平和研究会(2021.1.16/第十六回)

冷笑の時代になぜわたしたち若者は声をあげるのか  #VoiceUpJapan

「ジェンダー問題などの社会課題と向き合い発信を続ける学生らの団体Voice Up Japanのメンバーをゲストに迎え、冷笑の時代になぜいま声をあげるのか? またこうした時代にどう抵抗していくのか、もしくはどう対話を見出していくのか? を考えていきます。」

対話と、そして抵抗を求めて。

「意識高い系」?→分断・差別・孤立(わかちあえない)

声をあげ、つながってゆかなければ、何も変わらない。

SNSなどのソーシャル・ネットワークの活用←弱い立場にある人は、そうせざるをえない状況にもある。

「私はきっと誰かを傷つけている」→だからこそ、抗って…/傷つくことを恐れて何もしない…。

性的同意→「若い人にいまだこの問題を残してしまってゴメンね」と言われることもあるが、バトンとして受け継いでゆきたい。

トライ・アンド・エラーの歴史があってのわたしたちのアクションであり、いままでの声のレイヤーを継承している。

自分自身が声をあげないことは、現状を「認めてしまっている」ことになりはしないか。

「当事者」でなくても声をあげること→他者とともに何ができるのか?

「シャイな性格」(や「コミュ障」)というような言い方→自分を(出会いまでも)遮断してしまい、「無関心」や「責任転嫁」に陥ってしまう危険性。

「自分なんか」が動いても変わらないし(孤立・無力感)、社会の複雑な問題に貢献などできないのではという疑念→「そんなことはない」と伝えたいが、どう伝えてゆけばよいのか? そう簡単ではない。

しかしすくなくとも、「自分は変わっている。」それは、かけがえのないこと。

「選挙の一票では何も変わらない」→ちょっとしたキッカケで変わる、波紋が広がってゆくということは、わたしたちの身近でも起こっている。 ex.インスタグラムのストーリー(物語)

まず、自分が変わること。→キッカケになるかも。苦しさや痛み、壁、自身の気持ちをわかちあおうとすることを諦めない=「自分を信じること」

「傍観者」にならない=by stander になる

ex.環境問題→未来デザインという考え方=来たるべき人たちの想いに想いを馳せる

社会(他者)のためにやる!

分かってはいるけれど、動けないというところがある…。→想像する力、想像する余白があるということが大切。そのとき人は、動き出すことができるのでは。

「力の差」と冷笑、声をあげることと伝えること。→「言い訳」さがしに閉じ込められてしまう?

まず、学びあい、わかちあい、対話すること。→「興味のない」ことも、どこかで切り口(開かれてゆくところ)はありえる。

レスポンスがない→疲れる・諦め

でも、当事者の方々は危険なことをやっていらっしゃるので、それをわかちあおうとする、連帯するという感じ。一人と、でもいい。

ジェンダーの問題を話すのは、難しい。でも、身近な人とわかちあえるのは、「自分だけ」。

一見「冷笑」しているようにみえる人こそ、もしかしたら変わる(変わりたい)可能性があるのではないか。→「高圧的な」態度はとるべきではない。

教育、言葉を探すということ。←「冷笑している」人に責任があるというより、社会の構造に問題がある。

コロナ禍で、特に「限界」があることを痛感した。→何かやるべきではないかと想った。偏見もあったが、「あたりまえのこと」を実現したい。

ジェンダー・バイアス←客観的にみる・身近なところから変える

しかし、身近な人ほど難しい。苦悩も大きいので、時間をかける必要。

情報(=知識ではない)の受けとり方も変化する。

制度・環境/個別の対話など→どちらも必要

対話のためのvoice up←そういう教育がなされていない。民主主義的な考え方・方法を知らない。 ex.誹謗中傷・「似た人」としか付き合わない

沈黙=孤独に考える時間も必要だし、大切。

「自分の考え方は100%正しい」と考えないこと=異なるものを受け容れること

教育がとても大きい→「人とぶつかることがこわい」という気持ちも、学習によって変わりうる。

まず、他者の声を聴くこと。「ふれあうこと」。どうしたら「論理的に」議論できるのかを学びたい。

「コミュ障?」→「コミュニケーション」とは、「障害」とは?

(おたがいに)興味・関心のあることしか聞かない・聞きたくない、見たいものしか見ない・見たくないという壁を、どのように越えてゆくか。

性教育は人権教育 ex.女子高生が痴漢に遭う→社会を動かし、法律を変える。自分自身が by stander だったら…無責任にならないように。

「距離感」は難しい、どう声をかければ?

教育・学習の大切さ。

「雰囲気」はどんな感じ?→「気を使わなきゃ」というのではなく、対等な対話。フレンドリー。

呼称→「違うことがいい!」という関係性。(共感共苦/自由)

声をあげることは愛すること=どう生きたいか

テクノロジーを「うまく」使う→方法論が必要

わからないことだらけだけど、自分たちが学んだことをシェアしてゆくことを心がけている。 ex.小さなこと、自分自身から友人と話す(話すことで友人になってゆく)。

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