見出し画像

シリーズ「新型コロナ」その13:PCR検査は調査目的で行っている?

新型コロナウイルス対策の4象限

■国は検査件数を抑えることで感染者数を少なく見せたい?

あなたは知っているだろうか、国がやっているPCR検査は、治療につなげる目的ではなく、調査のためだという事実を?!
すべてのPCR検査がそうだとは言わない。少なくとも、医師ないし医療機関が依頼して行われるPCR検査は、明らかに治療につなげるためである。
ところが、国や地方自治体、あるいは関連機関が行う場合には、積極的に医療機関へとつなげる目的ではなく、疫学調査のために行っているというのだ。

2月27日の衆院予算委員会で、立憲民主党の川内博史議員が驚きの質問をした。
25日に厚労省の研究機関「国立感染症研究所」から北海道庁に3人の専門職員が派遣された。この3人は、政府が策定した基本方針に記載のある〈入院を要する肺炎患者の治療に必要な確定診断のためのPCR検査〉の実施を必要以上に強調。暗に、「軽症の患者は検査するな」との意向をにおわせ、それ以降、道職員や保健所職員の間で『重症者優先』の空気が生まれてしまい、『感染疑い』の人がなかなか検査してもらえなくなってしまったという。
同議員は、国が検査件数を抑えることで感染者数を少なく見せたいがために検査を妨害している疑念があるとした。
参考:日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269709

これに対し、3月1日、国立感染症研究所所長の脇田隆字氏が、同所のサイトに「新型コロナウイルス感染症の積極的疫学調査に関する報道の事実誤認について」と題する記事を掲載した。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/others/9441-covid14-15.html

この記事の中で、脇田所長は、当時北海道に派遣された国立感染症研究所の職員が、PCR検査について「入院を要する肺炎患者に限定すべき」と発言し、「検査をさせないようにしている」との疑念を抱かれ、それが一部報道されたことを指摘し、それが事実誤認だと述べている。

■国がPCR検査をするのは疫学調査のため

同所の職員が「検査件数を抑えることで感染者数を少なく見せかける」目的で派遣されたのではないとしたら、彼らは何の目的で道内に入ったのか。
脇田所長は「積極的疫学調査」のためだと述べている。
感染症が流行した際には、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」第15条に基づき、「積極的疫学調査」が実施されるという。
厚労省によると、「積極的疫学調査とは、感染症などの色々な病気について、発生した集団感染の全体像や病気の特徴などを調べることで、今後の感染拡大防止対策に用いることを目的として行われる調査」だそうだ。つまり、感染者を確定し、医療へつなげる目的ではない、ということだ。

脇田所長は、この積極的疫学調査とは、何を目的として行われるのか、同記事で次の3点を挙げている。
〇感染伝播の状況を把握するため
〇今後の感染拡大防止対策に用いるため
〇感染の拡がりを、集団感染単位(クラスター)ごとに封じ込め、地域や国全体の感染の抑制、収束に至らせるため

この3つの目的にてらし、検査で陽性者が出たら、職員は何をするかというと、次の2点らしい。

〇PCR検査によって感染が確定した人の接触者に何らかの症状が出た場合に、PCR検査によって感染の有無を確定すること
〇感染があることが確定すれば、次の感染伝播を防ぐために、その人の接触者に対して、行動の制限を依頼すること

ここでも、「治療が必要な感染者をいちはやく確定し、医療へとつなげるため」という目的は、いっさい触れられていない。
その理由は、職員にはその権限がないからだという。

「積極的疫学調査では、医療機関において感染の疑いがある患者さんへのPCR検査の実施の必要性について言及することは一切ありません。」
「医療機関を受診する患者さんへのPCR検査の実施可否について、積極的疫学調査を担っている本所の職員には、一切、権限はございません。」

調査はするが、権限がないので、医療機関と連携して感染者を救済する気はない、ということらしい。

■国は人命救助する前に調査に協力しろと言っている

同所長は、同記事でさらに次のように述べている。

「感染者や接触者の皆様におかれましては、大変な状況のなかで、積極的疫学調査の趣旨をご理解いただき、ご協力くださっていることに心から感謝申し上げます。皆様の多大なご協力によって、新型コロナウイルス感染症への理解が進んできております。どうぞ今後ともご協力をよろしくお願い申し上げます。また、気になる症状がございましたら、管轄の保健所や帰国者・接触者相談センターにご相談ください。」

この所長は、苦しんでる感染者に、あくまで「管轄が違うので」という理由で「われ関せず」を決め込んでいたいらしい。
どうやら、多くの感染者が苦しんでいる中、私たちは国から調査に協力するよう依頼されているようだ。その目的は、国がその感染症を理解するためだという。治療を望むなら、しかるべき医療機関に相談しろ、というわけだ。

つまり、こういうことだ。目の前に、深刻な感染症に罹患している疑いのある人がいて、一刻も早い医学的処置が必要かもしれないのに、権限がないので、人命救助する気はない。本人のかわりに医療機関に連絡してやる気もない。これが「積極的疫学調査」なのだ。
「私は感染しているかもしれません。すでに症状が出ています。不安です。あなたが専門家なら、どうか助けてください」
「いやあ、私にはその権限がないので」
「じゃあ、せめて治療してくれる病院なり何なりを紹介してください」
「情報を提供することは構いませんが、その前に調査に協力してください。私は感染の現状や病気の特徴を調査するために来ているので・・・今のあなたの状態は、どのようなものですか。あなたはいつ誰とどこで濃厚接触しましたか・・・」
溺れて死にそうな人間が、レスキューを呼んでほしいと訴えても、自分にはその権限がない、自分の目的はあくまで調査だから、まずはその調査に協力してほしい、というわけだ。

これは、職業上の権限の問題だろうか。感染者数を実際より少なく見せたいかどうかの問題だろうか。いや、違う。目的と手段を完全にはき違えているのだ。
PCR検査を実施する目的とは、第一義的に「人命救助」であるべきだ。所長が挙げている3つの目的は、人命救助を前にしては、遥か後方へと引っ込ませるべきものだ。私は何も「調査をするな」と言っているのではない。まずは人命救助が最優先、そうした行動をとることによって、結果的に疫学調査にもなる、という優先順位であるべきだ、と言っているのである。
目的が何であれ、やることは同じはずだ。どのみちPCR検査はやるのである。しかしその行為の目的が違えば、結果の取り扱い方はまったく違ってくる。PCR検査は、あくまでその目的のための手段なのだ。手段はいくらでも交換可能だ。しかし目的を間違えれば、救える命も救えなくなる。

■今こそ「ブラッドシフト」のための構造改革を!

私たちが何のために今、自分の生活も家族も犠牲にし、未来に不安を抱えながら外出も仕事も自粛しているかといえば、それは「間接的人命救助」のためである。そのために「行動変容」しているのだ。生活も仕事も「通常営業」ではあり得ない。いつ通常営業に戻せるかもわからない。そんな状況に必至で耐え、協力しているのである。そんな中、そうした最も重要な目的の最前線にいる専門家が「通常営業」でいいのか。真っ先に超法規的な「行動変容」を積極的に示さなければならない立場ではないのか。

同所長の脇田氏は、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の座長でもある。国の直轄機関であるこの専門家会議は、本来「国民」「中央行政」「地方自治体」「医療機関」の4者を太いパイプでつなぎ、4者一丸となってこの国難を乗り越えるための「旗振り役」であってしかるべきだ。そんな重要な機関の責任者が「調査」と「医療」(つまり「国」と「国民」)を分断させるような真似をして、どんな立派な対策を立てられるのだろう。
実はここにこそ、現在の日本の感染症拡大防止対策の根本的な問題が隠されている。「国」「地方行政」「医療機関」の連携がとれていないのだ。「調整すれども連携せず」なのだ。PCR検査が足りていなかったり、滞っていたり、「検査トリアージ」を余儀なくされたり、あるいは医療現場が崩壊しかけているのも、関係機関全体に連携がとれていないことに根本的な原因がある。

私は、このシリーズその2で、スカンジナビア航空が経営難から奇跡的にV字回復した際に、新しい経営責任者が現場に徹底させた「物事の優先順位の付け方」について言及した。今こそ日本は、「人命救助」を何よりも優先させる施策を取るべきだ。
そのために必要なことは「ブラッドシフト」であると述べた(シリーズその3参照)。日本列島を人体に例えるなら、「医療機関」という今もっとも重要な臓器への血流が圧倒的に足りていない。他の臓器への血流を最低限にしても、医療現場に優先的に血を送り込むべきときである。そのために私たちは自分たちの活動を必要最低限にしているのだ。
そして、このブラッドシフトを実現するために必要な組織の構造改革として、シリーズその10では、ケン・ウィルバーの「4象限理論」を応用した緊急提言を行った(この記事冒頭の図も参照)。今こそ直ちにそれをやるべきである。さもなければ、日本列島というこの「不沈艦」は沈没するだろう。

同所長は、事実と異なる報道をしている報道機関に対し、同記事の最後にこう述べている。

「こうした報道は、緊急事態において、昼夜を問わず粉骨砕身で対応にあたっている本所の職員や関係者を不当に取り扱うのみならず、本所の役割について国民に誤解を与え、迅速な対応が求められる新型コロナウイルス感染症対策への悪影響を及ぼしています。
報道に携わる皆様におかれましては、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」とその運用、ならびに本所の役割をよくご理解いただき、新型コロナウイルス感染症の急速な感染拡大の防止にご協力くださるよう、お願いいたします。」

この所長は、この国難に及んで、あくまで法的原理主義を貫き、世論を映す鏡である報道機関を非難し、国民の利益よりも国の利益のために国民に寛大な理解と協力を呼びかけ、自分自身の「行動変容」は棚上げにしている。事態がうまく終息へと向かっていないことを反省すべきは、国民か、報道機関か、それとも・・・。
私はついつい考えてしまう。脇田所長が同所に入所したときの「志」とは何だったのだろう。深刻な感染症から人々を救うことではなかったのか。それともあくまで法律を遵守し、有事に至っても自分の立場を踏み越えないことだったのか?


無料公開中の記事も、有料化するに足るだけの質と独自性を有していると自負しています。あなたのサポートをお待ちしています。