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【再掲】僕らサポーターが忘れない、金崎夢生が鹿島アントラーズで過ごした1234日間

執筆:タケゴラ
サムネイル:AKIRA

この記事は今から4年前の2月、私が初めて外部の媒体に寄稿した文章です。ただ、その媒体は今はなくなってしまったため、今回インターネットアーカイブから復元させたもの再アップして、ここで供養させることにしました。冒頭と追記の部分以外は当時の文章のままですので、皆さんも是非4年前の2月に遡って読んでいただければ幸いです。では、時を戻そうーー

書き出し

先日の2018FIFAワールドカップロシアアジア2次予選、シンガポール戦で先発出場を果たし、代表初ゴールとなる先制点をあげ、2015年シーズンにはJリーグベストイレブンにも初選出された金崎夢生。彼が鹿島アントラーズで過ごした343日間で、僕らはすっかり虜になってしまいました。

そしてわずか1年弱の期間だけど、彼が鹿島にいてくれたことを僕は忘れません。

「金崎夢生」ってどんな選手?

鹿島に入団する前から金崎の名前は僕らサッカーファンには広く知られていました。育成年代から結果を残し、名門、滝川第二高校から2007年大分トリニータに入団。

1年目から出場機会を得ると、2年目にはトップ下のレギュラーを掴み、ナビスコ杯ではニューヒーロー賞に輝く活躍で優勝に大きく貢献し、チームに初のタイトルをもたらしました。

その後、名古屋グランパス移籍1年目からレギュラーとしてチームのJリーグ初優勝に貢献。そこからドイツのニュルンベルク、ポルトガルのポルティモネンセSCへと移籍をしていました。日本からはなかなか情報の得にくいポルトガルリーグのそれも2部でプレーしていたこともあり、多くのサッカーファンの脳裏から薄れつつあったのが正直な所でした。

しかし、2015年の2月、鹿島のキックオフパーティーで、社長の口から発せられたのは彼の加入。僕らサポーターからすれば、電撃加入でした。

鹿島にフィットするとは思えなかった

なぜ電撃加入だったか。以前にU-22日本代表合宿で鹿島の中心選手である柴崎岳と言い争いをした過去や、開幕前の雑誌のインタビューで、「チームメイトと馴れ合うつもりはない」、「ポルトガルではチームメイト全員と喧嘩した」などと発言。「チームの輪」「団結」を何よりも重視する、鹿島のスタイルに合うとは思えなかったからです。

19歳で代表選出など、加入前から名前こそ知られていた金崎ですが、加入からシーズンが開幕するまでのサポーターらの反応は、不安の声も少なくありませんでした。

またプレースタイルでも、日本でプレーしていた時の金崎のプレースタイルは、2列目でのテクニックを活かしたドリブルやチャンスメイクという形が多く、鹿島にとって見れば人材の多い2列目ではなく、頭数の足りなかったFWなどの補強を急ぐべきではないかと思われていたからです。

チームを3年ぶりのタイトルに

しかし、そんな不安はシーズンが始まれば露と消えました。海外移籍を経てフィジカルの強さを身に付けた金崎は、何度もスプリントを繰り返しては、相手との競り合いをことごとく制し、シンプルにドリブルを仕掛けてゴールを狙うアタッカーへと変貌を遂げていました。

海外移籍前とは違い相手にとって「怖い」プレーヤーとなっていた金崎は、前半戦成績の上向かなかったチームにとって少ない光明の一つでした。

また、その輝きはチームが石井正忠監督への監督交代を決断してから、より一層増していきます。2トップの一角に固定された金崎は、石井監督が求めるスタイルの体現に欠かせない存在となり、前線の柱として躍動します。

リーグ戦では自己最多の9得点を挙げ、ナビスコ杯ではチーム3年ぶりのタイトル獲得に大きく貢献。さらには5年ぶりに日本代表にも選出され、その活躍はもはや鹿島というチーム内に留まらない程でした。

ジーコが鹿島に残した、「ジーコスピリット」

鹿島にはクラブの英雄であるジーコが残した、プロ選手の魂を説いた「ジーコスピリット」という言葉があります。ジーコが日本に残してくれた、今も脈々にクラブに受け継がれるプロの魂、「献身」「誠実」「尊重」の精神です。「チームの輪」「団結」を重視するクラブの姿勢もこのプロの魂からもたらされているものであり、多くのサポーターもジーコスピリットを持った選手を求めています。

そうしたスタイルに金崎は合わないのではないかという開幕前の不安を彼は良い意味で裏切りました。時に感情を表に出して、貪欲にプレーし続けるその姿勢から来る熱さを、スタジアムやテレビで見ている多くのサポーターにダイレクトに伝えることによって、多くのサポーターから「ジーコスピリットをピッチで最も見せているのは金崎だ」という言葉を引き出す程になりました。

彼の「ギャップ」が僕らを惹きつけた。


しかし、当の本人はジーコスピリットについて「よくわからない部分も多い」と言いのけてしまっています。

さらにプレー以外でも、口数は少なくファンサービスも気まぐれながら、勝利した後はサポーターが歌うチャントに合わせてはしゃぎ、ナビスコ杯決勝後のインタビューで「パパー!誕生日おめでとう!」と発言。試合後に好んで飲むのはカルピスウォーター。プレー時からは考えられないほど自由奔放。そんな純粋な子どものような人柄と、チームへの献身を惜しまない力強いプレーが、「ギャップ」となって僕らを惹きつけました。

そして、年が明けて間もない2016年1月14日、金崎の鹿島からの退団が発表されました。多くのがサポーターがその発表を悲しみましたが、それは単に戦力面でのマイナスを嘆くだけでなく、金崎の新たな魅力が引き出され僕らをさらに惹きつけさせてくれると期待していたからです。

彼と共に戦って勝利を勝ち取り、彼の笑顔をもっと近くで見ていたかった。その思いがあるからこそ、多くのサポーターは彼と共に戦った340日間を忘れないだろうし、退団時のリリース文にあった一文を信じています。

「いつの日かまたカシマスタジアムに戻ることができれば嬉しいです」

P.S.

そして思いはすぐに現実のものとなります。この記事が校了し、公開直前の2月12日、昨年あの電撃加入が発表されたキックオフパーティーで告げられたのは、金崎のまさかの電撃復帰。

今季もカシマスタジアムで金崎のプレーする姿を観ることが出来る、今季も金崎と共に戦える、今でさえこれだけの夢を叶えてくれた金崎は、これからどんな夢を僕らに見せてくれるのだろうか楽しみで仕方ありません。

金崎の言葉を信じていた鹿島サポーターはこう思ったはずです。

「またカシマスタジアムに戻ってくれて嬉しいです」

あれから4年

いかがでしたでしょうか。金崎の鹿島復帰が発表されたのはこの記事公開の5日前。もう戻ってこないものだと思ってほとんど原稿を書き上げていた当時の私は戻ってきた嬉しさよりも、この原稿どうすんの…と焦りの気持ちが遥かに上回っていました。

そこからの金崎の活躍は言うまでもないでしょう。2016シーズン以降は完全にエースとして定着。1stステージ優勝に大きく貢献し、2ndステージでは絶不調に陥ったものの、迎えたチャンピオンシップでは3試合3ゴールの活躍ぶりでMVPを受賞。チームを7年ぶりのリーグ優勝に導いてくれました。

そこからも活躍ぶりは相変わらず。2018シーズンには背番号10を背負うことにもなりました。しかし、2018年7月24日。突然のサガン鳥栖への移籍発表。金崎が鹿島に在籍してちょうど1234日目の衝撃に、私も驚きを隠せませんでした。

金崎はその後、今年の3月に古巣である名古屋に期限付き移籍。明日は相手チームのエースとして我々の前に立ちはだかってくることでしょう。

正直、金崎のことは今でも応援しています。彼が鹿島にもたらしてくれたものの大きさは、移籍したとて色あせることはないでしょうし、称えられるものだと思っています。ただ、明日はそんなことは言ってられません。恩返しは不要ですので、是非とも鹿島の守備陣にはシャットアウトを期待しております、というところでこの記事を終わりにしたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。

書いた人

タケゴラ
東京都出身。ANTLOVERS MAGAZINEの一応編集長。アントラーズとは2000年に出会って以来、20年のお付き合い。好きが高じてアントラーズのマッチレビューを書くようになり、2020シーズンは全試合投稿中。実体は丸の内OLとの一説も。フルーツサンドは正義。
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