見出し画像

舞台『モノノ怪』感想


はじめに

注意書き

 今更ながら、以前から書いていた舞台の感想をポツポツとあげていこうと思います。
 原作を知らなかったのですが、舞台化を期にアニメを観ました。どハマりして今現在も見返してます。
 一部加筆はありますが、極力書いた当時のまま載せてますので、新木宏典さんのお名前が旧芸名 荒木宏文さんのままです。
 ネタバレ・個人の感想を含みますので少しでも気になった方は絶賛発売中の円盤をご覧ください。

総評

 全体的には満足度の高い作品。
強いて言うなら刀を抜いた時の姿をちゃんと観たかった、という心残りがある。前の方の席だとハイパーさん状態のプロジェクションはほとんど見えなかった。これは演出と私の相性の問題。
3回の観劇中1回だけ最前列で観ることが出来たけど、その時は本当にプロジェクション部分が見えなかった。
 プロジェクションマッピングは没入感を与える為に使用されることがほとんどだと思う。肉体や物理法則を超えて、視覚的な情報を拡張してくれる手段であることは事実。だからといって多用すればなんでも叶うかと言うとそんなことはなくて、あくまでも“舞台”というアナログな媒体を成立させなければアニメや映画で良いじゃん?となる。
ワガママは承知だけど、限られた手札を使ってどう説得してくるかという「足掻き」が舞台の魅力だと思う。
 それを踏まえて考えると、今回のプロジェクションは、飛行船シアターという場所を利用するという観点ではドラマチックな演出だったと思うけど、クライマックスをあれで終わらせるには惜しかったのかなぁと。
ダンサーさんの存在の方が「そういう表現」として受け止められた。ただ、コンテンポラリーダンス的なのが嫌って人もいるとは思うから、演劇を作る方々が日頃如何にして満足感の母数とやりたい事を秤にかけているかということを感じてしまった。感謝の気持ちはアンケートに書かなきゃね。

 鞘から抜いた対魔の剣と、男たちが虐げる為・威圧する為に振りかざす刀との対比も、弱まっているように感じた。(もともと原作もそんなつもりないとは思うけど) 猫or化猫を切る、という動作の意味は正反対なのにな〜って。
化猫になり、怨みと苦しみを一身に背負ったモノノケを浄化させるために斬る、というスタンスが原作よりも薄まっているのかな。原作で描かれていた、化猫の涙と思しき体液も印象として薄かった。
 最後の紙吹雪は原作よりもちゃちで、それはそれで良かったと思う。あんなに怖がって逃げ惑っていたのになんだこんなもんか、みたいな。死傷者は多いけど、ま、基本的に自業自得なので。

登場人物について

たまきと"ねこ"

 たまきが「ねこ」って呼んでるのは原作から気になっていたところ。でも理由は分からなかった。自分と子猫を重ねていたから、名前をつけなかったのかなぁ…と舞台を見て感じた。名前をつけるって役割を与えるみたいな意味合いも含んでしまうから、猫は猫であって良い、自由な存在でいて良いんだっていう気持ちなのかなと、舞台を見ていて思った。
 「ひとりでやっていくんだよ」という最期の言葉は、たまきの切なる願いなんだけど、猫と2人で家から楽しげに出て行くシーンで、心の奥底で求め、同時に諦めていたのはこれなんだと、紆余曲折あったけど叶って良かったね…となる。初見の時に泣くと思わなかった。
 原作でたまきが生き残った猫を見つけた時の表情を見ると、まだ若い女の子なんだと思う。右も左も分からぬまま未来を押し付けられ、自分の置かれた立場を理解した時にはどこにも助けを請えない。そんな人生だったのかな。
 生きてる間に猫とたまきが自由になったとして、本当に幸せになれたか分からないけど、薬売りさんが小田島にかける最後の台詞に全ての答えがある。誰も誰かに縛られる必要なんてないんだ。
 ずっと白無垢を着せられているのはコレクションとしての役割を押し付けられている感じなのかな。それが1人の人間の、ほんの気まぐれから始まっているので更に哀しい。
 ほとんど抵抗されなかったってところも御隠居の主観でしかないから私は信じられない。たまきがもともと自分の将来に絶望してたからかもしれないけど。
 たまきが亡くなったあとも、ずっと打ち掛けを飾っていたのも引っかかる。笹岡が後々計略に使うつもりだったのか、御隠居の意向なのか分からないけど、罪の意識によるものでは無さそう。

女性陣の怨み

 原作で見ていたよりも、女性キャラの境遇が酷くて、モノノケの根源は1つでないように感じた。さとが積年の恨みを爆発させるところで化猫の力が増しているように見えるし。
 辛い思いをしている者同士でも助け合うことなく、皆が一つ屋根の下で歪み合うばかり。女同士結託出来たことといえば、産まれた女の子に期待を託すこと。その期待の託し方も結局は上等なモノとして自分たちの為に使うことじゃない?という気持ちが拭えない。時代的に仕方がないけど、その「仕方ない」の連鎖もまた歪さの一因になっている。
 阪井家の人間は、たまきの恨みと猫の恨みが相まってと言っていたけど、それだけじゃないよね…
 これは私が女性だから思うことかもしれないけど、かよのハリのある天真爛漫さは過去に身に覚えがあるし、さとの渦巻く怨念はこれからの自分を見ているようだった。要らないものを引き摺って他人を羨むような生き方はしたくないね。

当主と水江様

 当主の性格が原作とは少し異なっていて、あの夫婦関係の歪さが際立っていた。
 母を思慕するようにすがる当主に対して、女の価値は男のあり様で決まると信じて疑わない奥方。それに応えようとするけど根本的に器量が無い当主と、当主なりの努力に納得出来ない奥方。それぞれに向ける娘への愛情があってもなお、夫婦のかすがいにはならない。
 正直こんなに水江様のこと好きになるとは思わなかった。「ぃよしくぅに〜!!!」の言い方大好き。

 余談だけど、阪井家の家紋は井筒紋と思われる。かつては水とか井戸を大切にしていた家系のはずなのに、あろうことがその井戸に遺体を投げ棄てる。諸々の綻びが決定的な破滅へと繋がっていく。
 さとがかよに水を汲んで来いというシーンは、単なるいびりなんだろうけど、さとがたまきの件を知っていたら、新しい井戸にも近づきたくなかったのかなとも思える。たぶんそれは考えすぎ。
(追記)原作アニメでは厨に入る前、薬売りさんが井戸を見つめるシーンがありますね。見返してて気づきました。

御隠居のこと

 御隠居が守りたかったものとは何なのか。誰も居なくなった屋敷に取り残されるのは孤独な老人。償うにも全てが遅すぎるし、そもそも罪の意識あるのかっていう救いようのない人間。
 あの屋敷は御隠居そのものになった、という終わり方が呆気なくてもはや清々しい。御公儀に何を語るか分からないけど、個人的には見窄らしい余生が少しでも屈辱を与えればと思う。それだけのことしちゃってるし。
 薬売りさんが御隠居へ言う、お前の生死はどうでもいい、俺はあれを斬らねばならぬって台詞が好き。

弥平LOVE

 弥平のキャラクターは本当に良かった。まず冒頭で一座の世界にぐっと引き込まれる。
 原作だとサクッと死んじゃう下男だけど、試し斬りの後始末を頼まれた弥平の仕草は、立場の弱い人間の憐れさが出ていて良かった。
猫をかわいそうに思ってるのではなく、自分のことは祟らないでくれって思っている感じ。そういう意地汚さがあるから、弥平に同情する気持ちにはなれないところがまた良い。
 春画の件とか、遺体になってからの扱いで、一座の仲の良さが出ていて、公演内容とは違うところでなんだか嬉しくなった。
 最前列で観た時のカテコは目の前に弥平が立っていた。表情を観てすごく素敵な役者さんなんだなぁと思った。他の作品を見るのが楽しみ。中村さんのnoteの文章も独特の間が心地よい。
 なのでランブロの弥平を引き当てた時は嬉しかったし、帰宅してすぐスリーブに入れた。そして猫の日にはそのスリーブをデコった。そのくらい私は弥平LOVE。
(追記)舞台幽☆遊☆白書2を円盤で観ました。中村さんがご自身のnoteで仰ってたことと照らし合わせることが出来て良かったです。役者さんの表現力って凄い…新木さんの出演作でなくても観に行きたい役者さんです。

薬売りさん

 薬売りさんは本当に薬売りさんだった。荒木さんが演じる時点で既に信頼があるんだけど、いつも聴いてる荒木さんの声ではなくて、そこまで寄せてくるか〜と感心してしまった。開幕してすぐの公演のほうが寄せていたそうなので、そちらを観ていなかったのが悔やまれる。
 1人だけ標高が高いところにいるのかなっていうくらいの酸素の薄さ、台所に上り込んでいる時の親しみ有り気に人間ぶってる時、モノノケの気配を察して仕事に取り掛かるところ、全てをものにしていたと思う。
 荒木さんは言葉だけでなく、纏う空気の変質で薬売りを演じているから凄い。
 ドロドロした人間模様と一線を画す傍観者のようでいて、使命とは別のところで怒っているようにも見える。人なのか、人ならざるモノなのか、謎が謎を呼ぶ役どころが荒木さんとの相性抜群だと思う。

舞台美術・衣装について

 襖に描かれた猿と狗、骸骨と散る花、破綻している名家の象徴みたいだった。明確な時代考証をさせないためなんだろうけど、元ネタの時代がチグハグな感じでそれが更にバラバラさを演出しているように見える。
 監禁されていた地下の部屋が竜宮城のようなデザインなのもなんか引っかかる。唐突に海の生き物描いてあるから、元々あそこは何の部屋なのか気になる。阪井家はファンシー地下牢を代々引き継いできたのか?前述の通り、井戸を大切にしてきたであろう家系に海のモチーフという取り合わせもなんだか不穏。
 小道具と衣装の作り込みは観ていて楽しかった。原作に沿った誇張メイクも良かったと思う。だからこそプロジェクションは要らなかったかなぁという…特に天秤ちゃんのシーンでそう感じた。

脚本について

 バケネコの怪異と女性陣の積年の怨みがセットになっている構図が原作アニメよりも鮮やかになった脚本はとても良かった。女性の境遇の不幸さをクローズアップするだけでなく、女の醜さも描かれていたのは本当に見事。人の業とはこういうものだよねって感じで。
その醜い人間模様があってこそ、薬売りさんが人間では無さそうという対比ができる。そして薬売りさんの素性を知りたいという欲に駆られる。(そして素性はほとんど分からないという供給の少なさに燃えるのがオタクである)

 続編があるか分からないけど、『鵺』あたりを舞台で見てみたいと思う。荒木さんの演じる薬売りさんの「うっかり、うっかり」、みんなみたいでしょ…?


いつも通り長乱文ですが、ここまで読んでいただいた皆さま、本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?