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【小説】最愛の息子へ

妻と別れたのは、息子が物心つく前のことだった。
息子には、母親の記憶がおそらくほとんどない。父親である私と、息子。ずっと二人で、生きてきたのだ。

息子のためにできることは何でもしたいと思った。
寂しい思いも、悲しい思いも、不自由な思いもさせたくなかった。母親がいなくとも、それを補って余りあるくらいに愛情をかけて育ててきたつもりだった。やりたいことは何でもやって欲しい、自分のために、自分の人生を生きて欲しいと願った。
息子の幸せが、私の唯一の、生きる意味だった。

息子は、そんな私の願いを知ってか知らずか、自分のことより父である私のことを気づかい、とても親思いの、優しすぎるくらい優しい子に育った。
明るく、礼儀正しく、友達もたくさんいて、勉強もできた。妻によく似て顔立ちも整った、いわゆるイケメンだと我が子ながら思う。立派な息子さんで、と、どこに行っても褒められた。
いつしかそのことが、父親としての私を支える大きな力になっていた。そして息子もきっとそのことをわかっていて、私のために、良い子でいようと頑張っていたのだろうと、今になって思う。

息子は、大学で薬学を学びたいと言った。苦しんでいる人を助けたい、誰かのためになる仕事がしたい、と。
そして、薬学部の有名な東京の大学を受験したが、合格には至らなかった。息子は、私に何度も謝った。たくさん助けになってくれたのに、応えられなくてごめん、と。私は十分なサポートができなかったことを悔い、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、息子は心底自分を責めているようだった。
それでも、地元の大学の薬学部に合格し、夢に向かって歩き出した息子を私は信じ、励まして、彼の輝く未来を支えていこうと心に決めた。

大学生になった息子は、勉強やアルバイトに明け暮れ、帰宅も夜遅くなり、家にいる時間は少なくなっていった。どこで誰と何をしているのだろう、と心配にもなったが、もう親がとやかく言う歳でもないと思い、信じてそっと見守ることに徹した。親の手を離れ、自立して大人になっていく姿を、心強くすら思っていた。

しかし、息子の中では、何かが少しずつ壊れてしまっていたのだった。今まで無理して、頑張って、彼を支えていたものが、少しずつ。
そのことに、私は気づくことができなかった。
確かにそこにいた、目の前にいた、毎日一緒にいた息子を、本当の心を、何一つ見ていなかった。
私の信じていた、信じたいように信じていた息子は、もうそこにはいなかった。

最愛の息子は、姿を消した。

あの時、気にかけて声をかけていたら。
目の前の息子のことを、ちゃんと見ていれば。
話を聞いていれば。
息子はずっと、私に、本当の自分を見て欲しいと、声にならない叫び声を上げ続けていたのかもしれない。
その声に、耳を傾けられていたら。
母親の不在を埋めようとするばかりでなく、その寂しさに、もっと寄り添えば良かった。
未だ見ぬ将来に期待するばかりでなく、今ある無念や悲しみを、ただただ受け止めれば良かった。
愛情を押し付けるように与えるばかりでなく、それを失ってもなお生きていける、乗り越えられる強さを、心の根っこに育ててやるべきだった。

悔やんでも悔やみきれない。

どこかで生きていてくれたら。もう一度会えたら。
どんなお前でも愛していると、抱きしめてやりたい。
酷いことをしてしまったのなら、逃げずに向き合って、反省し、償い、やり直す道を一緒に探したい。まだ若い、先は長い。未来は続いていくのだ。

その一心で、私は、今日も息子の名前を呼び続ける。

実は、最愛5話を観た後このお話を書いていました。
この親子にもきっと物語があったのだろうな、とどうしても想像してしまい……
書いたものの、放送中は公開できなかったし、被害者の物語に触れたりするうち色々わからなくなったりしましたが、ドラマとは全く別物の物語としてそっとここに供養させてください…🙏

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