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D-DAY TOURの本国アミさんの考察と分析がすごい。そしてまた抜け出せない日々。

こんにちは。
相変わらずD-DAYに住んでいる私ですが、考察読むの大好き人間でもあります。なのでVIVANTはめちゃくちゃハマってます。(自分はあまり考察できませんw)

VCRの考察に特に出会いたかったんですが、なかなか出会えず……やっと!!出会いました。鳥肌レベル。興奮のあまり先にポストしてしまったんですが、それを見てフォロー頂いた方は待っておられたかもしれないので遅くなってすみません🙇‍♀️
でも、noteは特にライブ記録等も含めて基本的には自分で残したい為にも書いています。

それと考察という性質上と、Xで書くにはあまりのツリーの量になってしまうので記事にまとめてみました。だから文字数気にせず書いてみます。(Xって初めて呼んだ)

考察や本人の意図を想像するような話を見ると「決めつけないでほしい」と感じる方がいると思います。


私も「こうだよね」と断定するような言い方は良くないと思うんですが、WeverseMagazineにも「ここまで考え抜かれていたの?!?」という公式からの裏話もあったし、それと本人が過去に話していた内容も交えて話しておられる所がすごくスッと入ってきたので興味深く読みました。


HaegeumのMVBehindでもこう言ってたので、全部ユンギさんからある程度考察班へどうぞ〜!って投げかけられてる感もあるし、私はそのつもりでいろんな方の分析を楽しませて頂いている次第です!!

ちゃんと言ってくれるのも推せる
考察見てニヤニヤしてそうw


対話形式なのもあり口語だからでしょうか、Googleの自動翻訳があまり仕事してくれなかったので途中途中papagoを引っ張り出したり、3時間の対談だというのでものすごい量で読み応えもあり、めちゃくちゃ解読に時間がかかりましたが…それでも読み終えたくなるほどの面白さだったので共有も兼ねて書いてみます。


参考記事

こちらの記事の内容のまとめと、これを読んでの私の所感や考えたことも入れていきたいと思います。
※全ての内容ではないので、時間がある方は元記事を翻訳で読んでみてください。

本当に素晴らしい。
多角的な視点かつユンギさんの表現したい事に寄り添いつつ話していて、振り返ってみて点と点が線になる気づきがあまりにも多かったです…!!!

いろんな角度の席からこのライブを見たという経験も、振り返るのに少し生きたかも。

①舞台演出

大きな挑戦でもある今回のツアー構成


【要約】
初のソロツアーでショーのような舞台演出をアリーナ規模でやる事は大きな挑戦でもあったはず。アミの声や存在があって公演が完成する物だという事も含めて、アミだからこの難易度を理解してくれるという確信があったからこそ成功したのだろう。


👩これは本当にそうだと思う。
始まる前もツアー中も「とにかく歓声を、一緒に歌って遊んでね」としきりに言っていたユンギさん。
特にPeoplept2なんかは、完全に女性ボーカルなのでアミの歌声なしでは成立しない。

私は始まる前、セトリに入れるのかな?IUさんをゲストに呼んだ時しかやらないかな?ぐらいにしか思っていなかったので、デフォルトだという事、これは一緒に作り上げてくれるというアミへの信頼でしかないと思った…。


ステージ作りの徹底ぶりと伏線回収

【要約】
向かって左側がSUGA、右側がAgustD。VCRの中の部屋のレイアウトとSDLで出現するステージ下の部屋が同じ(!)

記事より引用

これはスクリーンに映っていたのも何度も見たのに気づかなかった…!すごい。気づいていた人は実は結構いるんだろうか?

1で座っているのはミンユンギだけど、ステージをするのはSUGAとAgustDなので。


私はランプが似てるなぁと思っただけで、AgustD側だけ四角いイスなのがそれなのは気づかなかった。
ツアービジュアルの赤青の顔、照明→ソウルから突如設定されたSUGA/AgustDエリアの名前。ここで伏線回収してた…!

ツアービジュアル
ステージ照明
ソウルから突如できたSUGA/AgustDというエリア名


そして赤と青が混ざると紫。
現場でも紫が見えた。二つの顔もアミを含めて形成された物。俯瞰だと2色、その場で紫になるのもファンにしかわからない仕掛けだよね。

客席から見ると紫


LGOでアミボムも紫に💜

ピアノは中央でこの時も紫。
でもSUGAの部屋にあるランプやウイスキーがあって、弾くのはFirstLoveに出てくる「茶色いピアノ」。FINALでも映像が流れたように、BTSのSUGAとしてLGOに乗せたメッセージ…

確かにこのサイズのランプはちょっと不自然な気もした
(ランプに顔丸かぶりの写真もあったしㅋ)


この曲は終わりの方なので、序盤の2つの顔を行き来する描写ではなく真ん中→1つに統合されていっている状態を表しているのかもしれない。

3曲目 AgustDもそう。


「異化効果」

【要約】
SUGA/AgustD/ミンユンギのストーリーに没入させる舞台演出、だけど最後に突然撤収作業を見せて現実に引き戻す。これは破壊と構築を繰り返す事で"見慣れないようにする"為の劇作家ブレヒトの異化効果を彷彿とさせる。shadowではスマホを向ける人達のMVの演出を、実際の観客が自然と作り出している。

【異化効果】
"観客は、実際に起こっているイベントの見えない観客であるという幻想を抱くことができなくなる方法によって達成されます。 観客への直接の呼びかけの使用は、舞台上の錯覚を破壊し、距離を置く効果を生み出す 1 つの方法です。パフォーマンスにおいて、パフォーマーは「自分自身を観察」するので、彼の目的は「観客に奇妙に、さらには驚かせることです。彼は自分自身と自分の作品を奇妙に見ることによってこれを達成します」"

異化効果/Wiki

👩要は舞台として見ていたら突然演者がこちらに話しかけてきたり、急にリアリティのある演出に変わるといったような事らしい。ただ見ているという受動的な状態ではなくさせる、というようなテクニック。

知らず知らずのうちにスマホで撮る自分もその世界の中にいる…その状況を逆手に取った演出ならすごい。いや、もうこれはそうだろうな…と思ってしまう。


これが異化効果を意識したのかはわからないけど、演出家の方がそういう構成をしていてもおかしくない。


記事より引用
これは実際に現実に引き戻すための演出だと
weverse magazineに書いてあった。
(これにも震えた)


記事より引用
意図せず観客が曲の世界観に入り込むリアル。すごい。


スタンディングのアミ
みんな手を伸ばして撮ってるのがもうMVの状態



②セットリストとストーリー

HaegeumとD-DAY

【要約】
アルバムの最初は「D-DAY」からだけどこれは結論を先に話している。実質的な始まりは「Haegeum」で、コンサートを通して今まで言えなかった事、アイドルとしてできなかった事を「解禁」するという宣言。実際には例として「Moonlight」で悪口をみんなで叫ぶ。中指。公演でお酒を飲む(アイドルには見られない)。抑圧された物からの解放。


👩D-DAYで結論から。後になって思えば確かに!!
もちろんアルバムのタイトルでもあるのでその要素も大いにあるんだろうけど、これはユンギさんの固い決意とも言える…。

Haegeumについては要素は違うけれど、曲に沿ったこの記事で解禁について同じような事を話した。
MVのタバコもそう。さすがに公演でタバコはなかったけど(今はしてないけど昔のラルクkenを思い出すが…これもロックバンドだからみたいな所あったよね)。
VCRではタバコくわえる度にキャーキャーなってたけどw(見たかったな。心の声)

ーーー

👩あとこれはここに書いてある事ではなく思い出したのが、ステージの前に雨が降って雷が鳴るのはVCRのバイク事故に倒れた後の雨から繋がっているのもあるだろうけど、破壊と構築のようなものがベースにもある事を考えると、タロットのこの「塔」のカード。あ、関係ありそうとかではなく、ぴったりだなと密かに思っているという話。

転機の時に出る、塔のカード


これは悪い事のように見えるけど、一度壊す事で生まれ変わる、浄化、新たに創造するための破壊、必要悪みたいな意味。塔は固定概念を表す(これを壊す、まさに解禁)。"KING"の王冠もあるよね。FINAL終わった後のレポで私、ちょうどこれは浄化だと書いたんですよ。

タロット…??って思うかもしれないけど、タロットって心理学要素満載なんです。
寄り道したけど、これは言いたかっただけの話。


キリストの絵画の話がこの中に出ているけど、私はしっくりこなかったので割愛。でもステージがShadowで十字架の形だったのは考察好きの血が騒ぐのはわかる。(キリスト要素満載のエヴァ好きだし、バンタンのMVも神話要素出るもんね)


AgustDの話

【要約】
目に傷があるビジュアルのAgustDはDaechwitaから始まった(2曲目)。曲の"AgustD"では3DのAgustD、give it to meでは3Dの手が出現する。これは「不気味の谷現象」という心理現象を狙ったものにも思える。そのままのユンギを映してもいいのに、ちょっといびつな3Dの表現にしたことで、無意識→抑圧されたものが違う形で現れる→奇妙に感じさせるような効果がある。


不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象である。外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。

不気味の谷現象/Wiki


👩鎖で釣り上げる手はまだしも、そのまま撮影した本人を出したりする事もできるけどあえて3Dなのは確かに不気味だった。しかも、AMYGDALAのAgustDっていう事はわかったけどそんなに似てない…w
ここまで考えられていたとしたらすごいけど、結果的に不気味さを感じさせているからこの話はそうとも言える。

ところでこの3DAgustDって、見る度になんで口にまで傷が達してるの?って毎回思ってたんだけど……めっちゃ気になる。


Seesaw〜SDL〜Peoplept2

【要約】
・ステージが金網である事は鉄筋のインテリアである事以外にも視覚的に不安・未完成な印象を受ける。火が下から上がる事なども、危険な状況を演出する効果がある。見上げた状態から観客と同じ目線に降りてくることで同じ立場の人間であるという姿を見せている。

・SDLではブラウン管のテレビで映像が鮮明ではない。他にもpeopleなど、ノイズが入るような映像が多くスクリーンでははっきり姿を見せない演出がある。ステージの下で左右に移動すると反対側の人は見えない。オンラインも含め常に見えない部分がある事から、KPOPへの真正性の挑戦にも取れる。


👩この、所々見えない演出への分析は目から鱗!!
ライブに行った人はスクリーンを見れば本人の様子が基本は丸々見られるというメリットがある。だけど現場で見ている人にも死角を作り、それすらもブラウン管という現実(画面を通して見せてる俺)を突きつけて「あなたが見てるのはほんの一部だよ」と教えてくれるんだ。すごい…こんな事する人いる??

私はこの時代に古いブラウン管テレビにしたのはなぜ?スマホで見る事が多い時代だしスマートフォン画面でもいいのでは?とずっと思っていたけど、あえてテレビという距離感のわかりやすい表現、乱れる映像でそのままの自分ではない事、リモコンでON/OFFしていつでも遮断できてしまう関係みたいな所かなぁと思ってきた。


Moonlight〜BurnIt


【要約】
・Moonlightでは悪口「シバル(F**k)」をアミと一緒に叫ぶことが特別な経験であり、同じ経験を共有する事で抑圧から解放される体験をもたらしている。本人が撮影しないで楽しんでみてとファイナルで言ったことは、その時しかできない体験であるからという事も。

・曲中のスクリーンは何かしらエフェクトがかかるものが多い。それは直接本人を見る事の重要さもある。FINALをスタジアム規模にせずKSPOを最大にしたこと。(どの席から見てもリアルな距離)

・BurnItの歌詞で「一番深い所の君に向き合う恥部または憎悪、怒りまで」という歌詞があるので次へ繋ぐ役割でもある→そしてShadowで深い所に向かう…

👩私が好きで何度もツイートしてる시발のシーン。
これはそれそのものというより、アイドルとファンが悪口を一緒に言う、絶叫するっていう共通の体験の尊さだったんだなと改めて思った。その場にいれどユンギさんは遠い存在。そんな事を忘れさせてくれる瞬間で、あの映像は後から見ても泣きそうになってしまう。

いくつかの会場で上からも見渡したけど、表情ははっきり見えなくてもそこにいるという感覚がしっかり感じられる席。ユンギさんは「ドームやスタジアムは入るか心配だった」と言っていたからもちろんそれもあるだろうけど、結果的にこのライブに最適な会場規模だった。これもバンタンでは大きな会場が求められるし、ソロでないとできない事。

実際に釜山コンではそこに確かにいるんだけど、爪の先程のサイズ。やっぱり画面から見るしかなくどこか遠い存在のままだった。もちろん共有できて幸せだった事は間違いないけど。それでも、バンタンに会えるならどんな距離でも見に行きますけどね!

BurnItは盛り上がってきた所で次に行かずVCRに行くのはめっっっちゃくちゃ納得。歌詞はVCRにリンクしているなとは思ったけど、そこまでだとは。


VCR2「Yunki:Exist in memory」「SUGA:Lost in memory」「AgustD:The chaser」

ミンユンギ:記憶の中に存在する
SUGA:記憶の中で失われた
AgustD:追跡者

【要約】
・タバコは重要な解禁のキーポイントであるが、タバコを取り上げた手はアミ(過去)、その後自分でタバコを下ろす様子→それはSUGAとしてタブーを崩すつもりはない存在に見える。そこでタブーを崩す、自分を表現する存在がAgustDという人格。

・拉致されたミンユンギは過去の記憶を思い出すトリガーのように見える。これは忘れていた嫌な記憶が突然フラッシュバックするような筆者の体験から。突然記憶が戻ってきて苦しくなるような瞬間。


👩この記事にも書いてあるけど、タバコのシーンはHerの歌詞「好きだった◯◯を辞めた(これには言及していないけどタバコ説が濃厚)」を私も思い出していた。花様年華の映像が出る所からも、SUGAとしてアミに良い部分を見せたいというこれまでの自分を表現したように確かに思える。

拉致のシーンはずっと不可解だった、そうかどうかはわからないけどこれは腑に落ちた。その瞬間(嫌な記憶がやってきた時)をAgustDが撮影し、手帳になかったD-2の部分にそのポラロイドを挟む…この時の感情をAgustDがD-2で表現したと言っているような……これは…ありそう!!!

そしてこのExist(存在)というワードでいつも思い出していたのが、コンセプトフォトのタイトル。 

柄シャツのユンギさんが「Exister」
スーツのユンギさんが「Being」 


この時はわからなかったけど、結構繋がってとてもスッキリ。

柄シャツは顔に傷がないので克服した「存在する者」
スーツは傷があるので同じ"存在"だけど「ing」で現在進行系なのか!!!
うわぁ。うわぁ。。。

克服した今のユンギさんが語る、消えかかってきた傷ではあるものの、トラウマをまだ克服しきれていないAgustDに銃口を向け、この解禁の歌で終わりだ!!という話だったのか………!!


スーツにも銃を向けられるけど、最後はExisterが勝つ。


あと補足として、この記事ではAMYGDALAは309号室でVCRの部屋と同じという話があるが、気になって見てみたら202号室でした。うーんこれは何だろう。202の意味も調べたけど、だいぶスピ寄りなのであんまり関係なさそうな気がする…
(何かここに309の要素があって、視点がもし違ったらすみません)

ユンギが開けようとしてるのは202…なぜ。


Cypher〜HUH?!

【要約】Shadowで自問自答しながらそれも自分だ、と向き合う話の後にCypher〜HUH?!まで警告、怒り、闘争についての話。怒りを表現する事も解放である。

👩私はD-DAYオタクとも言えるので一通り歌詞をpapagoで翻訳してみたりしていたんだけど、とにかく、とにかくこのあたりはガチのラップなので放送禁止用語やスラングが多くて苦労したw

ここで訳して歌詞を見た上で筆者が話している事にそれで共感できたのが、disや挑発をガッツリしているのに健全だということ。最後には前向き。

例えば「簡単に得たものが1つもない事にいつも感謝してる(cypher4)」「初心という言葉に気をつけろ(BurnIt)」「過去の俺を忘れるな(Daechwita)」
などなど。。。ここがユンギさん、バンタンの違いなんですよね!!!っていう所。他のメンバーもこのあたりは共通認識がある気がする。


あとこの部分でスラダンの話もしている。
韓国のソンテソプ=宮城リョータ。
見た人はわかると思うけど、りょーちんはお兄さんという喪失を乗り越えてバスケに突き進んだ。だけど沖縄に帰るシーンで(詳しくはあらすじ見てね)、それを隠さずに向き合いながら生きる姿と重ね合わせたとの事。これは考察ではなく、自然で普遍的な感情だという話。

ここを思い出すとは本当に繊細な感情に敏感な方なんだなぁと、そこに感心。


Snooze,Dear my friend

【要約】
・Snoozeは(後輩へのメッセージでもある事から)ここで初めて自分の事ではなく利他心が入る。
フロイトの精神分析によると、その完治は健全な利他心にあるという話がある。それは自我の拡張であり、共感が利他心を呼び起こす感情の1つでもある。

※ユンギさんは過去にフロイトの夢分析を読んだという話もしていた。フロイトの夢分析とか…ユンギさん心理学ガチ勢すぎて……

「利他」とは、「他人の利益となるように図ること。 自分のことよりも他人の幸福を願うこと。 自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと」

・Dear my friend(韓国語タイトルは"どうだったかな")はAMYGDALAの歌詞にもあるように「これが最善の選択だったか」というような問いかけがある。どんな人だったのかはわからないが、メンバーも同じ境遇であり、両親にも反対されていた彼にとって、孤独を吐露できる貴重な存在だったのではないか。よくあるロックバンドの曲に貧しい時代が幸せだったというような描写があるが、この存在はそれに近いものがあるのではないかと思う人もいる。だから、音楽に情熱を燃やしたその時代の自分に対する懐かしさが一気に戻ってくるような曲なのではないか。



👩確かにここからは第三者の話が入る。これは曲の内容を知っていてもそこまで深く考えなかった…本当に自分の成長や変化のストーリーになっている。Dear my friendも友人の話だからそうだ。

ここにも触れられているけど、ユンギさんは自分がこれまで聴いてきた歌から学んだように、後輩のガイドラインになるような曲を作りたいといつも話している。Dreamという言葉をよく使うけど、過去の自分とこれから自分と同じ道に進む人たちに向けた話だ。そこには、シュチタでも話していたけど「自分と同じ辛い思いをしてほしくない」という、他人を思いやる気持ちがある。こんなに愛のある歌はなくて、歌詞を見ていて胸が苦しくなる…

👩Dear my friendについてはこの人がその友人だとかの話も見たけど、その人かどうかは本人の口から語られたわけではないのでわからない。だけど、がむしゃらでひたむきだった過去の自分を思い出す人なんだろうな、というのは納得した。ユンギさんも、10年間を思い出して泣いたと言っていたしね。


AMYGDALA

【要約】
ライブのスタートの運ばれてくる様子が葬儀のようで、ステージで火が燃える演出も。火は花様年華の時にユンギの象徴的な要素。その火を涅槃(煩悩から抜け出した高い境地)に変えたようにも見える。AMYGDALAのMVでは走馬灯が出てくるが、過去にした選択を取り出し、燃やして浄化する感覚。それには痛みが伴う。この炎で死んだというより、一度もう死んで再生をするための過程であり、一種の犠牲剤なのではないか。そして涅槃に達し蓮の花になった、という感じを受けた。(蓮の花は泥の中で咲く)

끊임없던 시련은 날 죽이지 못했고
다시금 나는 연꽃을 피워내
絶え間ない試練は私を殺すことができず、再び私は蓮の花を咲かせる

AMYGDALAの歌詞


最後のVCRからD-DAY,NeverMind,TheLast


【要約】
前回鏡の前(バスルーム)で倒れたAgustDはミンユンギの姿で起き上がる。その部屋をSUGAが燃やす。そのマッチにはトニーモンタナ/セーフティマッチの文字。トニーモンタナはAgustDに置き換えられる。セーフティマッチとは一般的な一つの面を摩擦させて点火するマッチ。これはいつでもマッチを取り出して内面の痛みを燃やしてしまうことができるようになったというように見える。ミニチュアだったその部屋を見ているミンユンギ。これは1つのショーであったという事を暴露する。


記事より引用
トニーモンタナは映画
「スカーフェイス(傷のついた顔)」の主人公



ミンユンギが見ているブラウン管の上にはカメラがあり、それを映し出しているものが今まさに映っているSUGA。(顔の動きと一致)
カメラが照らすのはミンユンギ、ブラウン管に現れる人はSUGA。ミンユンギがカメラというフィルターを通る瞬間SUGAになる。ブラウン管が消え、立ち上がったミンユンギが消えた後ドアを開ける音がする。D-DAYの為にこの後ステージの上に登場する。


記事より引用

👩この最後の画面が歪むところは印象的で、最後の方なのもありじっくり見ていたのに…ここも見ているミンユンギとSUGAが同じ人物だというのを表しているのは気づかなかった〜!!横をわざと向いたりするのは鏡みたいになっていると教えてくれてたのか〜!!!優しいな。でも気づかなかった…(私だけ?)

最後にドアを開ける音がするのは会場ではほとんど聞こえない…というか、もう出てくるのがわかっているからここはなかなか意識できないポイント。そしてD-DAY is comingするわけだね。すごい!!!!
(ネットに落ちている素材()で確認したら確かに小さくキィーと鳴っている)

映像に出てくるドアが結構本当のライブと繋がっている事がわかると、最後のAMYGDALAのMVが本物の扉になって出てきたのも納得。あの時は「えぇ〜繋がってたの!!!」という驚きだったけど、ずっとそういう作りだったんだね。胸熱。



そして、更に鳥肌なのはTheLastの部分について
weverseマガジンに書いてあったこれ。

これを読んだ時が最初の衝撃だった。


記事でもここについてはWeverseMagazineに触れているから、自分の言葉で話してみます。

結局私たちがSUGAと接する事ができるのはブラウン管などの媒体を介してであり、本当のミンユンギを見ることができるのはその3秒にも現れるほんの一瞬である事………それを表現したんだ。

そうだ、それが当たり前だ。
アーティストや芸能人の本当の姿なんていくら知ろうとしたって、いくらWラを何度も何度も見返したって歌詞を読んだってわかるわけがない。たくさんの姿を見せてくれるバンタンを、私たちはあまりにもわかった気になってしまいがちだ。

それをKPOPやアイドルに求められる真正性を真っ向から否定して、現実をつきつけたんだ。すごいよこの人……………かっこよすぎる。いや、かっこいいとかの境地じゃない。革命だな。


D-DAY〜ThaLastの演出について


【要約】
・24時間カメラに晒されて自我やイメージが消耗され、本当の自分を見失いそうになる事もあると思うが、本当の私は別にいる、と意識することが痛みに繋がる。だからカメラに映らない自分も大事にしたいという部分は本能的な防御でもある。
それも大切にしつつも他のメンバーが多く見せなければと悩む中で、自我と共存を選択し、アミにはSUGAとしての姿を見せてくれるという完結が良かった。

・D-DAYはファンサをしたりバンド紹介したりパーティのような雰囲気だし、NeverMind もポジティブな雰囲気だから最後にTheLastなのが、事実はハッピーエンドではないということを表しているようにも見える。→また繰り返される事だ、元の位置に戻ると。TheLastは囲まれたカメラの映像で見る人が殆どで、生の姿が見られるのはほぼ会場のスタンディング前方の人だけ。上にいる人も直接姿を見ることはできるので、オンラインで見ている人と会場のその他の人たちはカメラで撮られた9方位の映像でしか見られない。それこそが、裸眼で見られる姿ミンユンギはごく一部で一瞬でしかないということ。

カメラの向こうを私たちは見ることができないし、私たちは知ろうとしてはいけない。

↑の「最後に」は마지막(TheLast)


ただそれを舞台演出を通して見せてくれた事で、アルバムだけではなくトリロジーが完成されたこと、破壊的な演出が総合であるが、パフォーマーとしての能力に余裕があった事もわかる。

彼らはスタジアムを経験しているが今回はソロであり、振り付けもなくヘドバンしたりしてただ走り続けるシーンが多い。これすらも下手に見えてしまうと粛然とする可能性もあるが、一瞬もそんな事がなかった。

〜以降は感想なので割愛


👩TheLastのあの囲まれたカメラの演出は私にはうまく理解できなかったので、この話もすごく腑に落ちた。監視カメラのような映像で、常にカメラを通して映し出される自分も自分。それはミンユンギでもありSUGAでもある。だけど、深い所の本当の自分は見ることができないんだと。それはこれまでのようなペルソナとしての形的なものではなく、自分で選択していくという決意なのかな。

誰かが「最後にはカメラに映される自分を選んだ」という事を言っていたのを見たけど、そういう側面もあるんだろう。ちゃんとそんな自分にも向き合っている感。

オンラインで見ている人をある種遮断している感じもすごいと思う。それはネガティブな意味ではなく、それすらも私たちファンが理解してくれるだろうという強い信頼があるから表現してくれたんだろうと思う。これはとってもありがたいことだし、ここまで余すことなく見せてくれたユンギさんの人生、これからユンギさんが進んでいく未来がずっと幸せであるように、そうただただ祈るばかり。



実はこのFINALに臨む前に歌詞を和訳して書いたnoteがあったんですが、まだちゃんと完成していなかったんです。そのおかげでこの記事で理解を深めることができたので、自分なりに残してみました。


D-DAYオタクの話にお付き合い頂きありがとうございました!!

幸せなことにこの瞬間のユンギさんを知って追うことができた1人として、これからアミになる人そして「気づいたら目で追ってしまっていた」ユンギペンになる人に少しでも語り継いでいけたら嬉しい。


(追記)
D-DAY FINALのツアービジュアルについて
あれ、2つの顔じゃない??と思った事がこの話で腑に落ちた…確かに赤青もオレンジとグレーが使われていたし。もちろん考察なので、真実はユンギさんしかわからないけど。もう、これまでの流れを見たらここまで考えられててもおかしくはないよね。

AgustDに、またいつか会えると良いな。


ここまでお読み頂きありがとうございます!
何か「もしかしてこれは…!」みたいな事があったら是非教えてください☺️


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