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【身延線の駅から】小さくても歴史あるお宮や像に出会える、国母

国母(こくぼ)の地名は、清和天皇の母・染殿后(藤原明子)がこの地を領したことによります。国母8丁目には染殿宮があり、境内にある姫見塚は明子の墓と言われています。また、国母は湖水伝説にまつわる土地でもあり、治水のための国母地蔵が祀られていた場所としても知られます。

行基が治水のために刻んで篠原(甲斐市)に祀り法城寺と号したという地蔵が、その後、国母の上条に祀られていました。現在、国母8丁目の児童公園に祀られている国母稲積地蔵立像は、武田信玄の時代に東光寺に移されることになった国母地蔵の代わりに造られたもので、高さ2メートル程もある檜の一本造りの像。東光寺に移った国母地蔵は第二次世界大戦で焼失してしまったため、その歴史を今に伝える貴重な存在になっています。




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