あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #22

#22 fragment


約一年弱のあいだ、「人生で出会ってきた誰か」のことを書きつづけてきた。
次回はだれのことを書こうか、と考えるとき、家族から知らないひとまでを順に吟味してひとりを選びぬくことになり、当然、いろいろなことを思い出す。

そのなかには、どうにも書くまでにいたらないできごとが、いくつかある。特定のテーマにまとめられない、あまりにささいすぎる、わたしの誤認や思い込みが含まれている可能性が高い、などがその理由にあたる。だがそれらはむしろ、書けたことをはるかに超えて存在感を増していく。
思い出をふりかえるたび脳裏をかすめていくにもかかわらず、かたくなに文脈のなかに入れられることをこばみ、それでいながら手放しがたい、いくつかの出会いやシーン。

その、不連続なフラグメントのようなものを、一度ばらばらのままことばにしておきたい。

車内にただよう花の匂いで気がついた。電車に花束を抱えた男性が乗っている。腰あたりで抱えているのに、百合の花で顔が隠れるくらいの大きさだ。男性は壮年で、ドアにもたれて目をとじている。
受験塾の帰りだったと思う。かなり遅い時間の電車だった。塾の帰りはくたびれていて、想像が飛躍しやすい。花束はほとんどのばあい贈るものだ。わたしは男が抱えているのが誰へのプレゼントなのか考えはじめる。家に帰るところだろうから、妻か、娘か、母か、いや、女性と決めつけるのは早計だな、彼氏か、息子か、父か……誰に贈るにしても、すこし大きすぎるくらいの花束だ……
そこで、なんとなくたまらなくなった。
自分でもわけがわからない。感動したわけでもうらやましかったわけでもないし、そこまで感情的になっているつもりもなかったのに、すこし涙ぐみさえした。

勢いのままに、手に持っていた英単語帳から付箋を一枚はがし、メッセージを書きこむ。なんと書いたのか正確には覚えていない。いいプレゼントでありますようにとか、幸せでありますようにとか、そういう類のことだ。いまこのときは二度と訪れないのだ、というような、新鮮な衝動がからだに吹いていた。

渡す前に男は電車を降りていって、メッセージを書いた付箋は駅のゴミ箱に捨てた。
落ち着いて考えてみれば、あの花束は男から誰かへの贈りものではなく、男が誰かにもらったものである可能性のほうがずっと高いのではないか。

母のいとこにあたるおばさんが居候していた時期がある。ふだんは福岡に住んでいるはずの人で、前触れもなくやってきて、しばらく同じ家に住んでいた。親も、当のおばさんも、とくに理由は教えてくれなかった。小学校四、五年のときだったか。

母の下着とおばさんの下着とわたしの下着は、一緒に洗濯され、一緒に干された。どれがおばさんの下着なのか、一目見ればすぐに分かった。派手な色で、ほとんど結びあわせた紐みたいな、ちいさな下着。Tバックというやつだ。干してあるときは水を含んでよれ、なおさらちいさく見えた。
わたしはおばさんのことがあまり好きではなかった。べつに害のないいい人だったけれど、かつて福岡のおばさんの家に行ったとき家じゅうが沢庵のにおいがして酔って吐いてしまった、という印象が消えていなかった。おばさんの漬けている自家製の沢庵のにおいだった。

うちを出て行って間もなく、おばさんは福岡の夫と離婚し、どこかへ引っ越していったらしい。おばさんの不倫が原因だった。おそらく、うちに居候していたのも、それに起因することだったのだろう。
母はそれ以来、おばさんに対してかたくなに門をとざすようになった。おばさんの不倫を咎める気持ちがあるらしく、わたしにも遠回しに言って聞かせる。

沖縄にね、マッサージ師の友だちがいるんだけど、その人がいうにはね、不倫してる人ってからだのにおいでわかるんだって。
ヤギのにおいがするんだって。マッサージすると獣くさくて、たまらないんだって。でも何となくわかる気がする。おばちゃんがいたとき、うちのなかもちょっとくさかったよね。

わたしにはどうしてもヤギのにおいがイメージできない。どこかで沢庵のにおいにすりかわってしまう。

幼稚園のころからの幼なじみが、わたしのやっている詩の朗読のライブを見にきた。めったに浴びないであろうミラーボールに照らされ、にやにやしながら壁にもたれているのが、ステージの上から見える。
その日のライブは、クラブという場所柄か、歓声があがったり、泣いている人がいたり、悪くない感触だった。終演後、幼なじみが近寄ってきて、「おもしろかったよ」という。
「めっちゃ泣いてる人いたし、すごいね。わたしは愛されて育ったからふーんって感じだったけど」
ごく軽い口調で。

小学校六年生のとき、転校先の小学校でわたしをいじめていたのは主に男子だったので、男女がかならず隣の席になるルールには辟易した。
冬の席替えで隣の席になった野田は、無口でいつもライトノベルを読んでいる、比較的害のないやつだった。サッカー部なのでグループとしては派手な男の子たちに属しているが、一対一でわたしにからんでくることはない。ありがたいといえばありがたかった。

六年二組はほとんど学級崩壊していて、おばさんの教師は新学期から学校へ来なくなり、代役の教師がかわるがわる教室を訪れて授業をするようになっていた。
そのなかでも、あまり注意をしない教師が回ってくると、野田はひと組のトランプを取り出す。
そして、筆箱も教科書も乗っていないまっさらな机の上に、トランプタワーを建てはじめる。
そこまでスムーズなわけではなかったと思う。一時限やりつづけて、たまに二段目ができては崩れるくらいのうまさだ。かなり大きくなってからタワーが崩れても、野田は動じることなく、また一からていねいに組み立てはじめる。
見るともなくそれを見ている。わたしもわたしでほとんど授業を聞いていない。二枚のトランプを支えあわせて手を離す瞬間がいちばん重要らしい、野田が息をとめ、また吐きだすのと同時に、わたしも息をとめ、また吐きだす。
野田とは一言も話したことがない。

ある日、休み時間を終えて席につくと、野田がうつ伏せて微振動していた。泣いている。なにがあったのかわからないけれど、野田は長いあいだからっぽの机の上で動かなかった。
が、やがて、おもむろに起き上がる。顔は真っ赤になり、濡れている。まだ泣き止んだわけではないようだ、それでも野田はトランプをとりだして、トランプタワーを組み立てはじめる。それが、ぜんぜんうまくいかない。手がふるえていうことを聞かないのか、最初の二枚ですらうまく立たない。立てようとして、崩し、涙を勢いよくぬぐい、また立てようとして、崩す。ずっとしゃくりあげていて、一度も息を止めない。いつものていねいさはまったく失われている。
わたしは、それを見るともなく見ている。わたしだけがときどき息を止め、適正なタイミングで、吐きだす。

小学校を卒業して六年、大学の教室で野田を見かけておどろいた。野田は、小学生のときとたいして変わらないもさっとした髪のまま、おしゃれなリュックを背負ってきびきびと歩いていた。

両親は、ふたりそろって朝顔の花がきらいだ。母の弟が交通事故で死んだという電話がかかってきたとき、父はベランダで朝顔に水をやっているところだった。それからふたりは、朝顔を育てるのをやめてしまった。

となりの席の子がわけもわからず泣いている、ということが、野田のほかにももう一度あった。

その子は館本さんといって、わたしは館本さんのことを、高校でいちばんかわいいと思っていた。
館本さんはダンス部で、クラスではめずらしくわたしのことを下の名前で呼び、わたしにも下の名前で呼んでほしがった。わたしはそのたびに挙動不審になり、かたくなに館本さんと呼びつづけた。

館本さんは授業中、後ろの席の井村さんとおしゃべりする。主にお互いの大学生の彼氏の話をする。かなり慣れてきたわ、でもやっぱり疲れるよねーわかる。騎乗位は動かないといけないからめんどくさい、けっきょく正常位がいちばんラク。てか制服着たとき見える位置にキスマークつけるのはマジでない。
そういう話を聞いた日は、走って帰る。授業中からずっと走りたいのをがまんしていて、できるだけ急いで校門を出、大音量で音楽を聴く。

そのとき、館本さんはあまりにも無音で泣いていて、ときどきさりげなく目もとを拭った。井村さんはなぜかそのときに限ってなにも言わない。気づいて気を遣っていたのかもしれないし、関心がなかったのかもしれないし、後ろからは分からなかったのかもしれない。
とにかくわたしは館本さんが泣いていることに気づいていて、必死で目をそらしていた。自分には館本さんにできることがなにもない、と、喉が詰まるほどよくわかった。井村さんや、館本さんにめんどくさい騎乗位をさせる大学生の彼氏になりたかった。

館本さんの泣き顔を次に見たのは卒業式で、わたしは館本さんの後ろで合唱した。そこに立っていると、館本さんの首すじに絆創膏が貼ってあるのが見えた。たぶんキスマークだろうなと思った。館本さんはずっと泣いていて、そのときはまわりの子が一緒に泣いたり、背中をさすったりしてあげていた。

帰る間際に、「けっきょく最後までわたしのこと名前で呼んでくれないじゃん?」と笑って言われた。
わたしはまた挙動不審になり、あいまいに謝って、それきり館本さんとは会っていない。

先輩がライブを見にきてくれる。おたがい気恥ずかしく、何度か会釈しあったあと、先輩がいう。

「よかったよ。なんか、風が止むところとか」

その日読んだ詩のなかに、「風」という単語は一度も出てこない。なんとなく黙ってしまう。
ふと草原のにおいがする。

(向坂くじら)

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