がってフツーの地酒扱いになりかねません。灘や伏見の大手メーカーの様に、元々適正な小売価格で大量に生産する体力がある蔵元ならその様な変動とは無縁でしょうが、地酒の蔵元が幻の…で生産量を増やしたわ、かつてのレア物感が薄れて売れ行きはほどほどになってしまったわ、となったら決して良い状態とは思えないのですが、実際のところはどうなのでしょうか?

日本酒に限らず市場価格はメーカーの出し値で決まるのが本来の姿です。定価が1万円の品物の代理店や商社への仕切率が65%なら、メーカーは6500円の売上になる訳です。そこに代理店やら特約店やらの利益が乗っかって、最終の小売店での価格が定価になる訳です。この末端の小売価格が定価を上回るのを、世間一般では
ぼったくり
と言うはずです。
メーカーの出し値はその商品の実質価値を表しています。
1万円の定価の品物を1万円で買ったお客さんは、6500円の価値の商品を1万円で手にしている訳です。
しかしこれが末端小売価格が3万円になっていたらどうでしょう?3万円も出しているのに6500円の価値しか得られない訳です。見方を変えれば、定価1万円の品物をメーカーが仕切率35%で出したらどうでしょう?その品物は元々3500円の価値しかない訳です。本日20%引きで1万円の品物を8000円で!と言われても、元々の商品価値は3500円なりの価値である訳です。市場価格はメーカーの出し値で決まるのが本線というのはそういうことです。
正規小売価格が1500円弱の本仕込特別本醸造酒が、末端の実勢価格がン千円になっていても、お客さんが味わう価値が上がる訳ではありません。にも関わらず風評や口コミだけがインフレ化しているのは、結局は業界をおかしくしてしまう様な気がしてなりません。
この勝駒の本仕込特別本醸造は、上で記した通りの良い味わいの日本酒だと思いますが、同程度〜プラスマイナス数百円くらいの価格帯の他の蔵元さんの日本酒に、勝駒に負けず劣らずの良酒が揃っています。
なので買うなら正規小売価格で販売している、高岡市の地元の酒屋さん等から買う人が増えたらな、と感じた次第です。

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