メモ 2015年9月18-19日 国会前

 夕方5時半頃に国会前に到着。国会のなかでは、内閣不信任案がとりあげられていたはずだ。まだ、法案自体の投票は行われていない。国会の外の抗議の声に押されるように、野党の国会議員がそれなりの――しかし遅く、不十分すぎる――抵抗をみせ、法案の審議はずるずると遅れていた。国会前の空間は昨日と同様だった。車道は一車線ずつ「開放」されており、中央部分はがっちりと警察・機動隊車両が並べられたままだ。

 国会に向かって右側の車道から国会前に向かって入っていく。入ったところで、小さなドラムサークルが生まれていた。昨晩にはなかった光景だ。注意してみると、国会前の「ステージ」からの声がなく――休み時間だったのだろうか――、そのぶん、あちこちに小さなサークルが生まれ、昨日に比べるとその場のノリでの即興的な実践が多少顔をあらわしていた。ある場所ではドラムセットやアンプが路上におかれ、いくつかの歌が歌われ、コールがくりかえされていた。国会正面へとつづく歩道の横に広がる公園に足を踏み入れると、路上に立つことに疲れた人々が座り込んだり、寝そべったり、手元のラジオやスマートフォンで国会の様子を伺ったりしている。車座になって話し合う人たちの姿もみえた。公園側から国会前の抗議行動をじーっとみながら「参加」している人たちも。占拠空間に「中心」をおかないほうが、集まった人たちがそれぞれのアイデアや即興性で動けるのだなと改めて確認する。逆に言えば、昨晩の「ステージ」を中心とした抗議行動は、いくつもの小さなサークルの出現や声の広がりを押しとどめていたのではないか(もちろん、少なくとも私がいた時間帯は)。鶴見俊輔が60年安保闘争のときに書いた「いくつもの太鼓のあいだにもっと見事な調和を」という文章を思い浮かべる。昨日は「いくつもの太鼓」がなかったのではないだろうか。
 夜9時を過ぎて、主催者側がどんな判断でどのように動いたのかがよくわからないのだが、「ステージ」の声を各所で流すために設置されていた大型トラメガが撤去されたようだった。国会に向かって左側(南側)の歩道部分には、警察の赤色コーンといっしょにトラメガがまとめられて置かれていた。あれらは、警察から提供されたものだったのだろうか? いずれにせよ、「ステージ」からの中継トラメガがなくなってからのほうが、小さなサークルや表現が生まれて、活性化していたように思えた。人々のエネルギーが多少なりとも解放されていく瞬間があった。
 たとえば、9時50分頃、左側(南側)の国会前では、「道路を開けろ」コールが起こり、20分ほどにわたって続けられていた。小学生くらいの子どもから老人まで、こういった警察との直接的な対峙をしなさそうな人たちも一緒に声をあげていることに興奮を覚える。義務教育の学校で、何か突発的な出来事が起きて、教員に怒りをぶつけはじめた生徒たち、といった風情であるが、とても心地よい。ここは国会前右側(北側)と行き来できる歩道が車道を横切っている場所だが、その横断歩道が完全に警察によって封鎖されている。そこをあけろ、ということなのだろうか。コールがつづいて15分ほどたったとき、「人権サポート」という腕章をつけたスタッフが、警察と参加者とのあいだに入り、警察に背を向けて、手をこちらにぱたぱたしている。「押すな」というアピールだろうと見ていたが――最前線で機動隊との小競り合いがあったのかもしれないが、それほどの混乱は6、7メートル後方にいた私からは確認できなかった――、参加者はかわらず「道路を開けろ」コールを続ける。全て地声である。だれもマイクをもっていない。その5分後くらいに、「人権サポート」というスタッフがトラメガを持って、「安倍はやめろ」、「戦争法案絶対反対」といった一般的なコールをあげはじめた。参加者の「道路を開けろ」コールとスタッフによる「安倍はやめろ」コールとが徐々に混じり合い始める。しばらく声はせめぎあっていたが、時間とともに、トラメガの音量に負けるような形でスタッフがあげる一般的なコールへと移っていってしまった。あ、参加者の声がのっとられた、というのが正直思ったことだった。集まった人たちがそれぞれのやりかたで警察による不当な空間管理に抗議を始めたのだが、その力を、警察ではなく、抗議活動を続けているはずの側の人間が、抽象的なコールへと奪っていった瞬間。戦争法案を否定することと、路上の自由を管理する警察を拒否することとがつながる出来事が寸断された瞬間。路上にあふれた参加者のどこに向かうか分からない力とそれを管理しようとする力とのヘゲモニー争いは、後者の勝利となった。一見すると両者は対立していないようにみえるし、ただたんにコールの内容が変わっただけといえばそれまでだ。しかし、そうではない。両者は対立し、スタッフによる参加者の声の回収と方向付けが行われた。民衆の力への恐怖と管理――国会前の抗議行動を象徴するような出来事と感じた。
 10時半頃、ふたたび、国会の右側(北側)へ移動。「野党はがんばれ」コールがステージからは上がり続けていた。国会のなかの野党議員を応援する人々の姿。私はここに国会議員を応援するだけのために来ているのだろうか、と昨晩と同じことを思う。また、参議院での法案採決が近づく頃になって、「野党は牛歩」というコールも続いた。これには納得できる。国会議員はその立場でできる抵抗をやるべきだし、そのことを私たちは要求し、つきつけることは自然だ。国会前には、国会議員を支援する情動と、それを追求し問いつめる情動とが混じり合っている。11時半頃だっただろうか、共産党の志位和夫がステージにあがった。国会内の審議のひどさを報告し、ここまで審議がずれこんだことを「みんなの力ですよ!みんなで新しい政治をつくろう!」と呼びかけた。そのときの地鳴りのような声と拍手に鳥肌がたち、同時に、拭えない違和感が残った。

 12時頃、体力がもたなくなり、翌日にむけてどうしてもやらなければいけない仕事があったため、現場を離れることにした。背後から「選挙に行こうよ」、「賛成議員は落選させよう」というコールが聞こえてくる。このコールは、ここで表現しようとした民主主義を選挙にすりかえてしまわないか? ここに集まった力を次の選挙にまで先送りにしてしまわないか? むなしさを感じながら歩いた。友人たちからメールが届いている。「安保法案一括採決にもってくみたい。鴻池が報告。野党は無効コール」、「なんか野党むかつく。外のがんばりを背負いきってない。鴻池ひきずりおろせよ!討論省略、採決へ」、「自民党野上議員から発言1人15分に制限する動議。その投票中。てか牛歩やってないー!」などなど。「ステージ」で「最後まで闘う」とかなんとか言っていた野党議員の「闘い」って何なんだ? 「政治のくだらなさ、横暴さ、幼稚さを可視化できたのが、今回の運動の成果かな」と私は返信した。国会の中と外とのあたりまえにあるズレ。それを埋めてしまう声。国会前の主催者や「ステージ」と参加者とのズレ。それも埋めてしまう声。ズレがありすぎて、「院内外の共闘」や「一致団結」という言葉はすとんと胸に落ちない。むしろ、このズレからこそ、運動や言葉は出発できるはずだと思う。
 宿に戻り、テレビをつける。法案に関する各党の発言がつづく。次の選挙に向けた演説と思うようなパフォーマンスが、民主党、共産党、維新の党とつづく。公明党の賛成演説にはほとほと吐き気がした。そして、投票。なぜ演説場所にしがみついて、警備員に強制的に排除されるまで立ち続けないのだろう、と思った。その強制排除自体が、政府の不当性を逆に提示するはずなのに。そして、誰も牛歩をしない。驚くべきことだ。国会の外では、雨にびしょびしょになり、警察に押されながら立ち続けている人がいるというのに、牛歩くらいの抵抗もできないのか。山本太郎が一人、牛歩をやっていた。今、国会で信頼できそうなのは、彼一人だなあと思う。そして、あっさりと可決、成立。閉会後、目が血走ったままテレビのインタビューに答えた安倍の顔が忘れられない。きっと今も国会前ではたくさんの人が声をあげているだろう。国会とのズレ。抗議行動とのズレ。そこからの再出発・・・。うなされるように眠りについた。あまり眠れなかった。

* *

 この二日間に感じたこと、そして、それ以外の期間、ネットやマスメディア、自分の住む関西で参加した集会やデモのことをふりかえってみると、次のような整理をしておきたい。

1.安保法案反対運動には、基本的に、現状肯定の保守の情念が広がっているのではないか。集団的自衛権を批判するほどに既存の安全保障政策、すなわち日米安保体制と個別的自衛権は肯定されていく。政権によってハードルがあげられたがゆえに(集団的自衛権)、これまで設定されてきたハードル(日米安保)が肯定されるという妙な作用が確認できる。日本政府はその意味で2つのものを手に入れた。集団的自衛権の行使の制度化と、既存の日米安保体制の大衆的支持の広がりである。沖縄や岩国の孤立化は免れないのではないか。もちろん、ことはそう単純ではないのもわかっている。集団的自衛権を否定する動きが、既存の日米安保体制自体の批判へと向き直される可能性はある。そのような力の向きは孤立しがちだったが、路上にもネット空間にもあった。

2.院内と院外との連携という意識が強く働いている。この意識の背景には、「社会運動は反対しているだけではだめだ」、「政策決定に関与しなければならない」という社会運動論が影響しているだろう。反原発デモの広がりとともに「おまかせ民主主義」という言葉が、既存の運動を批判する文脈でつくられ、流通したことを念頭におきたい。また、院内外の連携という主張の背景には、この安保法案反対運動に共産党支持者が入っているということもあるだろう。この主張は、国民とは国会議員に声を聞き取ってもらう客体であり、国会議員は私たちの声を聞き取ってくれる主体である、との固定的な関係性へと横滑りしやすい。もちろん、現在の議会政治の勢力図においては、共産党や社民党の議席が増えることが望ましい。しかし、議会内の勢力図と、議会の外の大衆的な意志とはギャップがある。このギャップを埋めるものは、共産党や社民党の議席の増加であるだけでなく、別の新たな政治勢力を登場させることや、選挙制度そのものを変えていくことであってもよいはずだ。落選運動はやるべきだが、民主主義とは制度化された政治を越える力ももつ。今後の制度化された政治と非制度的な政治とのせめぎあいを注視したい。

3.「今回の安保法制は違憲である、変えたいのなら、正面から憲法改正の国民投票をするべきだ」との見解は、その見解だけでなく、その流通作用においても、危険ではないかと感じた。この論法が憲法改正ムードを準備してしまうことはないだろうか。手続き論を批判することはとても重要であるが、定められた手続きさえ取れば何でもできる、やむをえないとする雰囲気が生まれてしまわないか。沖縄の辺野古埋め立ては形式的な法的手続きは取っているとも判断は可能だ。法的に定められた手続き自体の不当性や暴力自体がもっと語られて良いはずだ。

4.「行動する知識人」かのようにふるまう学者たちへの違和感。既に述べたように、学者たちはSEALDsほかを支持することで、「民主主義」や「自由」を擁護する「行動する知識人」の地位を簡単に手に入れることができたのが今回の特徴である。欺瞞である。たとえば、防衛省による研究公募に16大学が応募したと報道された。安保法制と連動する軍産学複合体の形成、すなわち研究・教育の軍事化に対して、これらの学者たちは声をあげられるだろうか。安保法制反対の取り組みを大学の中で続けられるか、大学の中にも広がる軍事化を精緻に明らかにし批判できるか、止められるか、「行動する知識人」たちの現在が試されると思う。
 また、アイデンティティ・ポリティクス、ポストコロニアル批評、フェミニズム、戦後史研究などの良質な研究成果の多くが、路上には届いていないと感じた。まずこの現実認識が決定的に重要だ。安保法制をめぐって路上やマスメディアに知識人は多く現われているが、その現われ方は、課題を抱えているはずの運動を肯定する役回りに終止しているようにみえる。そのような態度は、アカデミズムの成果――たとえば、運動内部のジェンダーの視点、国民国家批判、ナショナル・ヒストリー批判、批判的安全保障研究、立場性の議論等々――の不在を不問にするような立ち居振る舞いとならないだろうか。