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「かっこいい」ということ -岡田有希子の死をめぐって

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「『かっこいい』ということ -岡田有希子の死をめぐって」(A091)を聞いて考えたこと。2回目。

今や男性のスーツは金融と法曹の世界のユニフォームに過ぎなくなってきた。極端に言うとだが・・・。

ファッションのカジュアル化は、単に素材やスタイルの変化ではない。ビジネスマンが期待されている役割も固定的ではない、との比喩的現象でもある。

このファッションのカジュアル化の部分だけ(あくまでも「だけ」)、スーツ全盛時代よりも、仮の自分と本当の自分の間にあるギャップに悩むことが減っている(ような気がする)。その分、「反体制派」を標榜したファッションの気どりもなくなった。

人の歴史を紐解くと、組織と個人の役割を築き上げる長い時間があり(例えば、奴隷制はそれを枠外から支えるものだった)、その後、長い間に固定された呪縛をひとつひとつ解いていく時を過ごしている。「あの山に苦労して登ってみたら、案外、無理が多くて」と。

現代は、ややこしく捻じれた紐を解いていく時代にある。誰かが「こう解いた方が早いんだ!」と反対方向にひっぱろうとすることもあり、しばし緊張感を生むことは避けられない。

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アイドル歌手、岡田有希子が自殺したのは1986年。ちょうど30年前になる。スーツ全盛の時代にあって、二人の自分の狭間に行き場を失ったとされた。

2016年はあの時よりよい時代か?

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