安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)

モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。最新著書『新・ラグ…

安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)

モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。最新著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(共著)『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』、監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。訳にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』

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イタリアデザインについて語る場です。ことに20世紀後半、ミラノを中心として、どのように新しいデザインが生まれたか?が焦点です。このテーマの本を執筆する予定です。したがって、その頃のキーパーソンたちにもインタビューしていきます。そのリサーチ活動のプロセスやその時々に考える記事を毎月、2本程度は書いていくつもりです。 大文字(広義)のデザインと小文字(狭義)のデザインの両方をカバーしていくので、どちらか片方ではなく、両方に関心のある方に読んでいただきたいです。ロベルト・ベルガンティ『デザイン・ドリブン・イノベーション』、安西洋之『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』あたりに関心があれば、ぜひ!

  • イタリアデザインを語る場。

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    • 13,042本

    日経COMEMOは、様々な分野から厳選した新しい時代のリーダーたちが、社会に思うこと、専門領域の知見などを投稿するサービスです。 【noteで投稿されている方へ】 #COMEMOがついた投稿を日々COMEMOスタッフが巡回し、COMEMOマガジンや日経電子版でご紹介させていただきます。「書けば、つながる」をスローガンに、より多くのビジネスパーソンが発信し、つながり、ビジネスシーンを活性化する世界を創っていきたいと思います。 https://bit.ly/2EbuxaF

  • メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか?

    最新著書『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』に関するさまざまなメモを書いていきます。

  • 文化とビジネスの不穏な関係にちゃちゃ(!)を入れる

    • 182本

    文化をどう定義するかはさまざまですが、基本的に人が生きるための工夫です。そうなんですが、なんか本末転倒みたいな話って多いのです。例えば、はっきり言うかどうかは別にして「ビジネスのための文化」とでも言いたげな論が目につきます。それ、いいの?という文章を書いていきます。

  • 文化の読書会

    • 252本

    読んだ本の趣旨を1章ずつ1000字以内で書いていっています。

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    本の感想をあまり長くなく、500字周辺を目安に書いたものです。

最近の記事

デザインとアートの接近をみる

従来の枠組みが壊されても、すべてがボーダーレスになるわけでもなく、なんらかの新しい区切りはできていくーーそれでも、枠組みが壊されたり、新しい繋がりができるシーンには期待で心が躍るものです。 現在、ミラノのデザイン関係者たちは16-21日の6日間に渡り実施されるミラノサローネ国際家具見本市やデザインウィークの準備で大わらわです。 2月に行われたプレス発表については上の記事に書きましたが、デザイン関係者の1人であるぼくも、さまざまな渦のなかにいます。 今年の大きな変化につい

    • スマートホームにおける親子のもめごと

      最近、欧州のある研究機関のアンケートに回答する機会があり、質問のひとつに「あなたは、技術発展は新しい社会をつくると心が躍るタイプか?」とありました。それに対して「まあ、その類」と答えました。 テクノロジーオタクでもないですが、数多のテクノロジーがそれまでと異なる世界をつくるに貢献してきたのは確かなため、やはりその世界の到来には期待大です。 さて、今週、どういうわけかスマートホームに引っ越ししました。同じミラノ市内です。 「どういうわけか」と書くのは、もともと1世紀以上前

      • インテリアの色の選択に潜む「内なる保守性」を壊そう!

        インテリアの色を考えるのって、結構、保守的になりやすいと思います。白の壁を基調とすると、どうしてもミニマリズム志向の罠にはまります。無駄を省こうとすれば、なおさら色への挑戦はしづらくなる。 来月、引っ越しをするので新しい家具などを選びながら、自分の内に潜む「保守性」に気づかされます。 例えば、白い壁に白系統の大理石にどのような生地のソファが良いか?黒いピアノを壁によせておくと、白と黒のコントラストが強すぎないか?悩みは尽きないばかりでなく、家族のなかでも趣味は違います。

        • 企業の採用担当者って、世の中のことをもっと勉強したら?

          文系修士の採用を避ける人事担当者がいるなら、それは「採用担当のあんたが悪い!」と言わざるをえません。学生が反省することではない。学生に就活で不利だと思わせる企業側は、あまりに社会をみる目がないとしか言いようがないのです。 「課題発見能力に期待」などと能力を細切れにせずとも、もう総合力で良いに決まっているじゃない。 今頃、何を言っているのでしょうね・・・。 ぼく自身は人文系学部卒です。しかし、大学で話す機会も多いし、大学の先生と一緒に仕事するのが日常です。また、社会人の修

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          イタリアデザイン史を振り返る 1

          「イタリアデザインを語る場。」に参加すると最後まで読めます

          佐藤和子の『「時に生きるイタリアデザイン』の背景について以下のように書いたが、デザインの読書会の課題図書にしたので、気になるところにメモを残しておこう。今回の対象は「序」「第1章 1990年代。モダンクラシックの嵐」「第2章 1930年代のイタリアデザイン」「第3章 敗戦からデザイン黄金期へ」のおよそ100ページ。 方程式のないイタリアデザイン まず、次の文章だ。日本とイタリアのデザインアプローチに言及している。 デザイン研究者のアンドレア・ブランジの”Ritratti

          イタリアデザイン史を振り返る 1

          「デザインのミラノ」が実質的な内容を伴いつつある。

          「イタリアデザインを語る場。」に参加すると最後まで読めます

          ミラノのデザイン界がほんとうに次元を変えて動きつつあるのを実感します。 以下の日経COMEMOの記事で、ミラノサローネがミラノ工科大学に「サローネのエコシステム」の調査を委託したことを紹介しました。2月13日のプレス発表のことです。 その翌日、2月14日、今度はトリエンナーレ美術館でプレス発表がありました。ここに年間、開館時にはいつでも誰でも無料で使えるスペースとサービスがあるデザインセンター”Cuore Centro Studi Archivi Recerca"がオープ

          「デザインのミラノ」が実質的な内容を伴いつつある。

          将校の姿をしたデザイナー。

          「イタリアデザインを語る場。」に参加すると最後まで読めます

          前々回と前回、1970年前後にあった動きをクリノ・カステッリの活動から紹介した。 今回は、この頃の動きについて別の例をあげよう。 1973年、ミケーレ・デ・ルッキ(1951-) が”DESIGNER IN GENERALE”というパーフォーマンスをトリエンナーレ美術館の前で行った。将校の格好をしたデザイナーだ。 generale という言葉は「全員の」「専門的ではない」「指揮権をもつ」という意味で、in generaleとすると「一般に」ということになる。一方、gene

          デザインとファッションの対話がはじまったころ。

          「イタリアデザインを語る場。」に参加すると最後まで読めます

          カタチのないデザインを考えるにあたって参照すべき1972年は、クリノ・カステッリ(1944ー)による「グローイング・チェア」の発表、ジッロ・ドルフレス(1910-2018)が「トータルデザイン」との表現を使った年と前回の記事で書いた。 上記の内容の文章があるカステッリのエッセー集"No-form 2020"は、気になるエピソードから始まっている。 1967年、フラビオ・ルッキーニ(1928- )にニューヨークに行かないか?と誘われた、と書き始めている。フラビオ・ルッキーニ

          デザインとファッションの対話がはじまったころ。

          カタチのないデザインにとっての1972年。

          「イタリアデザインを語る場。」に参加すると最後まで読めます

          美術批評家であり自らもアーティストであったジッロ・ドルフレ(1910-2018)が、デザインのねっこは「知識センター」にあり、もはやモノの量産にかかわる行為ではないと、「トータルデザイン」との表現でモノの形状からデザインを解き放ったのは1972年だった。 ちょうどその1972年、クリノ・カステッリ(1944ー)が「グローイング・チェア」を発表した。以下の写真をみると分かるようにインタラクティブなチェアである。 クリノ・カステッリはCMF(色、マテリアル、仕上げ)でデザイン

          カタチのないデザインにとっての1972年。

          エットーレ・ソットサスの自伝を読んで気づくこと-1

          「イタリアデザインを語る場。」に参加すると最後まで読めます

          1980年代、世界のデザイン界を騒がせた文化運動、メンフィスを主宰したエットーレ・ソットサス(1917-2007)の自伝、"Scritto di notte" (和訳は『夜ノ書 エットレ・ソットサス自伝』)はイタリアデザインの「裏のヒストリー」を知るに、とても参考になる。 エットーレ・ソットサスが生れ、幼少期を過ごしたのはオーストリアのインスブルックである。父親がイタリア人の建築家、母親がオーストリア人だった。父親はインスブルック、イタリア北部のトレントで仕事をしていたが、

          エットーレ・ソットサスの自伝を読んで気づくこと-1

        記事

          「悲観論は無意味で有害だ」と言った方が良いのか?

          楽観的なことを言っているとアホかと思われ、悲観的なことを言っていると賢いと思われる・・・というのもかなりステレオタイプな理解です。 ハンス・ロリングとオーラ・ロスリングの『ファクトフルネス』が大ヒットしたのは、データをみると「世界って結構イケている方に向かっている」と実感した人が多いからでしょう。 楽観的になれるのは気持ちのもちようではなく、現実把握力によるのだ、というわけです。以下の記事もその線で書かれています。 最も知識が少ない人が将来を最も悲観していた。比較的に貧

          「悲観論は無意味で有害だ」と言った方が良いのか?

          親が学校教育を終えた子どもにできること。

          親が子どもの学校教育終了後の進路にどこまで相談にのれるのか、あるいはのった方がよいのか、案外の案外、一筋縄ではいかないテーマです。 ぼく自身の例を話しましょう。 息子に「大学を休学して写真家の可能性を試してみたい」と言われたとき、即答はできませんでした。仕事上、写真家の世界をまったく知らないわけではないですが、長い間、どうやってサバイバルし続けるかは勘がつきません。 ただ、仮にぼく自身がプロの写真家であっても、即答はできないだろう程度には想像がつきます。 2つのポイン

          親が学校教育を終えた子どもにできること。

          活動なしに快楽は生じない。同時に、あらゆる活動を完全なものにするのも快楽である。

          文化の読書会ノート。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』第10巻 快楽の諸問題と幸福の生 納富信留『ソフィストとは誰か』と交互に読んでいる(読み終えたので、正確には「きた」)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 第10巻は前半、快楽について論じ、半ば以降は幸福を語り、後半は知性の至高性や徳と幸福を経由して教育・立法・政治で終わる。つまり政治学の序章にあたる。 ここでは快楽についてまとめる。 人生の全体を貫き、徳と幸福な生活に対して重要性と力をもつ快苦をめぐ

          活動なしに快楽は生じない。同時に、あらゆる活動を完全なものにするのも快楽である。

          ガストロノミーとしての「ラザニア」の楽しみ方

          ガストロノミーが注目を集めつつあります。ガストロノミーは料理を中心として文化や歴史などあらゆる分野を視野に入れていきますが、実践や体験とそれらの成立の背景を実感できる点が興味をもつ人が増えている理由でしょう。ローカルを丸ごと分かりたいの願望にも合致します。 ひとつのテーマをあらゆる角度から考察するのはラグジュアリーも同じなので、ガストロノミーのアプローチについて新ラグジュアリー講座でも探っていきたいと考えてきました。 ラグジュアリー文脈で食あるいは料理はミシュラン星付きに

          ガストロノミーとしての「ラザニア」の楽しみ方

          友人の誕生パーティーで出逢った人たち。

          先週末、ミラノから東南に300キロほどいったファエンツアに出かけました。アイルランド人の友人の誕生日の前夜祭です(誕生日は丘の方にあるワイナリーのレストランでの昼食)。 ご存知の方も多いと思いますが、当地では誕生日パーティとは誕生日をむかえる本人がオーガナイズするものです。彼はファエンツァとダブリンの2拠点生活をしている活動的な人間なので、70人以上も欧州各地からやってきます。 その人たちのマックス2泊3日の宿泊予約、食事、ツアーなどをアレンジするので、「こりゃあ、そうと

          友人の誕生パーティーで出逢った人たち。

          イタリアデザイン史を振り返る 1

          佐藤和子の『「時に生きるイタリアデザイン』の背景について以下のように書いたが、デザインの読書会の課題図書にしたので、気になるところにメモを残しておこう。今回の対象は「序」「第1章 1990年代。モダンクラシックの嵐」「第2章 1930年代のイタリアデザイン」「第3章 敗戦からデザイン黄金期へ」のおよそ100ページ。 方程式のないイタリアデザイン まず、次の文章だ。日本とイタリアのデザインアプローチに言及している。 デザイン研究者のアンドレア・ブランジの”Ritratti

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          書き言葉は話し言葉の影に過ぎない

          文化の読書会ノート 納富信留『ソフィストとは誰か』第2部第8章 言葉の両義性ーアルキダマス『ソフィストについて』 結び ソフィストとは誰か (アリストテレス『ニコマコス倫理学』と本書を交互に読んでいる) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー アルキダマス『ソフィストについて』は、古代ギリシャの知的活動にあった、今の時代では忘れ去られた影を時代の証言として浮彫にしてくれる。 「語り言葉」の「書き言葉」への優位性であり、かつ、そこにプラトンやアリストテレスもジレン

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          『パーフェクト・デイズ』と国際コラボレーション

          ヴィム・ヴェンダース監督の『パーフェクト・デイズ』をミラノの映画館で観ました。 イタリア人の友人に「1回目はぜんぜんわからなかった。ストーリー展開があるものと期待していたんだ。2回目は淡々とした日常生活の断片を追うものと分かったけど、ディテールをもっと理解したいから一緒に観て欲しい」と誘われたのです。 観終わって「年齢を重ねて経験を積み、ヴェンダースの映画を面白いと思えるようになって良かった。その昔、『パリ テキサス』がさっぱりわからなかったからね」と友人と歩きながら冗談

          『パーフェクト・デイズ』と国際コラボレーション

          「デザインのミラノ」が実質的な内容を伴いつつある。

          ミラノのデザイン界がほんとうに次元を変えて動きつつあるのを実感します。 以下の日経COMEMOの記事で、ミラノサローネがミラノ工科大学に「サローネのエコシステム」の調査を委託したことを紹介しました。2月13日のプレス発表のことです。 その翌日、2月14日、今度はトリエンナーレ美術館でプレス発表がありました。ここに年間、開館時にはいつでも誰でも無料で使えるスペースとサービスがあるデザインセンター”Cuore Centro Studi Archivi Recerca"がオープ

          「デザインのミラノ」が実質的な内容を伴いつつある。

          ミラノサローネの模索の軌跡が面白い。

          空間の「温度」は大切な要素です。摂氏何度ということではなく、空間の雰囲気が暖かいか冷たいか?です。 およそ冷たいとオフィス的な空間になり、暖かいと山小屋のようになります。この中間で居心地のよいカジュアルな空間をつくるのが多くの人のテーマだと想像しますが、それを意識して作れる人ってそう多くない。 さて、毎年4月に開催されるミラノサローネ国際家具見本市が今年も16-21日の6日間に渡り実施されます。2月13日、ミラノのピッコロ劇場でのプレス発表の場にいくと、入口で「あなたはデ

          ミラノサローネの模索の軌跡が面白い。

          伊仏の料理から新旧ラグジュアリーを考える場。

          「ラグジュアリー」と呼ばれる、あるいは認知されることを多くの視点と長い時間からみることに意義があります。ラグジュアリーを一つの分野や歴史の断片で語ってもあまり意味がありません。その意図でForbes JAPANの連載も「ポストラグジュアリー  360度の風景」とのタイトルで書いてきました。 だが、料理をラグジュアリー文脈で正面から取り上げたことがありませんでした。ボローニャ大学の博士課程でイタリア料理史を研究する中小路葵さんから次のことを伺い、「これだ!」と思いました。

          伊仏の料理から新旧ラグジュアリーを考える場。

          都市からSUVが排除されていくのか?

          かつてフランスやイタリアの都市の路上駐車は、小さいクルマが空きなくぎっしりと並ぶとの風景が当たり前でした。この縦列からどうクルマを出すのだろう?と興味津々に眺めた方も多いでしょう。 ご存知のように、前と後ろに駐車しているクルマに自分のクルマをあてながら、じょじょにスペースをこじけあけていく。ですからお互いにパーキングブレーキはかけない、というのが「常識」です。今も、そうした風景はありますが、だんだんと減ってきました。 減少の背景として、まず都市内の路上スペースが有料になり

          都市からSUVが排除されていくのか?