赤くて青い

赤い扉・青い扉があって間違えてしまった人の御伽噺。

不登校の私は、少し間の抜けた私服で幼い頃に遊んだ夏の夕暮れの公園にいた。誘蛾灯に群がり弾け落ちていく虫の音を聞いてみたり、時々自転車で駆け抜けていく学生の歓声なんかに目を配ったりしながら、公園の噴水の傍らに置かれた修繕も行き届かない古びたベンチに座っていた。情景に思考を無理にでも明け渡す様に努めながら、そこで待っていたのは一人の親友。

とてもとても暗い面持ちで、それでも少ない自尊心を分け合えた友人の来訪に、俄かに悲しい期待を抱きながら、待っていた。

今日で「おしまい」という予感めいたものならあった。
気付かないように、延命してきた嘘が、今日全部暴かれてしまう。
きっともう治らない思い出があり、それでも強引に治療をしようと試みた想い出があり、そしてそれは修復不可能な思い出だった。
きっと最初の入り口の時点で間違えてしまった友情の終わり。
私も貴方もあまりにも嘘を重ね過ぎていた。

伸びきる影と赤く染まった空。輪郭が徐々に闇に薄まり始めるような時間に、毅然とした顔で貴方はやってきた。きっと今日で終わる大切な友人の一人。いつものように、とりとめもない話をして、引き伸ばした。
昔遊んだ遊具の話とか、街灯の灯りが切れかかっていたとか、
小学生時代の共通の友人は今何しているだとか、そんな話をした。

その言葉を聞かないで済むように必死で時間を稼いだ。
けれど、遮るように意を決した様にその言葉は告げられた。何度か聞いた言葉。何度もはぐらかしてきた言葉。きっともう逃げられない言葉。

「好き」というその言葉。
「ごめん」というその返事。

何度も、繰り返してきたやり取り。
最初は意を決したように、次からはとても申し訳なさそうに、
一つだけ時計を進める為に、「友達」でいて欲しい、という言葉だけは飲み込んだ。そうして、私の中の大切な友情は幕を引いた。

もしかしたら、最初に好きと告げられた日にすでに友情は息を引き取っていたのかも知れない。そこから続いた日々は、虚構であり、執着であり、依存であったのだと思う。

きっと私はとても冷たい目をしていたと思う。それは「諦めた」人に向ける冷たい目。貴方はとても悲しい目をしていたと思う。「諦められた」人だけがするとてもとても悲しい目。

それから、既に夜に染まりきった公園で散策をしながら思い出について話した。過去を束ねるように、過去を置き捨てるように。かつて遊んだ遊具も、嘘をつく時の目を逸らす癖も、お決まりの様に違和感なく自販機に向かい缶コーヒーを飲む時間も、何もかもが雄弁に貴方と過ごした時を証明していた。懐かしさも、楽しさも、相違も全て時間が残酷なまでに育ててしまっていた。ブランコに座って揺られながら語る想い出の一つ一つを、言葉にして埋葬をするように。そうして、揺れが止まり、落ち着いた時に示し合わせたように鎖に止まるウスバカゲロウ。

もしかしたら存在し得た時間に対して今日も写真を撮る。
未だ性別が存在しなかった頃、純粋な「楽しさ」を過ごしてくれた時間への弔花のように。

もしも私が最初から女の子であれたなら、
もしも、私がちゃんと男の子であれたなら、
もしも私が厄介な心を持ってなかったら、
もしも私が開く扉を間違えていなかったら、
もしも私が私でなかったなら、

もしかしたら続いていたかも知れない大切な記憶へ手向ける言葉。
青も赤も綯交ぜにした汚い色で、白々しく明日も記憶と生きていく。夢に夢みて、水質に馴染めずに緩慢に溺れていくように。










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