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音声入力とエモのゆくえ

音声入力が凄いと聞いて自分も試してみることにした。ほんとに想像以上にすごい。バリバリ声が認識されて文章になっていくのが面白い。
ただ、いろんな人が言っていることではあるけれども、音声入力は意外と難しい。なぜならまとまった文章をきちんと喋るのに慣れていないから。最初から音声入力でちゃんとした文章をどんどん書ける人(話せる人?)というのは、ものすごく頭のいい人か、口頭での文章の出力に慣れている人ではないだろうか。私は全然だめだ。
ただこれはきっと慣れだと思うので、定期的にどんどん喋って書いていきたい。おそらく音声起こしはめちゃくちゃ簡単になると思う。(単価は高くはないだろうけど)副業チャンスでは。できると思う。まだやってない。はよやらんと……。
音声入力が一般的になって、みんながどんどん携帯に向かって喋るようになり、「喋ること」=「書くこと」になれば、おそらく文体は大きく変わる。具体的には一般的な書き言葉的な表現が減り、単語の選択が平易になり、ふわっとした書き口になる(散漫になると言ってもいいかも)。
難しい言葉や難しい単語の読み取り(聞き取り)はまだまだそんなに得意じゃない。そもそもぱっと口から出てくる言葉は簡単なものが多い。そして何よりも私たち書き手の方が、書き言葉をそのまま口にして喋るのに抵抗が大きい。難しい気取った言葉、ちょっと背伸びした言葉は、口に出しているとものすごく違和感がある。
もしかしたらその違和感に堪えた向こうに新しい文体が生まれるのかもしれないけど。少し前の携帯小説のような文体とも違う文章が生まれそう。イメージしているのはなろう系小説の文体に近い。一文一文があまり長くなくて、改行多めのやつ。
こうなるんじゃないかなと思っているのは、ここ数年のインターネットの文章でおなじみになった「エモ」がなりをひそめるのではないかということ。

エモい文章って、かなり書き言葉だ。ディスプレイの文章に浸りながら、テクニックを駆使してエモ感を出す。このテクニックが音声入力で再現するのが難しい(そもそも私の滑舌が悪いせいか「エモ」がことごとく「メモ」になる…)。フレーズごとにエモは残るだろうけれども、甘い倒置法、逆接、ひらがなと漢字のピンポイントな使い分け、ちょっと胸に詰まった感じなどは音声入力ではおそらく出てきにくい。
もちろんなんにでも例外はあって、優れた語り手(もはや書き手ではなくて語り手ですね)はきっと音声入力でもエモを文章化できるはず。そういう人たちは口にする言葉がそもそもエモいにおいを持っているから。
ただし優れていない(普通の)書き手は、きっとエモが書けなくなる。音声入力が普通になった先でのインターネットの文体はおそらく確実に変わるんだけど(たぶんブロガー辺りから新しい文体が出てき始めるんだろうけど)、一体どういう感じになるのか予想するのは面白い。けどあんまり当たる気もしない。
(音声入力5分+直し10分で書きました)

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