見出し画像

「機動戦士ガンダムNT」から勝手に読み解く宇宙世紀とニュータイプ論

この記事は2021年11月19日に公開した記事を再投稿したものです。

先日、ようやく「機動戦士ガンダムNT」を視聴しました。個人的には非常に面白い作品でした。

本作は人によって評価が別れるという話を事前に聞いていたのですが、それについては正直、確かに意見が分かれてしまうのも仕方ないな……という気持ちです。

なんとなく宇宙世紀への熱が高まったので、NTの感想を交えつつそもそもどうして賛否が別れるのか、という話をシリーズを追っていない人にもなるべくわかりやすいように個人的な解釈を語っていきたいなと思います。



そもそもガンダムっていうあまりにも広がりすぎた作品群

そもそもガンダムという作品群を知らない人にとっては、難しいことだらけであまりにも敷居が高いのだが、今のガンダムは大きく分けて3つの流れがある。

1つ目は宇宙世紀シリーズと言われる、初代から続く同じ世界感の中で続く作品群。かなり大雑把にファースト→Z→ZZ→逆シャア→UC→閃ハサ→F91→V、っていう感じ。Gレコや∀もここに区分していいとは思うけどひとまず割愛。

2つ目はアナザーセンチュリー、たいていはアナザーガンダムなんて呼称されることの多い、宇宙世紀とは異なる世界設定で独立した作品群。G、W、XやSEED、00、AGE、オルフェンズ辺りはこの区分。

そして3つ目はガンダムというより、ガンダムという作品が一般的に普及している世界でガンプラをモチーフにした作品群。ビルドシリーズあたりから一気に広がりを見せている。


よく耳にすることがあるかもしれない08小隊、ポケ戦、0083、AoZ、センチネル、クロスボーン、あとは○○MSVみたいなやつ。これらはいろんな作品についての外伝ポジションだと思ってもらえればひとまずよし。

それで最もシリーズや派生作品が多い上に、その数だけ解釈や派閥が多いのが宇宙世紀シリーズ。

どうしてNTを見てそんなシリーズという大きな括りで物事を語ろうとしているのかというと、宇宙世紀シリーズとは切っても切れないニュータイプという概念に踏み込んでいるのがガンダムNTという作品だからである。


ニュータイプとかいうあまりにもふわふわした概念

今回の本題であるガンダムNTが賛否両論のワケ。それはおそらく今現在、発表されている全てのガンダムシリーズを網羅したとしても、ニュータイプという概念に対する明確な答えが出されていないからと言わざるを得ない。

どうしてそんなことになっているのかという説明をするには、そもそもニュータイプって何というところから始まるのだが、この時点で説明する側はいつも頭を抱えてしまう。

作中においてニュータイプとは、「宇宙に適応した新人類」を指す言葉ではあるものの、オールドタイプ(作中では一般的な人間のことをニュータイプと比較してこのように呼ばれている)と具体的にどう違うのかもはっきりとしていなければ、ひとえにニュータイプといっても個人差が激しい。

ひとまずはESPとかテレパスとかそういう類のものとして認識してもらえればだいたい合ってる気がする。作中でもそんな感じに捉えられてるし。

基本的には直感や洞察力、空間認識能力といったものが優れていて、なんかよくわからないけど敵の位置が見える、敵の動きが読める、みたいな感じだから、とにかく戦闘においてはニュータイプっていうだけで強い。

しかし作中ではそれだけに留まらず、死者の声が聞こえたり会話できちゃったり、他者と離れていても会話できちゃったりするものだからさあ大変。挙句の果てには死者と共に思いの力を増幅して攻撃に転換したりしていることもあったりするものだから手がつけられない。

よくあるビット、ファンネル、といったあれらの武器は実のところサイコミュ兵器で、パイロットが操縦桿で遠隔操作している、というよりは脳波でコントロールしているというからくりだったりする。


ただまぁ、あくまでもそれは副次的に戦闘に応用出来てしまっている、というだけの話であって、ニュータイプの本質はおそらくそこではない。ということを作中でもふんわりと言及されている。

一応、宇宙世紀の歴史の中でニュータイプという概念について作中でも様々な意見が飛び交っているのだが、結局これらの概念について完璧に解明できたことはなく、どうしてあくまでもふんわりと「たぶんこんな感じ」に留まっている状態のまま、作中で二十年くらいの時間が経過することになるのだ。

それは結局のところ、ニュータイプに目覚めた人が戦闘において優れた能力を発揮して戦果を上げているからというところも大きい。後世においてはニュータイプはエースパイロットの別名程度の認識をしている人もいる始末。

作中ではニュータイプ研究所なんて施設もあったりするけれど、実際は自軍が戦争で優位に立つためにニュータイプという名のエースパイロットを人工的に作り上げて、兵器に転用するためのものという有様。

結局のところニュータイプなんて呼ばれてはいるものの、それが本当に新人類なのかはわからないまま、結局都合良く戦争の道具にされている……というのがガンダムにおけるニュータイプの立ち位置なのだ。


歴史を繰り返す宇宙世紀

ただまぁ、ニュータイプ論争に決着がつかないのは時代のせいでもある。先ほど述べたようにニュータイプはいろんな作品で結局戦争の道具にされ続けるのだが、そこにはあんまりな世界情勢が絡んでいる。

そもそもガンダムってなんで戦争しているのかって、人口が増え過ぎちゃって地球に住めなくなっちゃったから、宇宙にコロニーをつくってそこに移住させようってところから話が始まる。

でも宇宙に移民したというよりは、どちらかというと追い出されたみたいな感じなのが実状だからさあ大変。地球で暮らす偉い人たちは至福を肥やし、貧しい人々を宇宙に追い出して、自分たちが統治者ですって面してコロニーで暮らす人々を虐げるから、不平不満が募って地球に暮らす人々と宇宙で暮らす人々の間に確執が生まれてしまう。

で、宇宙で暮らす人々は自分たちにも権利を!みたいな感じで立ち上がるんだけど、まぁなんやかんやあってうまくいかなくて、結局地球に住む側の人たちの態度が改まることはなかった。

仕方がないので宇宙で暮らす人たちが戦うかって思ったけど、地球側の方が圧倒的に人口が多いので物量差で押し切られそうになっちゃう。その物量差をひっくり返すために開発されたのがモビルスーツ。

で、そのモビルスーツで蹂躙していっていい感じに地球側に勝ちそう……ってなってきたところで、地球側が満を持して開発しちゃったのがガンダムなのである。


そう、ガンダムを履修していなくても感のいい方ならもうお気づきだろう。

このガンダムという作品、立ち位置的には味方側である地球連邦が悪い。とにかく諸悪の根源。だいたいこいつらがそもそも宇宙移民した人たちを悪いように扱わなかったら、この作品は何十年も地球と宇宙で戦争を続けなかったのだ。

でも実際のところは宇宙側も悪いところはいくつかあったりして、もう取り返しがつかないくらいにお互いがお互いに憎しみを募らせあう形になっちゃった上に、最終的に戦争に勝ったのが地球側だったりするものだから始末が悪い。

結果として後世の作品であるVガンダムまでの80年くらい、組織が変われどもずっと地球側vs宇宙側の戦争を続けることになるのだ。

そんな世の中でニュータイプ、人の心が読める!なんていう人たちが出てきて、戦争で戦果を上げたりなんかしたら、戦争の道具に使われるのも仕方ない。ましてやニュータイプが宇宙に進出したことで発生したとか言われだしたから、余計に話がこじれちゃうのも仕方ないことなのだ。


で、結局どうしてこんな話をしているのか

あまりにも学ばない宇宙世紀。戦争の道具に使われ続けるニュータイプ。

そんな世界にひとつの可能性を出したのがガンダムUCという作品だ。この作品の詳細ついては端折るとして、大事なのはサイコフレームという技術が生まれた結果、ニュータイプの心を、人の意思を増幅することで通常では起こり得ない奇跡のような現象を生み出すことが可能になってしまったことにある。

実際に作中で起こった現象として、重力圏に引かれて地球への落下コースに入ってしまった小惑星を、サイコフレームを搭載したモビルスーツ一機で押し返しちゃったのが代表的だ。

そんなサイコフレームを全身に搭載してしまったのがユニコーンガンダムと呼ばれる機体で、この機体に至ってはなんかもうロボットなのにテレキネシスみたいなことをバリバリやってしまうわ、存在そのものが高次元のものへと変化しちゃったりとかする。

ちょっと何を言ってるかよくわからないかもしれないがそうとしか言いようがないくらい、超能力を発揮してしまうのがサイコフレームを搭載した機体なのだ。この機体にニュータイプが乗るととにかくやばいのだ。


簡潔にしたはずなのに、長い長い寄り道を経てようやくガンダムNTの話に辿り着く。本作はこのサイコフレームの現象にまつわる話で、この現象を利用して人間の死を超越しようみたいな話が出てくる。

結局それらは無理でしょっていう結論になるんだけど、本作でかなり重要だと思ったのは人の意思を増幅させ、奇跡とも言える力を実現してしまうサイコフレームを使用した機体は、人間にはあまりにも過ぎた力であるという結論だ。

後付作品ではあるものの実は宇宙世紀シリーズとしてはかなり大事な軌道修正ポイントで、何故かというとそんな強力な兵器であるサイコフレーム搭載モビルスーツは、その後の作品には登場しないからだ。

いや、厳密にはサイコフレームという概念は逆シャアの中でしか触れられなかったものなのだ。そこを抽出して掘り下げていた物語を後からつくったのがガンダムUCで、その派生あるいは続きとして生み出されたのがガンダムNTなのだ。

確かにこれだけ強力な兵器として生まれたものが、のちの作品に登場しないのは些か不自然が過ぎる。要は後付作品で膨らんでしまったチートアイテムの存在を、ガンダムNTで時代の影に封印する流れに持っていくことが出来たのだ。


ガンダムUCの頃から散々、インフレだの超パワーだの言われてきたニュータイプとサイコフレームを用いたトンデモ現象たちだったのだが、そこに踏み込んでひとつの答えを出した上で、それらが後の作品に矛盾を出さないように収束させる道を生み出したといえる。

ただ賛否両論になってしまう原因として、その道を提示するために一度サイコフレームの可能性をガンダムUC以上に掘り下げ、こんなことも出来ちゃうよみたいなオカルト側面を増やしてしまったことが挙げられる。

要は精神論とか、死者の魂がどうとか、オカルト色が非常に強い作品なのだ。ガンダムは、モビルスーツはあくまでも兵器で、ミリタリーで、サイエンスなものであって、決してファンタジーではないと考える人にとっては受け入れ難く感じてしまうのは仕方がないと思う。

ただ初代ガンダムから提示され、大きな役割を担わないとしても後の作品まで登場し続けるニュータイプという概念について一応の答えを導き出したことについては、個人的には面白い作品だと言わざるを得ない。

決してその能力が世界を、歴史を変える力にはならなかったとしても。その奇跡によって前を向くことが出来た人たちがいる。そんな小さなストーリーは純粋に魅力的だった。良い物語だった。


ちなみに今後、ガンダムUC2という展開が予定されているらしい。もし現実になるとすれば、ガンダムNTからの流れを経てユニコーンガンダムをはじめとするサイコフレームを用いた機体を過ぎた力として封印するまでの流れが描かれるのではないかなと思う。

それはそれで楽しみだけど、その直後の作品にあたる閃光のハサウェイが想定以上のヒット作になってしまったので、もしかしたらUC系列の作品展開もまた変わってくるのかも。


あ、言い忘れてた。

シルヴァ・バレト・サプレッサー、めちゃくちゃかっこよかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?