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チンパンジーに「閉経」はあるか?

考えてみると不思議なことなのですが、ヒトは何歳まで繁殖できるのかという年齢的な上限には、男女差があります。ヒトの女性は閉経して中年以降に繁殖力を失い、それ以降は新たな子供を妊娠できなくなりますが、男性は中年以降も繁殖力を維持し、受精可能な精子を生産しつづけます。

この繁殖年齢の上限の男女差には、「おばあちゃん仮説」(「祖母仮説」と呼ばれることもあります) という進化的な説明がなされています*1。ヒトは進化の過程で、母親以外の個体も育児を積極的に手伝うことと、大人から子供に食物を与えて離乳を早く終わらせることによって、短期間にたくさんの子供を産むことができる性質を獲得しました。しかし、たくさん子供を産めばそれだけ手がかかります。ヒトやその祖先が進化してきた環境では、老年になっても自分で子供を産んで育てるよりは、自分では繁殖をやめるかわりに娘や息子の産んだ孫の子育てを手伝うほうが、結果的にたくさんの子孫繁栄につながったため、閉経後も長く生きるという性質が進化してきたというものです。

このおばあちゃん仮説、「仮説」という語がついてはいますが、ヒトの女性が閉経後も長く生きることの説明として、現在の人類学では広く受け入れられています。ただし、ここでひとつ問題になってくるのが、それではヒト以外の霊長類には本当にヒトで見られるような「閉経」がないのか? という疑問です。

今回紹介するのは、比較的大規模なデータをもとに、野生チンパンジーにヒトのような「閉経」があるかを調べた研究です*2。


チンパンジーの閉経を調べる

Emery Thompson博士たちの研究グループは、6ヶ所の野生チンパンジー調査地で長期間 (長いところでは40年くらい) 記録されつづけてきたチンパンジーの老いと繁殖に関するデータをもとに、野生チンパンジーのメスの繁殖の履歴を調べました。対象となったチンパンジーの個体数は、合計で165個体にのぼります。野生の個体を対象にしたものとしては、これは相当大きな数字です。

データを集計した結果、チンパンジーのメスの出産率は40代で急激に低下しており、繁殖上の老化が見られました。ヒトの狩猟採集民でも出産率は40代で急激に低下するため、この数字だけを見ると、チンパンジーにもヒトと同じような「閉経」があるように見えます。

しかし、出産率とあわせて生存率を見ると、チンパンジーでは両者の低下が一致していたのに対し、ヒトの狩猟採集民では、生存率がまだ高い段階で、出産率の低下が起こっていました。このことが示唆するのは、チンパンジーのメスでは、歳をとると不健康な個体が繁殖力を失っていくのに対し (逆に言うと、健康な個体は歳をとっても繁殖力を維持している)、ヒトの女性では、健康な個体であっても、歳をとるとおしなべて繁殖力を失っていくということです。ちなみに野生チンパンジーでも、長生きな個体は50年以上の寿命があることがわかっています。

したがって、加齢にともなってメスの繁殖力が失われていくという現象はチンパンジーでも見られるものの、その様式はヒトの「閉経」とは異なることがわかりました。チンパンジーの場合には、体力が低下したり健康が害されたメスが繁殖力を失うのに対し、ヒトの場合には、体力や健康にあまり関係なく繁殖力が失われていくのです。


おわりに

ヒトの女性に進化的に備わった、寿命に対して早く閉経が起こるという性質が、現代の日本社会ではまた新た問題を引き起こしています。血のつながった子供をもちたいと望む女性やパートナーが、妊娠・出産が可能な「タイムリミット」までに、そのための社会的・経済的基盤を整えようとすると、しばしば非常なストレスに直面します。不妊治療などで生物学的なリミットを広げることはできますが、限度があります。社会的・経済的に、こうしたミスマッチを解消していく手立てが必要かもしれません。
(ぬかづき)


*1 Hawkes K, O’connell JF, Blurton Jones NG, Alvarez H, Charnov EL. 1998. Grandmothering, menopause, and the evolution of human life histories. Proc Natl Acad Sci 95:1336–1339.
*2 Emery Thompson M, Jones JH, Pusey AE, Brewer-Marsden S, Goodall J, Marsden D, Matsuzawa T, Nishida T, Reynolds V, Sugiyama Y, Wrangham RW. 2007. Aging and fertility patterns in wild chimpanzees provide insights into the evolution of menopause. Curr Biol 17:2150–2156.


なお、トップの写真は、イチジクの実を食べるヒガシチンパンジーの若いオスです。(おばあさんの写真を探したのですがみつからず……)

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