メモ 2015年9月17日 国会前抗議行動

 9月17日、安保法案抗議のための国会包囲行動に参加した。現場に到着したのは15時くらいだったと思う。
 電車を降りて、国会前に向かう道でまず気になったのは「ブース」がどうのこうの、「ブースの左側を通行するようお願いします」といったアナウンスや看板設置が警察によってなされていたことだった。最初、「ブース」が一体何なのかさっぱりわからなかった。警察に問うてみると、警察が設置したコーンのなか、抗議する人たちが押し込められている場所を「ブース」というのだと説明してきた。意味がまったく分からない。ここは歩道であり、路上であり、自由な空間である。いつのまにか、警察によって舞台設定がなされていることがわかる。国会前の警察による空間管理は徹底かつ効果的になされており、国会に近い車道側には警察官が立ち、その内側がまず歩行者レーンであり、さらにその外周側が「ブース」となっている。つまり、抗議する人々は国会から、そして、車道から、最も遠い場所に押し込められている。また、さらに違和感を感じたのは、国会正面右側の主催者がアピールをくりかえしている「ブース」――主催者がいうところの「ステージ」、この言葉を聞いたとき目眩がした――についてである。「ブース」=「ステージ」のまえには、車道側すべてをマスメディアのカメラと取材者が占拠していた。ここでも、車道側、国会側に行動の空間と自由はないのである。主催者側がマスメディア向けの演出としてこのような空間配置をしているのであれば、参加者の力をそぎおとし、マスメディアにその空間を明け渡しているように感じる。メディア戦略の影響力の大きさに賭けているのだろうか。そのような判断自体が、社会運動の現在形を示しているようで興味深い。自分だったら逆の配置にするだろうなと思った。

 違和感は抗議行動の内容についても湧いてきた。主催(総がかり行動)が仕切る抗議集会が1時間に1回、30分程度の頻度で行われた。その様子は各方面に配置された巨大トラメガで実況される。驚いたのは「ステージ」にあがりマイクを持ってアピールするのが、ことごとく国会議員なのだ。民主党、共産党、社民党とそれぞれ5分ほどアピールを続ける。理解ができなかった。なぜ、抗議の時間と空間を、ここに集まった多くの人々と共有することなく、国会議員に明け渡してしまうのだろうか。強行採決直前というタイミングを差し引いても、過剰なプログラムに思えた。国会議員に対して「対応が生温い」といった批判を行うことは難しい、そのような関係性が生産される。「私は国会議員の演説を聞くためにここに来ているのではない」という思いが時間を追うごとに強くなった。そして、ここでは代議制民主主義を乗り越える直接民主主義が実践されているわけではなく、ましては良い意味での両者の補完関係がつくられているのでもないように思う。なぜなら、集まった人たちはその多くの時間を国会議員の演説を聞くことに使うからだ。テレビで国会中継をみている、自らを応援席にとどめおくような、受動的な「私」がつくられていないだろうか。

 また、主催は何度も次のような主旨のアピールをくりかえしていた。「もうメインステージは人でいっぱいです。国会図書館や首相官邸前のスペースに集まってください。そこでもステージの声は聞けるようになっています」。はあ?である。ここに集まった人々の数と力を、差し向けなければいけないのは、目の前の鉄柵であり、車道であり、その向こう側の国会である。それを、主催自らが散らせ払っているとしか聞こえない。ようはここに集まった人々の力を信用していないのだろう。人々を無力化する方向へと、結集した力を方向付けてしまっているのだ。あるいは、結集しつつある力、何かを起こしてしまう力を恐れているといってもよいかもしれない。
 しかし、歩き回っていると、それでも「路上をあけろ」、「こんなのおかしいだろ!」、「昨日は解放されてたじゃないか」という声が、孤立しているがあげられている。それで「路上解放」、「車道をあけろ」、「警察いらない」、「戦争反対」とコールをつづけてみた。すると、意外にもその声は広がっていった。こんな空間につくり方に怒っているのも当然多いのだ。5分、10分、それだけでコールを続けられた。大阪からきたアナキストの友人が偶然それをみて、「珍しくまっとうなことを叫んでる奴がいると思ったら、**さんだったわ」と笑いながら、トラメガをまわしてくれて声をあげた。その間、2名くらい(主催者スタッフではないと思う)、「警察なんてなくならないわよ」、「主催が喋ってるから![やめなさいよ]」と突っかかってくる人がいた。また、国会議員が「みなさん、ありがとうございます」と言うと、「おめーに感謝されるために来てないってば」とぼやく人も何人か目にした。主催が演出したい「院内外の連携」から逸脱する人々の姿。しかし、それらは孤立している印象だ。
 しばらくすると、いつのまにか車道を東から国会に向けてドラムを叩きながら歩いてくる群衆があった。警察に尋ねると「東側端の車道部分が解放された、行きたければそっちへ回れ」とのことだった。まったく意味不明。「おかしいだろ、ここもあけろ」とつっかかると、「いいですよ。乗り越えたらいいでしょ」という。むかつきながら、鉄柵をまたぐ。すると、警察官へ「撤収し、車道中央部分に移動せよ」との指示が出始めた。鉄柵を放置したまま、とっとといなくなる警察。参加者が鉄柵を外し、畳み始める。それも、多くの人は集まらない。ぼーっと見ている人のほうが多い。畳みながら、ふつふつと「なんで警察の代りに鉄柵をどけたりしなきゃいけないのか。警察の代行なのか」という感情が涌き上がってくる。くだらない。私たちの自主性はどこにあるのか、ばかにされている。このくだらなさに怒る人もいない。その風景にまた怒りがわいてくる。路上解放と言いたいところだが、解放感がまったくない。
 さらにいえば、学者や元裁判官などが、安倍の不正義や反知性主義を指摘しつつ、その反面、この抗議行動の正義や「平和国家としての日本ブランド」などといったことを滔々と述べることへの違和感だ。今まで政治的言動をしなかった有名人や大物知識人らが、目の前で自らと肩を並べていることへの感動。これは多くの人が抱く素直な感情だろう。しかし、この抗議空間では、過去がチャラにされてしまう。既存の権力関係がチャラにできる。ここに立っている学者は学内民主主義を壊す側にいたのではないのか、キャンパスの自由を奪ってきた側ではないのか。そこに立っている裁判官はどんな裁判をやってきたのか。そういったことを問えない関係性が結果として次々に生産されていく。「平和国家」言説は、これだけの貧困問題、沖縄の基地問題、民族差別等々を抱えている日本社会を、正視しないムードを生産していく。その言葉に熱狂できることが恐い。〈これ=安保法制〉と〈あれ=他の問題〉は別だ、今は一致団結だ、といわんばかりだが、それは戦後の社会運動が積み上げてきた成果や問題意識を、周縁化し、チャラにしてしまうことにならないだろうか。(もちろん、事態は流動的だろう。動き方次第で、〈これ=安保法制〉と〈あれ=他の問題〉をつなぎなおすことへと現在は開かれている。国会前に立っていた教員を、大学での管理教育やネオリベ改革に反対する活動にひきずりこむことだって可能だろう。)
 昨晩の13名逮捕の事実に触れるスピーチは、接見に奔走した弁護士によるものだけ、ましてや主催として不当逮捕抗議のアピールすらないないことも気になった。安保法案に反対することと、人々の自由の管理に対して反対すること、私たち一人一人の力を今・ここで表現しきること、これらはお互いに連関している。私がこれまで触れてきた先人たちが培ってきた運動文化、ノンセクトや市民運動の運動文化にはそのような認識が色濃くあった。しかし、ここにはあまりにも少なく、薄い。安保法案に抗議することと、今・ここの現場をどのように自主的に管理するかが直結してこない。少なくとも主催にはそのような問題意識が感じられない。むしろ、前述したように、生き生きと流動化し、出来事をつくりはじめる力を恐れ、一生懸命に管理しようとしている。これはこれ、あれはあれ。
 スカスカのフェスティバル。警察に守られ、スタッフに「安全」なるものを提供されて楽しむ政治のエンターテイメントショーなんじゃないか、というのが実感に近かった。いくつもの欺瞞があった。
 いや、だが、人々には眠ったままの力がある。偏在し、孤立したままの力がある。それらを無力化し、結集させないのではなく、解き放ち、結集させるような運動のつくり方が必要なのだ。