見出し画像

KYOTO GRAPHIE 京都新聞社地下印刷所跡地

連休を利用して、KYOTO GRAPHIEをまわってきました。日差しが眩しいと思えば、すぐに雨が降り出し、そして止むのを繰り返す、不思議な天気の京都でした。
まずは京都新聞社地下にある印刷所跡地で展示されていた、ローレン・グリーンフィールドのGeneration Wealth(富の世代)シリーズ。ここはチケットの必要がなく、誰でも見られます。

アメリカの大豪邸、セレブな著名人、高級ブランドを身につける人々、物質主義者たちの写真が並び、言葉通り、富に溺れる人々のくらしが描写されていました。
そしてもちろん鑑賞者には、その富がただ羨ましく感じるものでは決してなく、その富の虚構と、富を尽くしても満たされていないひとびとの孤独感や空虚感といった闇を見出してしまう作品群でした。
作品のクオリティとボリューム、作品から明確にテーマが伝わることと、展示空間の無機質さやかつての労働者を感じる痕跡などが相まって、きっと一番評価の高い展示会場だったのではないかなと思います。

個人的には、出口の近くでは、世界における新たなセレブ層である、中国・ロシア人を写した作品群がスクリーンに投影されていて、先ほどまで見ていたアメリカ人との比較がとても興味深かったです。
その作品群からは、アメリカの富裕層を写した作品から感じた虚構と悲壮感が見出せず、中国で自宅をホワイトハウスにしてしまうといったバカバカしさがただただ楽しそうで、滑稽でした。

「どれだけお金を使っても満たされない」という価値観もひとつのバイアスでしかなく、「アメリカセレブ=お金・性・孤独感・空虚感」というステレオタイプで自分自身が前半の作品を見ていたことに気がつきました。
一方で「中国・ロシアのセレブ」に対しては、私の想像力を裏付ける知識がないことで、何のバイアスもなく写っているものだけに反応したのだと思います。

もうひとつ穿った見方をするのであれば、「アメリカセレブから感じる孤独感・空虚感」という価値観は、鑑賞者だけでなく、当人たちでさえもそういったセルフイメージを強いているのではないかと思ってしまいます。
「虚しいと自覚していながらも楽しんでいるフリをする」のではなく、「虚しいと自覚していながらも楽しんでいるフリをすることまで引っ括めてセレブを演じている」。
それがセレブの末路なのではないかとじわじわ感じました。

もちろん「セレブ」というのは極端な一例でしかなく、それぞれが自分と同様の層に応じた富・幸福・孤独・空虚のステレオタイプに支配されて生きているので、その支配からの脱出なんて人生かけてもできるのか、まさに今自分の価値観が自身を苦しめている身としてはなんとも言えない気持ちになりました。

同じ日に5会場(NHK、藤井大丸ブラックストレージ、建仁寺両足院、 ASPHIDEL、y gion)を回りましたが、作品数も全然違うので、やっぱり一番印象的だったのは、ロレーン・グリーンフィールドでした。見れてよかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?