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【小説】宝物①

松下洸平さんの『つよがり』という曲から着想を得て書いてみた、第二弾。この曲のMVを観て湧き上がってきた、私の想像の世界の物語です。
曲とは直接一切関係のない、架空のお話です。②まであります。

大学を出て今の会社に勤めて10年。そこそこ経験も積み、仕事の仕方も身に付いてきた。
上司や同僚にも恵まれ、人間関係も良好だ。
友人に誘われれば、飲み会も買い物も快く付き合う。
何事にも好き嫌いやこだわりはなく、食事も簡単に済ませるのが常だ。
恋人は、いたりいなかったり。来る者拒まず去る者追わず、とでも言うのか、誰とでもそれなりにうまくやっていくことができたし、別れが訪れても冷静に受け入れられた。
何の不自由も不満もない。淡い色のぼんやりとした幸せが、なんとなく続いているみたいな日々だった。
波風立てず、このくらいの幸せが僕にはちょうどいい。

だけど時折ふと、どうしようもない不安に襲われることがある。今ある幸せが僕の気付かぬうちにどんどん薄まって滲んでいき、いつか消えてしまうような気がする。自分の存在が、実体のない曖昧で不完全なもののように思えて、怖くなる。
僕はこれで良いのか、何が正解なのか……?
しかし考えても正解などない。薄くともぼんやりでも、今のままで僕は概ね幸せなのだから、それで良い。そう言い聞かせて自分を守っていた。

ある日、仕事を終えた僕は、いつもの電車ではなくバスに乗った。妹に頼まれたCDを買うためだ。その店舗限定のレシートが出るとかで、それを絶対に捨てないよう強く釘をさされていた。
街の中をゆっくり進むバスは、窓から人々の行き交う様子がよく見えて、電車よりもなんだか 生活 を感じた。スーツ姿で家路を急ぐ人、自転車に乗る親子、買い物袋をさげた人、配達中のトラック、制服の学生達…それぞれにある生活。皆自分の意思や目的を持って、それぞれの場所を生きている。
僕も周りから見たらそんなふうに見えるのだろうか。
言われるがまま、流されているばかりの僕も。
また襲われそうになる不安から逃げるように、僕は窓の外の過ぎ行く景色に意識を集中した。

信号待ちで停まった少し先に、昔ながらのラーメン屋が見える。食にこだわりはないがラーメンは好きだ。こういう素朴な感じにどこか親近感を覚え、ほっとする。
カウンターの端に、一人で食べている女性客がいた。背筋の伸びた凛とした美しさについ見とれる。彼女もまた、明確な意思と目的を持ってそこに居る感じがして、カッコいいな…と思う。
バスが発車し横を通り過ぎるとき、あっ、と目を奪われた。……あれ?
会社の別の部署にいる、一期上の先輩によく似ていた。
小綺麗で控え目な印象の彼女は、僕の勝手なイメージだが一人でラーメン屋に行くような雰囲気ではなく、どちらかと言えばお洒落なカフェが似合う。
いや、違うか…一瞬だったし……
CDショップに着いても、あの横顔が頭から離れず落ち着かない。頼まれたCDを買い、受け取ったレシートを失くさないよう袋に仕舞って、早々に帰路についた。

翌日、彼女の部署に持っていかねばならない書類があった。部屋の入口からこっそり彼女を探す。細い指でキーボードを叩く横顔。やっぱりそうだ。間違いない。
僕の心の声が聞こえたかのようなタイミングで席を立った彼女と、目が合った。微笑んで会釈をしてくれる。
「あっ、お疲れさまです、あの、これ」
動揺して、渡そうとした書類の束を落としてしまった。
「わ、ごめんなさい!すみません!」
焦る僕を見て彼女は笑いながら、さっと書類を拾い集めてくれる。こんなふうに笑うんだな。すごく可愛い。
普段の僕なら、誰かのプライベートに踏み込むようなことはしない。程よい距離感を保っていれば、平和が壊れることはないのだ。
だがそのときの僕は、どうしようもなく彼女に近付きたくなり、
「あの、昨日お見かけした気がするんです、帰りに」と切り出してしまった。
「僕、バスに乗ってて、窓から…一瞬そうかなって」
「あ、もしかして、ラーメン、ですか?」彼女は可愛い笑顔でゆっくりと言った。
「時々無性に食べたくなるんですよね。一人でもよく行きます。」
後輩の僕にもいつも敬語を使う。清楚で上品で、それでいて柔らかい親しみやすさも感じる穏やかな話し方だ。
「わかります、僕も食べたくなりました、美味しそうで」
彼女は一瞬黙った後、ふんわりした笑顔で僕の目を見ると、
「一緒に行きませんか、もしよかったら」と言った。

彼女と並んでラーメンを食べながら他愛ない話をした。
おとなしいイメージだったが、彼女は僕の話によく笑い、会話は弾んだ。
食べることが好きで「焼き肉も一人で行く」のだと言う。食べたいものを、食べたいときに食べる。華奢で小柄な彼女から、前向きな生命力を感じた。ちゃんと、生きている、生きようとしている感じ。豪快に麺をすすり美味しそうに食べる姿を、とても愛おしいと思った。
「あぁ美味しかった。ありがとうございます、美味しいお店教えてくださって。」
「こちらこそ、お付き合いいただいて。楽しかったです、ありがとうございました。」
小さく手を振る彼女の笑顔が、いつまでも脳裏に残る。
街灯の消えかかった薄暗いいつもの道が、今日は月明かりでキラキラ光って見える。
彼女との話が楽しくて、夢中で、正直ラーメンの味はよく覚えていなかった。が、なぜだか心から美味しかったなぁと思う。僕の体全体に命が行き渡る感じがした。心も体も満たされ、とても幸せだった。

それから仕事帰りに彼女と度々食事に行くようになった。
二人で会う時、次第に彼女は敬語を使わなくなり、自然と僕もそうなった。
心が近付き合うのを感じる。でも、あと一歩が、なぜか遠い。彼女の周りを薄い悲しみの膜みたいなものが覆っていて、僕にはそれを破ることができない気がした。
今までの僕ならそれでも良かったはずだった。一緒にいるのが楽しくて、なんとなく幸せなら、それで。
でも今の僕は、もっともっと深く彼女の心に近付きたくて、もどかしくて、ある日の帰り道、唐突に言った。
「キスしていい?」
「え?え、いま?」
戸惑う彼女に構わず僕は強引にキスをした、が、してから、しまった、と思った。
「ごめん、ごめんなさい!」
せっかく今まで守ってきた、平和でゆるい幸せが壊れてしまう。
ところが、意外にも彼女は、
「ちょっとなに…一人芝居なの?可愛いなもう…!」
と、大げさなくらいに大笑いしている。
ほっとしたのと嬉しいのと愛おしいのと、ごちゃ混ぜな感情で僕も涙を流しながら笑った。そしてひとしきり二人で笑ったあと、彼女は僕をまっすぐに見つめて、
「いいよ」
と言った。
ゆっくりと唇を重ねる。
やっと少しだけ、彼女に近付けたような気がした。
(②へつづく)

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