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若者は常陸が読めない話で思った事

若者は常陸が読めない―――

他者比較を行う事で自己優位を欺瞞し、悦に浸るしょうもない層をあぶりだせる格好のニュースと感じた。

「文化や日本史の教養が無い若者の知識の貧困化」
「若者は読書量が少ないから教養がなくなっている」

というような恥ずかしい妄言を唱える奴が、予想通りちらほら散見された。
今の若者はゆとり教育は脱しているし、特に読書量でマウント取ろうとしてる奴はぜひ、反対意見の読書家と読書量マウントバトルして相関性を証明してもらいたいものだが、根本として若者の読書量はさほど減っていない話が有力だ。
90年代一番最悪でガッツリ増えていると言っても過言ではないらしい。
関連する出版業界などはITなどで逓減…というか一気に下落しているためこの辺りの騙すには都合の良いグラフを用いて印象操作をしているのが実情だろう。
まあ実際に減っていようが読書と教養との因果関係すら妄想だけでまともに存在しない為にどうでもいい部分なのだが。

まずこの恥さらしの連中に一番言いたいのは自分がたまたま持っている専門的知識を普遍的な物として他者を貶める行為はなかなかに頭が悪い。
例えば中学生の授業にもついていけないような馬鹿が音楽理論をかじり始めて、調性の規則を学んだとしよう。
こんなもんそれを専攻したり興味ある連中なら当たり前の知識で何を今更くらいの感覚だろう。
だが、それを外に持ち出して「そんなことも知らないとか馬鹿なのかお前は?」って恥を晒すような言動、まともな人間が出せるだろうか?

他の例なら哲学で界隈で絶対知ってそうな話をすれば「コギト命題にどういう意味があるのかを今の若者は知らない」って私が放ったらどうだろう。
デカルトなんかみんな知っている人物だし、コギト命題を聞いた事ない奴なんかほぼ確実にいない(という私の主観も実際の常識とズレがあると思うから、知らなかったら自分の常識という偏見を再修正するだけである)と考えるが、それにどういった意味や目的があるかを知ってる人は、恐らくは世間的にはかなり限られている筈だ。(言うまでもないが、それくらいわかると返されたところで、つつく専門性を伴った矛はコギトに限らず、イデアでもイドラでもモナドでも何でもいい)
しかしそういう身内や界隈に身を置いている人間からすれば、身近では全員知っているが故に常識的に感じてしまう。

そしてそういった人類が総じて備えている誤ってしまう認知(バイアス)への自省の能力が欠如しているからその想定が出来ない。
つまり知能の低さを自ら証明しているようなものである。

彼らは

私はこれについて知っているのに、あいつはそれを知らない。
故にあいつは私より無知である。

と考えているようだが、特別な事情もなく自己と他者を非等価で推測するのは賢いとはいいがたい。
対等な条件の中で差異があるのであれば、それを補完する何かを持っていると考える方が合理的だろう。

よって

私はこれについて知っているが、あいつはそれを知らない。
故に同様にあいつは私の知らない事を知っているだろう。

が最適解になると思われる。

再度言うが、それを前者の様に自分の権威を演出するために都合よく解釈できるのであれば、それは著しい知能の欠如と判断しても差し支えあるまい。

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