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吉本隆明の183講演の感想を書いています。

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「ほぼ日」に公開されている吉本隆明の講演のひとつひとつに感想を書きます。要約ではなく内容から刺激をうけて考えたことです。
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自立の思想的拠点

自立の思想的拠点

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「自立の思想的拠点」(A002/1966年)を読んで考えたこと。8回目。

日常生活にある具体的なことだけで振り回される人のことを大衆と表現し、そこから自然と全体的なことを抽象的に考えて”しまう”人を知識人と呼ぶ・・・と吉本隆明は語っている。

あるタイプの人は、ほっぽっておいても余計なことを考え、「あれとこれは繋がるから、そこの関係はこうで、だから全体

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若い現代詩――詩の現在と喩法

若い現代詩――詩の現在と喩法

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「若い現代詩ー詩の現在と喩法」(A065/1982年)を聞いて考えたこと。7回目。

メインカルチャーに対してサブカルチャーが登場し、二つの言葉や語法が生まれたような気になる時代があった。明らかに並行路線だったのだろう。しかし、時が進むにつれて並行である続けることが無意味に覚えてくる。

両方が歩み寄ると宣言をするまでもなく、お互いに同じところを見ながら

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究極の左翼性とは何かー吉本批判への反批判

究極の左翼性とは何かー吉本批判への反批判

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「究極の左翼性とは何かー吉本批判への反批判」(A105/1987年)を聞いて考えたこと。6回目。

ある考え方やグループにラベルをつけにくくなった1987年、唯一の党派性は資本主義か社会主義かだけである、と吉本隆明は語った。一般大衆が主役になったとき、一般大衆の声をどれだけ分かるか。問題はそこにしかない。左翼や右翼であることに意味がなくなった、と。

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時代はどう変わろうとしているのか

時代はどう変わろうとしているのか

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「時代はどう変わろうとしているのか」(A094/1986年)を聞いて考えたこと。5回目。

ある分野やモノについては究極のイメージを掴みかけてきたのではないか。

日本のなかで、そう思い始めた人が多くなってきたのが1980年代だった。国民の9割は中流意識をもっているとの世論調査の結果が流布していた頃だ。

吉本隆明は中流意識の拡大と並行して、究極のイメー

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古い日本語のむずかしさ

古い日本語のむずかしさ

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「古い日本語のむずかしさ」(A081)を聞いて考えたこと。4回目。

漢字の象形文字を解読をして「本来、これはこういう意味だ」と解説する人がいる。ごめんさい。ぼくは、そういうところから話をスタートされるのがどうも苦手だ。

あるオリジナルなるものが絶対的にあり、そこに人間の知恵の全てが込められていると言われているようなものだ。そういう解釈もあるかもしれな

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文学論―文学はいま

文学論―文学はいま

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「文学論―文学はいま」(A103)を聞いて考えたこと。3回目。

人類の歴史は無駄な死の数が減少してきた歴史である、という人がいる。無残な殺戮が少なくなってきた、と。現代においても大量な死が戦争や圧政によってある。自然災害による無念な死もある。しかし過去と比較すると少ない。

ローマ時代や中世の歴史書を読んでいると、あるいは日本でも戦国時代のドラマを見て

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「かっこいい」ということ -岡田有希子の死をめぐって

「かっこいい」ということ -岡田有希子の死をめぐって

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「『かっこいい』ということ -岡田有希子の死をめぐって」(A091)を聞いて考えたこと。2回目。

今や男性のスーツは金融と法曹の世界のユニフォームに過ぎなくなってきた。極端に言うとだが・・・。

ファッションのカジュアル化は、単に素材やスタイルの変化ではない。ビジネスマンが期待されている役割も固定的ではない、との比喩的現象でもある。

このファッション

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「ふつうに生きるということ」

「ふつうに生きるということ」

ほぼ日にアーカイブされている「吉本隆明の183講演」にある「ふつうに生きるということ」(A182)を聞いて思ったこと。1回目。

偉大と称される人は実は日常生活をまともに送れる人ではない、と昔から言われてきた。

「あの人はえらいと言われているけど、家のなかではまったく違う」というのは、まったく珍しくないエピソードだ。「そうなんですか!」などと驚くのはフリでしかない。

ふつうの人や生き方に価値が

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