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"TEST DEPT."の事。

当の本人たちはそんな意識はサッパリ無いのに、やれ「✕✕✕の元祖」とか、「〇〇〇の先駆者」とかに祭り上げられているアーティストって結構多いんだろうなあと考えると、なんだか気の毒にしか思えてこない。勝手にカテゴライズされて祭り上げられて、ミュージシャンという職業は大変だなあと思う。しかも好きな事ばっかりやってたら食えないし、レーベルの言いなりや、リスナーの好むであろう音ばかり作っていては、あまり長く支持はされないという難儀な職種。では、初っ端から音楽を大衆文化では無くアート/芸術的なものとして考えたらどうだろうか。そんな信念で活動している人が一定数は存在しているとは思うんだけど、認知度は低い気がする。その実験性とポピュラー性の低さからヨーロッパ出身かと思ったらイギリス出身、インダストリアル/エレクトリック・ボディ・ミュージックの元祖と言われても、全くそんな気は無かったと語っている。当の本人たちは、自分たちの活動をアートを捉え、様々な手法でアート・パフォーマンスを行い、自身のレーベルを拠点としてリスナーやレコード会社に媚びること無く、長らく活動を続けた音楽パフォーマンス集団がいた。その名前はTest Departmentと言いました。いつから短縮されたか分からないんだけど、Test Dept.と呼ばれる事が多い、彼らの音楽家人生はどんなだったんでしょうか。

[History (The Strength Of Metal In Motion)] (1982)

パーカッシヴ・ノイズという非常にニッチなジャンルを築き上げた偉大なるバンドとして知られる Test Dept.は、何故かドイツ出身っぽく感じるけど、英国イングランドはロンドン出身です。ロンドンといっても、住宅街が広がる、緑が豊富な土地らしいニュークロスなのですが。中心人物のGraham CunningtonとPaul Jamrozyは古くからの地元の友人で、地元にあった有名なレゲエのサウンド・システムに入り浸り、そのベース音に浸っていたというから、音楽への意識はあったんだろうけど、パンクそのものからは影響を受けていないらしい。その二人を中心にTest Dept.が結成されたのは1981年、Graham, Paulと、Jonathan Toby Burdon, Paul Hines, Angus Farquharをコア・メンバーに、後は色んな人たちがパートタイムに参加するという、流動的で自由なユニットでした。結成から一貫しているのは、社会でも芸術でも、現状の体制にアンチな姿勢を持って、既存の概念を壊すという思想であり、ロック・バンドにもパンク・バンドにも含まれない立ち位置で、アート・パフォーマンスに重きを置いていました。Test Dept.としての最初の音源は、1982年と1983年に自主リリースしたカセット"History (The Strength Of Metal In Motion)"と” ‎Strength Of Metal In Motion"でした。この頃、既にメタル・ジャンクを使用したパーカッションを中心に据え、楽器や肉声、ガラクタや電子楽器を使用したノイズをミックスした直情的なサウンドを即興で演奏し、様々な手法で投影される実験的映像とのミックスによるパフォーマンスを行っていました。

[Beating The Retreat] (1984)

そんな彼らのライヴ以外の音源を残したいと考えたのが、Some Bizzareレーベルでした。Some Bizzareは、ロンドンでDJをやっていたStevoことStephen Pearceが1981年に立ち上げたレーベルで、Soft Cell, The The, Psychic TV, B-Movie, Einstürzende Neubautenなどを発掘してきた凄いレーベルで、ここと契約したTest Dept.は1983年にシングル"Compulsion"をリリースします。過激で直情的なジャンク・ノイズと、激しくアジテートするヴォイス、延々と繰り返すテープ・ノイズのループという、地獄のような時間を過ごすことが出来る作品、というかパフォーミングの瞬間の切り取りと言えました。最終的にSome Bizzareからは今作と1984年のフル・アルバム"Beating The Retreat"をリリースしたのみですが、レーベルお抱えのプロデューサーであるFloodをはじめ、Clock DVA, Psychic TV, 23 Skidooなどを手掛けたKen Thomas、Einstürzende NeubautenのメンバーだったFM Einheit、Throbbing Gristle/Psychic TVのGenesis P-Orridgeといった面々との共同作業を体験し、音の抜き差しやリミックスという手法を経験したことは、この後のバンドの活動に大きくプラスに作用しています。1982年~1983年の間にイギリス各所で行ったライヴ・パフォーマンスを集めたライヴ・テープ"Ecstacy Under Duress"をUKの先駆的カセット・レーベル Pleasantly Surprisedから、アメリカ・ツアーを行った時のライヴを”Live At The Ritz - New York July 1984”としてアメリカのカセット・レーベル Audiofile Tapesからリリースすると一時的に活動を休止し、自身のレーベルであるMinistry Of Powerを立ち上げ、新たな活動へと入っていきます。

[Shoulder To Shoulder] (1985)

Ministry Of Powerからの1枚目のリリースは、John Peelに招かれてのラジオ・セッションでのレコーディングを収録した"Peel Sessions 1984"でした。次に彼らが目指したのは、活動に社会的な意義をもたらすことでした。1985年にMinistry Of Powerからリリースしたアルバム”Shoulder To Shoulder”は、不況に喘ぐイギリス国内の労働者たち、中でも鉱山労働者のストライキを支援するためのもので、サウス・ウェールズの鉱山労働者の合唱団であるSouth Wales Striking Miners Choirとのコラボレーション・アルバムでした。合唱団による荘厳なコーラスの楽曲と、Test Dept.によるパーカッションを中心に据えた、サンプリング・ヴォイスによる社会的なメッセージやエレクトリック・ノイズと電子ドラムやベースを理性的に配した楽曲が混在するこの作品は、計り知れないインパクトがありました。直接的に共演した楽曲の革新性はハンパなく、このコラボレーションは、彼らに大きな影響を与えたのは明らかで、この後の活動が大きく変化します。

[The Unacceptable Face Of Freedom] (1986)

1986年には、Ministry Of Powerからオリジナル音源、12インチ・シングル"The Faces Of Freedom 1 2 & 3”と、スタジオ・レコーディング・アルバム”The Unacceptable Face Of Freedom”をリリースしています。それまでの衝動的で過激で直情的だったサウンドに整合感が加味され、サンプリング・コラージュの効果的な配置による、カラフルなサウンドへのシフトに成功しています。爆発的なパーカッシヴ・リズムは、激しいながらも変化に富み、画一的だったヴォイス・パフォーマンスがサンプリング・ヴォイスによるフックの効いたものになり、荘厳なコーラスやオーケストレーションや流麗でドラマティックなフレーズを電子楽器によって生み出し、混沌としながらもホーム・リスニングにも向いたアーティスティックな作品となっており、社会的なメッセージの発信も顕著になっています。同時期にアルバム収録曲を含むヨーロッパ向けのカセット”European Network 1-9-8-5”をリリースし、ヨーロッパにも彼らの名を知らしめるのでした。

[A Good Night Out] (1987)

1987年には、Ministry Of Powerからアルバム”A Good Night Out"をリリースしています。今作は、ロンドンやオランダでレコーディングされたライヴ・アルバムです。高速パーカッションと、がなり立てるヴォイスの攻撃的なサウンドは影を潜め、スポークン・ワードによって陰陽を持ってドラマティックに語られるメッセージと、抜き差しのしっかりとしたパーカッションや生楽器、オーケストラとの共演によるシアトリカルなパフォーマンスは、大きな驚きを持って迎えられました。1988年には、オリジナル・アルバム”Terra Firma”をリリースしています。粗暴なパーカッションやアジテーション・ヴォイスはすでに皆無で、エレクトリックでなパーカッションが延々とリフレインし、様々な奇妙なノイズやヴォイスが時折挿入されるアンビエント寄りのトライバルなサウンドに傾倒した異色の作品です。この頃のパフォーマンスは初期とはだいぶ異なっていて、前衛芸術的なステージが展開されていました。今作は、ベルギーのレーベル Sub Rosaからヨーロッパ向けに、Play It Again Sam USAとWax Trax!からアメリカ向けにリリースされましたが、イギリス向けにはリリースされませんでした。

[Gododdin] (1989)

1980年代の後半になると、コラボレーション・ワークが活動の中心になってきます。1989年のアルバム"Gododdin”は、Test Dept. / Brith Gof名義によるもので、ウェールズの前衛劇団Brith Gofとのコラボレーションとなっています。太古のケルトの少数民族をテーマとしたステージ・パフォーマンスで、ウェールズ、ドイツ、イタリア、オランダ、スコットランドで上演された舞台の音楽をベースにしたものです。1990年のアルバム"Materia Prima"は、オランダの舞踏集団Werk Centrum Dansとのコラボレーション・ショーのサウンドトラックです。オランダ、イタリア、フィンランド、デンマークで行われたライブ・レコーディングと、その元になった音源を収録しています。1991年の"Pax Britannica"は、グラスゴーをヨーロッパの文化の中心地として祝った壮大なショーのサウンドトラックで、スコットランド室内管弦楽団との共演で、グラスゴーでレコーディングされています。これらのコラボレション・ワークでも、彼らの特色であるパーカッションを中心とした混沌としたサウンドは失われておらず、映像抜きの音楽作品としても、イマジネーションを掻き立てる作品となっています。この後も、精力的なライヴ活動とライヴ・アルバムのリリースを行い、1995年には、久々のオリジナル・アルバム”Totality”をリリース、ヴォーカルにKatie Jane Garside(Daisy Chainsaw, Liar, Queenadreena,)をフィーチャーしています。1998年の"Tactics For Evolution"を最後に、バンドは解散しました。解散後、メンバーは各々音楽や演劇などの芸術分野で活動しました。

[Disturbance] (2019)

2014年には、鉱山労働者のストライキの30周年を記念したフェスティバルに出演するために再結集、2016年にはTest Dept:Reduxとして活動を再開しています。映像インスタレーションや、Test Dept:とTest Dept:Reduxとしてのライヴを不定期で行い、映像と音楽のフェスティバルも開催しています。2019年には、インターバル中に傾倒したというテクノに接近したためパーカッションは控えめですが、相変わらず緊迫感のあるサウンドと攻撃的なサンプリングが印象的な久々のオリジナル・アルバム”Disturbance”と、そのリミックス・アルバム"Disturbance Disordered"をOne Little Indianからリリースするなど、その創造力は衰えることがありません。今回は、ロック・バンドとしてのオリジナル・アルバムでは代表作に当たるであろう”The Unacceptable Face Of Freedom”の冒頭を飾る、彼らの特色である混沌としたパーカッション・サウンドが印象的なこの曲を。

”Fuckhead" / Test Dept.

#忘れられちゃったっぽい名曲


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