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"THE BELLE STARS"の事。

バンドにとって、やっぱセールスってのは重要な訳で、そりゃそれで生計を立てていこうと頑張った結果は欲しいというのは人間の常だと思う。売れなくったって、好きな音楽をやっていければいいんだ、という人もいるが、大抵は別の仕事や本業を持っていて、経済的な基盤は持っていたりする。現実問題、セールスが無きゃあ厳しいのは当たり前だし、特に不況下の1980年代イギリスなんて特にそうだったでしょう。一生懸命曲を作ってライヴをやって、でもオリジナル曲が全く売れなくて、試しにカヴァー曲を演奏してみたら売れて、それを何回か続けたら批判されて、自作の勝負曲を出してみたら大ヒット。でも、その後はソングライティングや演奏は成長していても鳴かず飛ばずで、次々とメンバーは減っていき、最後には解散...そして解散後にリバイバル・ヒットするという、何だか気の毒になってしまうバンド人生を歩んだイギリスのガールズ・バンドがいました。その名前はThe Belle Starsと言います。

[Hiawatha] (1981)

本格的なスカ~2トーンの志向を持った女性ばかりのバンドが、The SpecialsのJeremy Dammersのプロデュースで1980年にデビューしました。その名も The Body Snatchers。女性バンドによる本格的なポップ・スカが新鮮で、本当にカッコ良かったんです。シングルを、Jeremy Dammers自身のTwo-Tone Recordsと、Specials絡みでCrysalisからヨーロッパ向けにもリリースし、The PoguesのShane MacGowanが在籍したThe Nipsのギグをサポートしたり、John Peelのラジオ・セッションに参加してレコーディングしたものの、残念ながらシングル2枚で解散しています。バンド解散後、メンバーだったRhoda DakarはThe Special AKAやSkaville UKを経てソロ・シンガーになっています。他のメンバー、ギタリストのStella BarkerとSarah-Jane Owen、サックスのMiranda Joyce、キーボードのPenny Leyton、ドラマーのJudy Parsonsが、心機一転して新しいバンドを立ち上げるため、ベーシストのLesley Shone、リード・ヴォーカリストのJennie Matthias (Jennie Bellestar)を迎えて、The Bell Starを結成しています。結成して直ぐに熱心にライヴ活動を始めたところロンドン周辺で話題になり、デビュー前に音楽雑誌の表紙を飾って、華々しい成功を予感させました。程なくMadnessを擁するインディ・レーベル Stiff Recordsとの契約を果たしポップ・スターへの第一歩を踏み出した...ハズでした。

[Another Latin Love Song] (1981)

契約してすぐの1981年の春に、早くもデビュー・シングル"Hiawatha "をStiff Recordsからリリースしています。Madnessを大ヒットさせたコンビ、Clive Langer & Alan Winstanleyがプロデュースを担当しています。このシングルをリリースした後、Madnessのツアーにサポートとして参加しています。楽しくて明るい本格的なスカ・ポップを演奏する彼女たちは、次々とギグをこなして知名度を上げます。しかし、このシングルはヒットどころか、本国UKではチャートにすら入りませんでした。Stiff Recordsは、ヨーロッパ向けにもシングルをリリース。バンドは、The Clashのヨーロッパ・ツアーのサポートでベルギーやフランスを回りました。同じ年に2枚目のシングル"Slick Trick"をClive Langer & Alan Winstanleyのプロデュースでリリースしますが、この作品もチャート入りせず。今度はアメリカでもリリースしますが、これも不発。オリジナル・メンバーのPenny Leytonが脱退するなど、メンバーが不安定になっていきます。Penny Leytonは、自身のスカ・バンド The Deltonesを結成しています。同じ年にシングル"Another Latin Love Song"をDexy's Midnight Runnersを手掛けたセッション・ピアニストのPete Wingfieldのプロデュースでリリースしますが、これも不発に終わりました。

[Iko Iko] (1982)

バンドは、次の策としてカヴァーに取り組みます。選ばれたのは、ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンの部族衝突を題材にしたJames "Sugar Boy" Crawfordの"Jock-A-Mo"を原曲とする"Iko Iko"でした。この曲は、The Dixie Cupsが1964年に大ヒットさせたのをはじめ、Dr. John , Cyndi Lauperなど、数多くのアーティストにカヴァーされています。The Ordinary Boysもカヴァーしていましたね。1982年にシングルとしてリリースされたこの曲は、初めてのチャート・イン・シングルとなり、UKチャートで最高35位をマークするヒットとなりました。その後もカヴァーが続き、Shirley Ellisが1964年にヒットさせた”The Clapping Song”や、Carly Simon & James Taylorもヒットさせた曲で、Inez & Charlie Foxxがオリジナルの”Mockingbird”という2枚のカヴァー・シングルをリリースしています。いずれもUKチャートにランクインしており、バンドの知名度は高まりました。が、初期のスカ・ポップな部分はすっかり薄れ、ラテンやアフロ・ポップに接近していきます。カヴァーの連発は少なからずの批判を受けます。A面こそカヴァーですが、B面に入っていたバンドのオリジナル曲"The Reason" , ”Blame” , ”Turn Back The Clock”のパワフルでファンキーなロック・チューンの魅力に気付いている人は少なかった様です。バンド・メンバーは創作の意欲を取り戻し、オリジナル曲作りに着手します。

[Sign of the Times] (1983)

そして時は来ました。1983年、久々のオリジナル曲であるシングル"Sign of the Times"をリリースします。この曲は、リリースするなりチャートを駆け上がり、UKではチャートの3位にランクされ、ヨーロッパ全土でも大ヒット、プロモーション・ビデオが制作され、アメリカでもヘヴィ・オン・エアされました。結果的に1983年のUK年間チャートで3位を記録する大ヒットとなります。この曲は、後にプロデュサー・チーム Stock, Aitken & Watermanとして大ブレイクするPete Watermanが主宰するプロダクションLoose End Productions所属のPeter Collinsがプロデュースした、余りにもキャッチーなガール・ポップ・ソングでした。彼女たちは、サクセスと引き換えにスカを完全に捨てたと言われました。でも、ここまでブレイクするキャッチーな曲を作るって事は並外れた才能とも言えますけどね。このシングルのカップリング曲は、彼女たちの恩人Madnessと同じ"Madness"という曲となっています。

[Sign of the Times] (1983)

同1983年に、デビュー・アルバム"The Belle Stars"をリリースし、UKアルバム・チャートで15位を記録しています。これまでのシングル表題曲をほぼ収録している他、新たに"Harlem Shuffle" , "The Snake" , ”Needle In A Haystack”といったカヴァーを収録し、アルバムの半分はカヴァーでした。ヒットさせるためとはいえ、このカヴァー攻勢は彼女たちのアイデンティティに更に悪影響を与えたのは間違いありません。アルバムをリリースした同じ年に、再びオリジナル曲でのシングル攻勢に出ます。しかし、"Sweet Memory"はUKで22位になったものの、続く"Indian Summer"は52位、"The Entertainer"は95位にとどまりました。これらのシングルは、バンド初期の特色だったスカやラテン風味を取り入れ、軽快でカラフルなギター・サウンドや太いベース・ライン、効果的なキーボードとパワフルなサックス、ソウルフルでパワフルになったヴォーカルやコーラス・ハーモニーなど、演奏力とバンド・サウンドの充実という進化を感じさせるものでしたが、世間は見向きもしなかったのです。

[80's Romance] (1984)

1984年リリースのシングル”80's Romance"はチャートには入ったものの、セールスもパッとしませんでした。何とかしたいバンドと Stiff Recordsは、ヨーロッパ中をツアーしましたが、再び脚光を浴びることはなく、そんな惨めな状況を憂いてか、バンド・メンバーが次々と脱退し、最終的にはトリオ編成の女性コーラス・グループにみたいになってしまいました。そんな頃、経営状態が思わしくなかったStiff RecordsがIsland Recordsに吸収され、最終的には Trevor HornとJill Sinclair夫婦のレーベル ZTTに買収されました。Trever Hornは、彼女たちの再起を手伝うためにプロデュースを担当し、ニューヨークでアルバムのレコーディングに臨みますが、結局のところ、このアルバムはリリースされず、2019年にレア・トラックとしてコンピレーション"Turn back The Clock"に収録されるまで長らくお蔵入りとなっていました。この時のレコーディングからは、1986年"World Domination"のシングルがリリースされましたが、ダンサブルなポップスに成り下がっており、既にロック・バンドとしての面影はなくなっていました。今作は、バンドの現状を象徴するかのように、全米のダンス・チャートで2位を記録するヒットとなりました。ウーピー・ゴールドバーグ主演の1987年の映画『バーグラー/危機一髪』のサウンドトラックに、彼女たちの"Check In, Check Out”がクレジットされていますが、プロデュースと作曲は、サウンドトラックの製作総指揮を担当したChicのBernard Edwardsによるものです。恐らく、これが最後のレコーディングで、バンドは解散しています。バンド解散後、薬物中毒に陥っていたヴォーカリストのJennie Matthiasはアメリカに渡ってリハビリ後にイギリスに戻り、MadnessのLee Thompsonが結成したスカ・バンド The Dance Brigadeへの参加や、Mark StewartやSkip McDonald、Skaville UK.との共演、ソロ活動や作家、社会活動家として活動しています。

[Rain Man / OST] (1989)

1989年には、"Iko Iko"がお気に入りだったというダスティン・ホフマンが推薦し、トム・クルーズと共演した映画『レインマン』のサウンドトラックにThe Bell Starsのヴァージョンが収録され、全米チャートで14位を記録するヒットとなります。彼女たちが憧れたコマーシャル・サクセスを、何と全米で叶えた瞬間でしたが、皮肉な事にバンドが解散した後でした。コマーシャル・サクセスというのは、若いバンド・メンバーにとっては自信に繋がるのだろうけど、あまりにも意識しすぎては自滅してしまう事だってある。The Belle Starsは、女性だけのスカ・バンドという、ありそうでなさそうな貴重なバンドでした。バンドを壊したのはレコード・レーベルか、プロデューサーか、リスナーかも知れません。それは、初期の活き活きとしたスカ・サウンドと、後期のダンス・ポップとを聴き比べればすぐに分るでしょう。どちらが幸福かは当人が決めることですが。今回は、ヒットしたカヴァー・シングル"Iko Iko"のB面に収録されていたこのオリジナル曲を。

"The Reason" / The Belle Stars

#忘れられちゃったっぽい名曲


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