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”CAMPER VAN BEETHOVEN"の事。

インディ・レーベル時代は人気があったのに、メジャーに入ると一気に不人気になったりダメになるバンドって多いけど、バンド自体のサウンドや音楽に対する姿勢は変わらないのに、何でなのかな?と考えてみる。まずはインディ志向の強いリスナーに対するパブリック・イメージの変化。「メジャーに入ってあいつは変わった」「チャートに媚売りやがって」いやいや、実際はそんな事ないんでしょうが、メジャーに入ると、売れなければ契約を切るぞ、というプレッシャーが凄くて、変えざるを得ないのでは。コレがハマればヒットチャートを駆け抜けて人気バンドになれるんだろうけど、ハズした場合は、契約を失ってファンも失って、そして...っていう最悪の構図があり、特に1990年代に多かった気がする。"What a hippy diddly crazy world"。では、このCamper Van Beethovenはどうだったのでしょうか。

Camper Van Beethovenは、アメリカはカリフォルニア州レッドランズ出身のバンド。中心メンバーは固定しているが、様々なミュージシャンが出入りを繰り返しているので、何人組とは言いづらいですね。リード・ヴォーカルとギターのDavid Lowery、ヴォーカルとベースのVictor Krummenacher、ヴォーカルとギターのChris Mollaあたりが中心メンバーとして、1983年に結成されています。結成後すぐにメンバー・チェンジがあり、ヴァイオリン、キーボードなどを演奏するマルチ・インストゥルメンタリストのJonathan Segelがメンバーに加わってメンバーが固定し、自宅ガレージから出て、本格的にレコーディングを始めます。

[Telephone Free Landslide Victory] (1985)

1985年にデビュー・アルバム”Telephone Free Landslide Victory”をSagage Reblicのメンバーが主宰する「Independent Project Records」からリリースします。この時点で、彼らのサウンド・スタイルは確立していて、この間まで自宅ガレージで演奏していたバンドとは思えない完成度に驚かされます。ギターがジャカジャカ鳴っているパンクを通過したカントリーやフォークは、言わばオルタナ・カントリーのプロトタイプと言え、キーボードがサウンドに明るさを添え、独特の世界観を持ったヘンテコで社会派の歌詞、各々が担当するヴォーカルが、低音ヴォイスで渋く迫ったり、ちょっとトボケた感じの軽いヴォイスだったり。でも、統一していたのは、恐らく訛りの強い朴訥とした雰囲気で、サウンドとマッチしていて非常に良い。地方は異なるけど、テキサス訛りが強くて「カエルの声の様だ」と揶揄されていたR.E.MのMichael Stipeが、この作品をフェイヴァリットに挙げていたな。偶然でしょうかね。このアルバム収録曲"Take the Skinheads Bowling"がシングル・リリースされ、UKインディ・チャートの上位にランクされ、アルバムも引っ張られるようにヒットしたのでした。

[II & III] (1986)

バンドの次のアルバムは”II & III”で、タイトルはもちろん、全19曲のヴォリュームである事からセカンドとサード・アルバムが一緒に出たみたいですが、正式な表明がある訳では無いですがセカンド・アルバムという事になるようです。今作は、アメリカはアセンズのインディ・レーベル「Pitch-a-Tent」からリリースされています。このレーベルはオフィシャルサイトによるとCamper Van Beethovenのメンバーが始めたとなっています。以降のCamper Van Beethovenの諸作や、メンバーのソロやサイド・ユニットのMonks of Doomなどの派生バンドなどをリリースしていますので、少なくとも近しい関係のレーベルだと思われます。所在地がR.E.M.の出身地アセンズという事で深読みしたくなりますが、関係ないっぽいでしょうか。UKではRough Tradeからリリースされ、UKインディ・チャートの上位にランクされました。Jonathan Segelが演奏するヴァイオリンやマンドリンが大きくフィーチャーされ、バンド・サウンドの特徴を決定づけ、今作で初めてヴォーカルも担当し、バンド・サウンドの向上に一役買っています。かといって、カントリー色を強めたという訳ではなく、ブルーグラスや民族音楽などの多彩な要素を取り入れた、パンクを通過したザラッとしたサウンドが心地良い作品です。前年にリリースされたSonic Youthのアルバム"Bad Moon Rising"収録曲"I Love Her All the Time"のブルーグラス風のカヴァーを収録しているのも、何かスゲーって感じです。

[Camper Van Beethoven] (1986)

1986年には、バンド名をそのまま冠したアルバム”Camper Van Beethoven”を、前作同様にPitch-a-TentとRough Tradeからリリースしています。今作では、ニューヨークの前衛音楽界隈でFred FrithやElliott Sharp、John Zornなどと共演してきた異色のマンドリン奏者、Eugene Chadbourneがゲスト参加しています。これには驚かされましたが、この出会いがバンドのサウンドを一気に進化させることとなります。Eugene Chadbourneが弾くマンドリンはもちろん、Jonathanのヴァイオリンを大々的にフィーチャーし、タブラ、シタールといった楽器による中東の民族音楽を取り入れる一方、ペダルスティール、バンジョーといったアメリカン・ルーツ・ミュージックの使用頻度も高くなり、サイケデリックやプログレッシヴ・ロックのダイナミクスと実験性を取り入れたスリリングな作品となっています。Teenage Fanclubもカヴァーした、Pink Floydの"Intersteller Overdrive"のカヴァーを収録しています。この後、Eugene Chadbourneとのユニット”Camper Van Chadbourne”、サイド・プロジェクト"Monks of Doom"などの活動、長いツアーを経て、オリジナル・メンバーのChris Mollaがバンドを去ります。6曲入りのシングル”Vampire Can Mating Oven”をリリースする頃、いよいよメジャーからの争奪戦が始まります。

[Our Beloved Revolutionary Sweetheart] (1987)

最終的には、当時のUKでメジャー大手の「Virgin Records」と契約し、1987年にメジャーからの1枚目となるアルバム”Our Beloved Revolutionary Sweetheart"をリリースします。これまでの彼らのやってきた実験音楽と民族音楽やアメリカン・ルーツ・ミュージックへのアプローチと、スカやラテンといった新しい要素を採り入れてポップ・ソングに昇華した、紛れもない大傑作アルバムです。ただ、前作までと比較すると、パンクのザラッとした猥雑さや、サイケデリック・ロックのダイナミズムや複雑さといった”失われた”部分も目立ってきます。初めて外部プロデューサーであるDennis Herringを起用したことが影響を及ぼしたのかも知れません。傑作を創り出しながら、同時にメンバー間の音楽性の違いが浮き彫りになり、それが却ってテンションを生んだのかも知れませんが、恐らくこのあたりからメンバー間に軋轢が生まれたでは、と思います。今作を最後に、バンドのサウンドを進化させてきたJonathan Segelが脱退しています。

[Key Lime Pie] (1989)

1989年、メジャー2作目のアルバム”Key Lime Pie”をリリースします。脱退したJonathan Segelの後任として、セッション・ヴァイオリニストをフィーチャーして制作されたこの作品は、以前の彼らの実験的なサウンドの面影は希薄ながら、独特なメロディやヴォーカル、サイケデリックなサウンドは健在で、充分に楽しめる作品ではありますが、全体のサウンドはすっかり変化してしまいました。前作同様にDennis Herringをプロデューサーに迎えて制作されたこの作品は、綿密にオーヴァーダブやリマスタリングが為されたもので、生音のイメージは殆ど無くなっていました。が、今作は彼らのキャリアで最高の成功を収め、初めて本国のビルボード・チャートの141位にランクイン。収録曲の”Pictures of Matchstick Men”は、ビルボード・モダン・ロック・トラックスで1位に輝いていますが、これはStatus Quoのカヴァーという、なんだか皮肉な結果に終わっています。アルバム・リリースのツアー中、バンド内の緊張が頂点に達したのか、ツアー終了後の1990年に、バンドは解散しています。解散後、David Loweryは、旧知の仲のギタリストJohnny Hickmanと新バンドのCarckerを結成、意外にもストレートなアメリカン・オルタナティヴ・ロックで成功を収めます。CrackerはVirginからのリリースで、残っていた契約を履行したのか、レーベル主導のユニットなのかは定かではありませんが、何はともあれ、余りある成果を残しました。彼以外のメンバーは、元々サイド・プロジェクトだったMonks of Doomでの活動を再開し、再びEugene Cahdbourneとのコラボレーション・ユニットCamper Van Chadbourneなどでの活動を行いました。

解散から9年を経た1999年、オリジナル・メンバーのDavid Lowery、Victor Krummenacher、Jonathan Segel、Greg Lisherが再び結集し、セッションを行います。同年にリリースされたレア・トラックス集”Camper Van Beethoven Is Dead. Long Live Camper Van Beethoven"に、新曲のセッションも収録されています。この作品は、彼らが初期に在籍したレーベルPitch-a-Tentからリリースされています。Victor KrummenacherとJonathan Segelは、David LoweryのバンドCarckerのツアーに参加してCamper Van Beethovenの楽曲を演奏します。手ごたえを感じた彼らは、Camper Van Beethovenとして再結成、レコーディングをはじめます。2003年には約13年振りとなるアルバム”Tusk”をリリースします。これは、Fleetwoodmacの同名アルバム全曲ををカヴァーしたもので、初心に戻る意味があったのかも知れません。

[Tusk} (2003)

そして2004年、15年振りとなるオリジナル・アルバム"New Roman Times"を、Pitch-a-Tentレーベルからリリースします。Chris Pedersen、David Immerglückを含むバンドの初期ラインナップが結集してレコーディングされたこの作品は、個々のやりたかったことが詰まった作品と言え、アメリカン・ルーツ・ミュージック、民族音楽、実験音楽などの要素を混ぜ合わせながらポピュラリティーのある作品で、抒情的なダウンテンポなレイドバックした雰囲気という新機軸や、社会的なメッセージや告発などを孕んだ、意欲的なものとなっています。その後も、バンドはマイペースに、よりパーソナルになりつつ、自身の理想とする音楽を追求し続けています。

[New Roman Times] (2004)

メジャーに入ることは決して悪いことでは無く、レコーディング費用や、マネジメントやブッキングなどの面倒事を心配することなく音楽活動に専念出来るのだから...と部外者である私たちは思ってしまいますが、売れなきゃいけないというプレッシャーや、外部に口を出されて、果ては過剰なプロデュースをされて...音楽ビジネスに関するメジャー的手法は、長らく音楽を介して培ってきた友情ですら破壊する、諸刃の刃ではあるのかもしれません。まあ、1990年代のメジャー体質に問題があったのかもしれませんが、現在だって壊れてしまうバンドもある訳で、Camper Van Beethovenが辿ってきた道程に音楽家の理想と現実を見た気がします。メジャーを批判してる訳ではなくて、私たちに良質な作品を届けるお手伝いをしてくれる存在であることは間違いなく、メジャーからも良い作品は星の数ほど生まれていますので、感謝しないと。今回選んだのも、メジャーからの1作目”Our Beloved Revolutionary Sweetheart”収録で、シングルにもなった、ヴァイオリンの音色が印象的でフックの効いたバンド・サウンドとポップなメロディが同居した、彼ららしいな、と感じるこの名曲です。

"Turquoise Jewelry" / Camper Van Beethoven

#忘れられちゃったっぽい名曲


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