終末のエチュード~アンドロイドと遺言編~#1【連載小説】

 2028年のある日、太平洋沖に隕石が落下した。
 隕石はとても小さなもので、大きな話題にもならなかった。
 それから数年後、人類が異変に気が付いた時には、既に最悪の事態を迎えていた。

 隕石に付着していたウイルスは、地球上の7割を占める海で虎視眈々と拡大。やがて陸上にも襲い掛かり、加速度的に世界中に蔓延する。国際連合を中心に多くの研究者がワクチンの開発に挑戦したが、ウイルスの拡大速度に対して圧倒的に時間が不足していた。

 医学的解決は絶望的。人類は生存を諦め、アンドロイドに遺言をプログラムした。
 もし世界がこんなことにならなければ――。

 ――北海道の北部、日本海に浮かぶ小さな島。主な産業は水産業と観光。人類滅亡前の人口は約5000人ほど、現在の人口は0。ここにノアとエマという二人のアンドロイドがいる。
 これは、この島に暮らすある夫婦が残した、つがいのアンドロイドの物語。


「おはよ、ノア」
「おはよう、エマ。今日も可愛いね」
 ふふ、とエマが笑う。

「それはお世辞? キミはついにお世辞を言えるようになったんだね」
 だいぶ人間らしくなってきたよとノアを褒める。

「お世辞とは、心にもないことを言う、という意味らしいね。心がない僕らにぴったりだ」
「キミは知能型でしょ? 無脳型の私と違って心があるじゃない」
「人間らしさ、というのは必ずしも心があるかどうかではないと思うなぁ」
 あくびをしながらいつまでも布団に潜ろうとするノアにエマが詰め寄る。

「キミが何を言いたいのか理解不能」
 そう言ってカーテンを開けると、窓から白い陽射しが差し込んだ。

「暇なら屋根の雪下ろしでもしててよ。私の記録によると、ご主人は毎朝雪下ろしをしていたと思うけど?」
「僕の記憶によると結婚前のご主人は何もせずによく君に怒られていたみたいだよ」

 返す言葉にさらに詰め寄るエマ。
「それは私の記録にはないわ。ご夫人の傾向を解析する限り、いまキミはご夫人の怒りを買っているよ」
「おお、それは怖いな」
 おどけた仕草をするノアだがエマは怪訝そうな表情を浮かべている。

「理解不能。正解がわかっているのに、キミはなぜかそれに反する行動をとるよね」
「それが人間らしさかなと思ってね」
「残念だけど私にはわからないわ」
 ようやくノアもベッドから起き上がる。

「気にしないで。雪下ろししてくるよ」
「お願い。私は洗濯しながら朝ご飯の準備をしておくね」

 雪解け間近の4月の晴れた日。
 毎朝雪によって一新される大地は光を反射し輝いている。

 アンドロイド達が暮らすロッジは、元は彼らの主が暮らしていた。夫婦は子宝に恵まれない代わりに、アンドロイド達を我が子のように可愛がった。しかし、平和な暮らしはすぐに終わりを迎える。主人はその後すぐに戦争に駆り出され戦死。それから数ヶ月後、ウィルスにより夫人も他界した。

 残されたアンドロイド達は、いまも変わらず日々の営みを繰り返している。

「戻ったよ」
「お疲れ様。コーヒー飲む?」

 テーブルに用意された朝ご飯。
 人間的な行動を重視されたアンドロイドは、有機物をエネルギーとして活動する。
 人間と同じように食事をし、寒暖を感じるため衣服をまとい、睡眠を必要とする。
 消費が生まれるため、アンドロイドのみとなった現在も人間的な文化は継続されている。

「わ、熱い!」
「あはは、ひっかかったね!」
 カップを落としそうになる姿をみて、エマがケラケラと笑う。

「いまのはご主人のような反応だったよ」
「君もね。本当にご夫人のように表現豊かだ」
「無脳の方が人間らしいと言われていたくらいだもの。むしろキミは知能があるくせに感情が薄いよね」
「ご主人っぽいだろ?」
「そうね。ちなみにいまのは1年前の今日の同じ時間に起きた出来事の再現よ」
「そうなんだ。僕は過去の記録を正確に蓄積できないからね、忘れていたよ」

 記憶の知能型と記録の無脳型。

 機械であるアンドロイドは本来全ての出来事を正確に記録できるが、正確な記録は創造の阻害になるとされ、知能型には、記憶という曖昧な概念が組み込まれるようになった。

「私は過去を正確に再現できるけど、新しい出来事は創造できない。キミは過去はあまり覚えていないけど、新しいことを創造できる」
 対して無能型は、正確な記録を重ねることでパターンを解析し再現することに優れている。

「君の方が普段はよほど人間らしいよ」
「でもね、学習しないと私はだめなの。だから、色々と新しいことを生み出して、私に学習させてちょうだい」
「そうだね、それならお返しにっ!」
「あっ!」
 バシャり。コーヒーの中身をエマにぶちまける。
 慌てるエマの姿を見て、同じように笑おうとしたノアだったが、すぐに場の空気の変化に身を強張らせた。

 エマから笑みが消え、淡々とした口調で話し始める。

「キミはいまひどいことをした。解析する限り、ご夫人ならいま悲しいという気持ちになるはずよ」
「僕はいま君を悲しませることをした?」
「そう。なぜそんなことをしたの?」

 静かに問うエマに対し、俯きながらノアは呟く。

「ご主人ならこうするかな、と思ったんだ。でも……僕もいま悲しい気持ちになってきた」
「理解不能。わざと悲しくなることをするのはなぜなの?」
「わからない、だけど……、人間の気持ちがわからないと僕らは遺言を果たせない」
「う~ん……キミの行動は理解不能なものが多いけど、そうだね……それはキミが人間の気持ちを考え、創ろうとしているからだと解釈したよ」
 そう言って、顔にかかったコーヒーを拭き、エマは改めて朝食に戻ろうとする。

「無脳の私にはできないことだから、私にできることがあれば何でも言ってね」
「ありがとう、あと、ごめん」
 深々と頭を下げるノア。
「なんで謝るの?」
「君を悲しませる行動をした」
「目的あっての行動でしょ?」
「そう……なんだけど、なんだかこういう手段はよくないらしい」
「良し悪しという感情は最も解析が難しいの。キミの感情は私には理解できないけど、目的あっての行動なら正しいと思うわ」
「そうだね……」
 ノアは苦笑いを浮かべる。
 エマは既に関心を失ったようでラジオのスイッチを入れる。
「あ、これご夫人が好きだった曲じゃない?」
 ラジオから軽快な音楽が流れている。

 人類滅亡後、インフラの大半が破壊され、インターネットや公共電波は復旧していないが、ラジオだけは有志によって運営されている。

「そうだったっけ?」
「覚えてない?」
「覚えてないな」
「キミのご主人の記憶にあるんじゃない?」
「さっきも言ったけど、僕は過去の記録を正確に蓄積できないからね」
「覚えてないと知ったらご夫人は悲しむわ」
「そんなに大切な思い出なのかな?それであればさすがにご主人の記憶にも残っているはずだけど……」
「日々の些細な出来事一つ一つの思い出が大切なのよ」
「理解不能だ」
「まあ、ご主人は鈍感だったからね」
 そう言って、エマは笑った。

「さあ、食事を終えたら買い物に行きましょ。今日は市の日よ!」

 島の南に位置する市場は、軍港も兼ねており、定期的に本土から物資が届く。物資が届く日は多くの露店で賑わっていた。

「こんにちは、お花いかがですか?」
 花売りの少女が二人に声をかける。
「春一番ね」
 エマが微笑む。北方のクロッカスは春一番を告げる花として、季節の風物詩になっている。

「生前ご夫人が好きだった花だね」
「あら、それは記録に残ってるのね?」
「大切なことはいつまでも覚えているよ」
「じゃあ、いま私が考えていることもわかる?」

 ノアは花売りの少女に尋ねる。
「お花をこのバスケットに詰められるだけいただけるかな?」

 バスケットいっぱいに詰められた紫のクロッカス。
 ノアは膝をつき、両手に抱えたバスケットを掲げ、深呼吸。

「このクロッカス以上の愛を毎日あなたに捧げます」
 吹き抜ける風にクロッカスの花びらが舞い、ふふ、とエマが笑う。

「正解ね、一言一句違わなかったわ」
「こういう記憶はいいんだ」
「そういうとこ、ご夫人も好きだったみたいよ」
「でも……」
「でも?」
 ノアは頬を赤らめながらうつむく。

「ひどく恥ずかしいね。もう二度としないと思うよ」
「そういうところもご主人に似てきてるわね」
「そうか……ご主人の心は難しいな。するべきだと思って行動するのだけど、すぐに後悔? というのかな……なんとも、もどかしいような感情が生じる」
「複雑な感情なのね。ご夫人がしてほしいと思ったことをしてくれることは正しいと思うけど?」
「素直じゃないからね」
「それはご主人? それともノア? どっちもかしら」
「どちらかといえば僕かな。ご主人はけっこうキザだったからね」
「ノアはまだまだ子供なのね」

 そう言って二人は1年前の夫婦と同じように笑った。

 その時、警報が鳴り響いた。
 ――北方覇軍の襲撃を確認! 非軍用アンドロイドは速やかに避難せよ!
 サイレンとともに隊舎から軍用アンドロイドが次々と現れる。

 かつてこの国は北方の領土をめぐって戦争をしていた。そして、人類が滅んだいまも、遺言として戦争を続ける軍用アンドロイドがいる。

「こんなことを続けて何になるんだろう」
「遺言なんでしょ」
「ウィルスがなくても人類は遅かれ早かれ滅びたね」

 人類滅亡後、遺言を果たすという目的がアンドロイドの新しい行動指針となる。

 突然の死を目の当たりにした人類の遺言はその時の最も強い欲が反映されることが多く、その遺言を受けたアンドロイドによって、特に大都市では略奪や強姦が大量に発生した。
 唯一の救いは、良心を有する者に遺言を託されたアンドロイドも存在したことと、非道な遺言を託されたアンドロイドも、遺言を達することで機能を停止するということ。
 短絡的な欲求を遺されたアンドロイドはすぐに役目を終えて眠りについたため、数か月もすると世界中の混乱は収束した。

 残るアンドロイド達は、いまも主の遺言を果たすために活動を続けている。

「ノア、キミは戦争をしたい?」
「いや、僕にその感情はないな。記憶をたどっても、ご主人も望んで戦争に参加したわけじゃない、けど……」
「けど?」
「僕らアンドロイドは非常時の国令に基づいた指示は拒否できない」
「強制指示のことね」

 アンドロイドの暴動発生時に備えた機能。人類生存中には一度も使われることがなかった。

「少し気持ちはわかる。人類は戦争をしていても、どこかで人道的な行動、倫理感を捨ててはいなかった。でも、いまは人類という歯止めがない。軍上部のアンドロイドに託された遺言次第では発令される可能性もあるかもしれない」
「ある日、突然世界が滅ぶかもしれないわね」
「その前に、僕らも遺言を果たさないとね」

 ゴウンと爆発音が響いた。市場の面する漁港から火があがる。

「ここは危ないから帰ろう」
「そうね。でも、まだこちらの軍も健在だし戦力も拮抗してる。すぐにこの島が戦場になることはないわ」
 近づいてくる爆発音に物怖じせず買い物を続けようとするエマ。

「君は冷静だ」
 そう言ってノアが笑うと、
「キミは機械のくせに計算ができないのね」
 と、エマも笑いながら返した。



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