見出し画像

「劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME」という傑作の話をしよう

この記事は2021年5月25日に公開した記事を再投稿したものです。

令和の仮面ライダー第一号として昨年まで放送されていた「仮面ライダーゼロワン」。その劇場作品が昨年末に上映されていたのですが、先月あたりに円盤がリリースされた本作をボクもようやく視聴することができました。

そもそも「仮面ライダーゼロワン」という作品についてあまり詳しくない方向けに説明すると、ゼロワンという作品は人間とヒューマギアと呼ばれるアンドロイドが共存する世界を描いたSFテイストの物語で、作品を通してヒューマギアという存在がさまざまな観点から描かれています。

今回はその劇場作品を視聴してものすごい衝撃を受けたので、ゼロワンのテーマ性について独自の解釈をしながらネタバレ込みで語っていこうと思います。

ちなみに評価としては賛否が別れるゼロワンという作品ですが、ボクは最後まで通して好きです。さまざまな影響がありながらも最後まで走りきった製作サイドの苦労が窺えるこの作品は、ボク自身は仮面ライダーらしい作品だと思っています。

しかしながら今回はゼロワンという作品の是非について話す場ではなく、劇場版の内容について語る機会なので、そこについては置いておきたいと思います。

なお、これを書いているボクは歴代ライダーをおおよそすべて視聴してきた身です。


さて、TV本編終了後の物語を描く本作は人間とヒューマギアという関係性の物語から少し離れ、人間同士の戦いが描かれています。楽園創造を目指す謎の男、エスこと仮面ライダーエデンが世界中に同時多発テロを巻き起こし、それらに飛電或人をはじめとする登場人物たちが立ち向かうといった展開。

事件が起き、それらに立ち向かうという内容でいえば従来のライダー劇場版とかわりない内容ではあるのですが、本作はゼロワンの有終の美を飾る作品としてこれ以上ないアンサーを用意していました。

思わず唸ってしまったポイントについて、大きく三つにわけて解説していこうと思います。



・エスという人物の立ち回り

今回の敵役として登場したエスという人物。まぁエスというのが偽名であること自体は些末な問題なのですが、このキャラクターは仮面ライダー界ではこれまでになかった立ち回りをしてくれます。

そもそもエスという人物は元々は科学者であり医療技術としてのナノマシン研究を進めていたのですが、とある過去の事件によってナノマシンが暴走し、被験体だった婚約者を失ってしまうという悲しい過去を持っています。

そして悲しみに暮れたエスが導き出したのは、婚約者の脳を機械に接続することで電子世界の中で彼女を生き長らえさせるという手でした。そして電子世界に孤独に生きる婚約者ために、人類をナノマシンによって電子世界に意識を接続させ、婚約者のための楽園を創造するというのが真の目的でした。

これだけ聞くと愛する人のために暴走する人、という印象を受けてしまいがちなのですが、このエスという人物のものすごいところは「あまりにも過剰なまでの善性を持ち合わせていたがゆえに、悪を成している」という部分にあります。


というのも、彼はシンクネットと呼ばれる宗教組織を束ねて世界中へテロを行うのですが、このシンクネットに集まっているのは、さまざまな理由から社会に対して悪を成す、あるいはその可能性のある人物たち。

一見すると世界の終わりを謳い、自らにとって都合の良い楽園を創造するという純粋悪な存在なのですが、実はこれらはすべてエスによる選別。

敢えて悪意を持つ人間たちを自らの元に集め、それらを用いて善良な人々を攻撃させる(=ナノマシンを用いて電子世界へ精神を移す)ことで善良な人間を生き残らせ、逆に悪意を持つ人々を最後に粛清しようというのがエスの真の計画だったというのが後半で明かされます。

その手段こそ強引ではあるものの、自らが悪となり悪意をもった人間を騙すことで、婚約者が孤独に暮らす電子世界の住人を増やすことと、世界に悪意を撒き散らす人間の排除という、二つの目的と一度に成そうとしていたわけです。

壮絶な戦いがあったものの結果として主人公たちの奮闘により防がれてしまったこと、そして飛電或人が電子世界で婚約者の本音を聞いたこと、そしてその目論見がシンクネットの人々にバレてしまったことでエスの野望は潰えてしまうものの、飛電或人たちはその想いを汲み取り最後は敵としてではなく、ひとりの人間として彼を見逃します。

飛電或人から婚約者の言葉を聞いたエスは自らを機械に繋ぎ、彼を待つ婚約者と電子世界で再会します。そして結婚式で口づけを交わす中、電子世界を構築する機械ごと建物が爆発し二人は消滅するというあまりにも切ない結末を迎えました。


自らの手を血に染めてでも守りたいもののために、悪を成して善を貫くその姿は「Fate/Zero」の主人公である衛宮切嗣の「少数を切り捨てることで大勢を救う」に近いものがあると思います。

人は救えるものに限りがある。そして救う価値のない人間がいる。単純な悪役とは言い切れない、ヒーローという存在についてまわるテーマのひとつを視聴者へと突きつけてきたのがエスという人物だったわけです。

また、ゼロワンにおける悪意というテーマに対して「善意を持って(結果的に悪側の立場ではあるものの)人間の悪意に立ち向かう人間もいる」という具体例であり、敵でありながら人間とヒューマギアの関係に少なからず良い影響を与えるひとつのケースである点も見逃せません。

ただの悪役としてではなく、善性を持ち合わせながらも悪として主人公たちのために立ちはだかるという、最近のライダーではなかなか見なかった深みのあるキャラクター性にボクは思わず唸らされてしまいました。

これを見た人が彼を善人と呼ぶのか、あるいは悪人と呼ぶのかは、非常に面白いテーマだと思います。ただひとつだけ言えるのは、愛する者のために戦った彼は間違いなく仮面ライダーだった、ということでしょう。

※余談ですがエスというのは心理学用語で無意識における本能、欲求、衝動といった本能に近しい部分を指す言葉であったりします。なかなか含みがあってよい言葉選びですね。


・人間とヒューマギアの関係性

ここについてはTV本編のテーマ性と切っても切れない問題があるのですが、劇場版では人間とヒューマギアが共に手を取り合う姿がたびたび描かれています。

それぞれの得手不得手を、お互いが補い合って共闘する。まさに理想の関係であると言えるでしょう。また前述した通り、エスという人物について滅亡迅雷側もまた、人間が存在するに値すると判断できるひとつの理由にもなるはずです。

特に顕著なのが、滅という人物はヒューマギアのトップでありながら今回は人間たちのために率先して戦います。この姿はTV本編の終盤から考えれば非常に美しい点であると言えるでしょう。


本来、この劇場版はTV本編が完結する前に構想されていた作品なのですが、本編終了後の物語へと変更されたことでむしろこのあたりの共闘の流れが自然になり、更に人とヒューマギアの関係性についても深みが増したと思います。

詳細は後述するのですが、本編終了後となったことでこの映画は結果的に「完成された」といっても過言ではないと思います。

結果的に悪意ある人間たちと対峙することになったとはいえ、善意を持った人間を守ることに意味を見出した滅という構図は、TV本編終了後に描くヒューマギア側のアンサーとして相応しいものでしょう。


・イズというヒューマギアが辿り着いた答え

ここが本作の核心。最も評価すべきポイント。

TV本編終盤で破壊されてしまったイズという存在は、その後の物語に大きな傷跡を残しました。飛電或人の悪堕ち、そして滅の悲しき決断という負の連鎖に繋がっていってしまったのです。

劇場版におけるイズはTV本編の最終話で新しく生まれた二代目のイズ。しかし彼女はやはりまだ経験が浅く、それこそ本編後半でみせていた人間らしさを失っています。


ここは人によって評価が別れるところだと思うのですが、二代目のヒューマギアと初代と同じように扱うことは、ヒューマギアを人と同じ心を持った存在として定義するならばどうなのでしょう。

初代と二代目はきっと異なる経験を積み、異なる判断を下すでしょう。そうした先にあるのが同一の存在と呼べるのでしょうか。ここについては諸説あることでしょう。

しかし、少なくともゼロワンという作品が選び、魅せたのは「失われた心を取り戻す」という美しさです。


飛電或人は一度イズを失った経験から、もう二度と彼女を危険な目に遭わせたくないと戦いには連れて行こうとしませんでした。

イズは劇中においてヒューマギアとして飛電或人の待機命令に従うことと、命令に背いてでも彼を助けたいと願う根底の気持ちの間で苦悩します。おそらく初代のイズであれば、ここで迷うようなことはなかったでしょう。

しかし二代目である彼女はまだラーニングが足りていません。飛電或人という人物について、人間の心について、まだ答えを出せていない状態でした。しかしそれでも必死になって答えを出そうと悩み続けます。

そうした彼女の背中を押してくれたのは、他ならぬ滅でした。この構図はあまりにも残酷で、しかし同時に美しいシーンのひとつです。なぜなら滅は初代イズを破壊してしまった張本人でもあり、同時に初代イズが身を挺してでも肯定しようとした存在だからです。

初代イズが繋いだ想いを、滅は確かにラーニングしていた。だからこそ二代目イズに対してその想いを繋いだと受け取ることができるシーンでした。ヒューマギアにも心はあるというテーマに出されたひとつのアンサーです。

そうして苦悩の果てにイズは走ります。そして飛電或人の後を追い、そして戦いの跡地であるものを見つけます。

それはかつて初代イズが飛電或人と共に生きた証、ゼロツードライバー。


そして追いついたイズは、自己犠牲の精神でヘルライジングホッパーに変身し暴走する飛電或人を前にして――仮面ライダーゼロツーへと変身し、身を挺して止めました。

彼女はゼロツードライバーを通じて、初代イズの記憶を受け継いでいたのです。そして二代目が知らないはずの言葉を飛電或人へとかけ、彼の変身を解除させることに成功します。

それは奇しくもTV本編ではイズがいなかったがために止まらなかった、止められなかった飛電或人のアークワンとしての暴走を彷彿とさせる展開であり、それを止められるのはイズをおいて他にはいなかったという証明。

劇場版で繰り返されそうになった悲劇の連鎖を、イズが断ち切ることができたのです。このTV本編のセルフオマージュはあまりにも儚く、美しく、TV本編終了後の物語として相応しい展開であり、何よりもイズという存在へのアンサーとして完璧なものだと思いました。

かつては止められなかった悲劇を防ぐことのできた二人は、エスの代わりに敵として立ちはだかるシンクネットを前に、真のパートナーとして再び並び立ちます。

飛電或人は仮面ライダーゼロワン リアライジングホッパーに。

そしてイズは仮面ライダーゼロツーに変身します。

なぜゼロワンの最強フォームとしてゼロツーというフォームが選ばれたのか。これまでずっと抱いていた疑問に答えが出た瞬間でした。

ちなみにこのシーンは脚本段階から構想にあり、仮面ライダーゼロツーというフォームはこのシーンを踏まえて生まれた存在とのこと。

初代仮面ライダーへの強烈なオマージュを、令和一号ライダーとしてこれ以上ないアンサーを叩きつけてきたのが、この劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIMEという映画でした。


同時に飛電或人とイズという、人間とヒューマギアの物語に決着がついた瞬間でもあります。

きっとこのシーンはTV本編終了後でなければ、ここまで心に響くシーンにはならなかったでしょう。

破壊されてしまい一度は心を失ってしまったイズと、それに負い目を感じ続けていた飛電或人という関係があったからこそ、劇中で最もカタルシスが得られるシーンに仕上がったと思っています。

長い長い日々を経て、最後に二人は同じ場所に辿り着くことができたのです。


一本の劇場版の中でこれほどまでにテーマ性を詰め込みつつ、意外性を持たせながらも、本編終了後のアンサーをしっかりと随所に用意したライダーの劇場版作品を、ボクは知らない。

パラダイス・ロスト。A to Z。トゥルー・エンディング。ビーザワン。数え切れないほどの名作がライダーの劇場版作品には眠っている。

しかし、これほどまでにゼロワンという世界の物語にアンサーを出した作品に対して、傑作と呼ぶ以外の言葉をボクは知らない。

コロナ禍において脚本変更を余儀なくされ、当初予定していた物語から外れてしまったことが容易に想像できるゼロワンという作品だが、ボクは本作を観終えた今なら自信をもって言える。

それでも、この作品は美しい、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?