クリムト展7087

“第九”を視覚化したベートーヴェン・フリーズの空間も。東京都美術館の「クリムト展」

「クリムト展 ウィーンと日本1900」2019.4.23~7.10【東京都美術館】

19世紀末のウィーンを舞台に、それまでの西洋美術が目指した“現実の再現”にとどまらず、その世界観を抽象化して結実させたグスタフ・クリムト(1862-1918)。そこに描かれているのは、生命であり、目には見えない心の中でもある。

ウィーン近くのバウムガルテンで金工師の長男として生まれ、工芸美術学校で学んだクリムト。工芸と絵画を融合させた煌びやかな黄金様式で知られるクリムトだが、そればかりではなく、端正な写実による肖像画や、印象派の表現を踏まえた風景画も残している。彼の世界を紐解くのは、生涯でも変化が感じられる豊富な作品、プライベートな心情を伝える手紙、世紀末ウィーン芸術の潮流とのかかわり、そして、日本美術コレクション。没後100年を記念した、過去最大級のクリムト展が東京都美術館で始まった。

展覧会のChapter 1. に登場する《ヘレーネ・クリムトの肖像》(1898年 ベルン美術館)は、亡き弟の娘を描いたもの。伝統的な横顔の構図を用いた、どこまでも愛らしく、印象深い作品だ。クリムトの描く女性は、なぜ皆美しいのだろう。そう思うことは多いのだが、このわずか6歳の姪ヘレーネの肖像は別格であったかもしれない。

また、Chapter 6. の《アッター湖畔のカンマー城Ⅲ》(1909/1910年 ウィーン、ヴェルヴェデーレ宮オーストリア絵画館)は、印象派の手法を用いながらも、正方形の画面を使ったり、双眼鏡を通して見た風景を描くなど、独自のスタイルを感じさせる。ここには、新たな視覚表現に挑戦するクリムトの姿勢を見るようだ。

そして、本展の中盤には《ベートーヴェン・フリーズ(原寸大複製)》が登場。“フリーズ”とは、神殿の柱の上部の横長の帯状装飾を意味する建築用語であり、ムンクは 1890年代に描いた自身の連作を《生命のフリーズ》と位置付けてもいる。

アカデミックな芸術様式から分離しようとした芸術家グループが、“分離派”であり、1902年の第14回分離派展では、マックス・クリンガーが完成させたベートーヴェン像を分離派会館の中央の展示ホールに置き、左翼ホールにはクリムトが《ベートーヴェン・フリーズ》を描いた。総合芸術を志向する展覧会の中で、当初は一時的な作品として制作されたものだったというが、今ではクリムトの代表作の1つとなっている。

再現された室内空間に立ち、《ベートーヴェン・フリーズ》を見上げると、三方を飾る「幸福への願い」「敵対する力」「歓喜」が、大きな絵巻のように展開する。人間が希求する“幸福への願い”から“歓喜”へ。ここに、生命の歓びや芸術家としての自らの戦いをも重ね合わせていたのだろうか。
この分離派展の初日には、グスタフ・マーラーが楽団員とともに来て、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏したという。

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