音楽をつくる

私は作曲家だ。なので音楽をつくることはとても日常的な行為のように思える。すなわち、どんどん工程が洗練されていき、感情のブレに左右される割合は減っていき、良くも悪くも安定したものとなっていく…はずである。だが実際には音楽を作り始めて年月が経てば経つほど不確定要素に自分の音楽の良さが依存していることに気付き始め、気付いたらちょっとだけ病んだ気分になったりする。
そもそも音楽にはあまりにもたくさんの種類が存在する。音楽の3要素はメロディー、音色、リズムだが、ジャンルごとにそれらの求められる比率は大いに異なる。私は洗練されたメロディーとそれに溶け込むような美しい和音を有した音楽をつくりたいと最初の頃から思っていた。ジャンルで言うとポップスとプログレとクラシックのあいのこくらい。でも他のジャンルも好きだよ、ファンクとかジャズロックとかデスメタルとか。
再現性のない作曲手法に依存した楽曲が苦手かもしれない。それは理論でもいいし、特定の技術を持ったミュージシャンのジャムセッションでもいい。とにかくそういう方程式のある音楽の方が圧倒的に優れたものが多いと思っている。ギター弾き語りで偶然見つけたコードを元になんかドヤ顔で自分のオリジナルだと見せびらかせるの、そういうのはあまり好みではない。弾き語りでできるコードなど、超絶的なハーモニックリズムと配置感覚の持ち主以外もう発見され尽くしてると思う。そんなにコードが好きならば和声を学べばいいじゃん。そう、だから私は今和声を学んでいる。
和声も非和声音あたりまで学ぶと、作曲に活きてくるようになる。しかし楽器の数を増やしていくと対位法の壁にぶち当たる。それで今苦しみながら対位法も学んでいる。そして管弦楽法へと…さらにそれらをメタ化し…
しかし、ポップスを志す場合に必要になってくるメロディーセンス、こればかりは持って生まれた才能が占める割合があまりにも高いと思う。メロディーラインの書き方の理論もあることはあるが、モーツァルトの楽曲などを分析してるとそれらの無力さを痛感する。
今新作アルバムを制作している。現在ミックスを行っている。何回も聞いているうちに楽曲がゲシュタルト崩壊してくる。そのたびに楽曲を減点方式でなく、加点方式でいかに楽しんで聴けるかを意識して、長所を伸ばすミックスを心がけたりする。
4度と5度という古典的な転調を繰り返す曲、数小節ごとに不可解な遠隔調への転調を繰り返す曲、頑張って1オクターブ以内に音域を抑えた曲、サビでシューゲイザーの要素を取り入れて間奏ではクラシカルなカノンを行ってる曲、ほぼAメジャーだけの曲、和声が難解すぎて各パートの譜面を作った曲、などいろんな曲が…ってほんと自分のこだわっているポイントって楽典上のことばかりだな…ジャムセッションできるバンドがうらやましいや。
不安だらけだ。いつまでこのような曲を作り続けれるのかわからない。第一まだほとんど評価されていない。心が折れそうだ。でも私は曲を作り続けるのだろう。最早そのような生き方しか私は分からないからだ。

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