終末のエチュード~アンドロイドと遺言編~#2【連載小説】

 それからひと月が経過した。
 エマの予想通り、戦争が再開されても、民間の暮らしは大きく変化しなかった。
 攻められた漁港も本土からの援軍によって被害は最小限に留められ、既に落ち着きを取り戻している。

「人類がいない今、戦争に何の意味があるんだろう」
 と、ノアが朝食を食べながら呟くと、
「意味なんてないのよ。遺言を達成するためにやってるんでしょ」
 と、エマがお皿を洗いながら返す。

「もう少し情報があるといいんだけどね、趣味で放送されているようなラジオじゃ戦況もよくわからない」
「戦争したいの?」
「いや、そうじゃないけど、ここもいつまでも安全ではないでしょ」
「どこかに移っても同じでしょ?」
「まあ、そうなんだけどね」
「考えても仕方がないわ。それよりも私達は私達の遺言を全うしましょ。はい、食後のコーヒー」
「キミはポジティブだなぁ、羨ましいよ……うっ! ゴホっ!」
 コーヒーを口に含んだ瞬間に咳込むノア。それをみてケラケラと笑うエマ。

「ふふ、油断したね。1年前の今日は何の日でしょう?」
「……これは僕も思い出したよ。朝寝坊が続いたご主人に対し、コーヒーに唐辛子をいれるというイタズラをご夫人がした日だ」
「せいかーい! 図らずもキミも最近同じ行動だったからね。雪解けしたからって朝寝坊してよいわけではないのよ」

 エマの行動原理は、遺言を叶えることに忠実に基づいている。遺言を叶えるためにエマが考えたことは、かつての主達の暮らしをなぞること。
 ノアの脳裏に一抹の不安がよぎる。

「ねえ、エマ。ご主人とご夫人の行動をなぞるのはよいけど、僕らが知っているのはご主人が戦争に行く前までだ。それが過ぎたらどうするつもりなの?」
「さあ?」
「さあって……」
「そんなこと私にはわからないわよ。全部なぞったら遺言を叶えたことになるのかもしれないし」
 あっけらかんと答えるエマに少し苛立ちを覚えるノア。
「ねえ、エマ。それは少し楽観的過ぎない? もし、そうならなかったら?」
「その時は、その時よ」
「そんなんじゃ……」
「その前に!」
 口論を続けようとするノアを制してエマが続ける。

「そんなことより大切なことを言い忘れてるんじゃない?」
「大切なこと?」
「キミは話をすり替えているけど、まず言うべきことがあるんじゃない?」

 あっけにとられた表情を浮かべているノア。その顔を見つめながら、エマが続ける。

「ごめんなさい、でしょ?」
「へ?」
「だ・か・ら、朝ご飯一緒に食べられてなくて、ごめんなさい、でしょ?」
「あ……そうだね、ごめん……なさい」
「よろしい!」

 ノアのばつの悪そうな表情にエマの頬が緩む。展開は多少異なれど、ここまでがかつての主達の再現。

「ねえ、エマ」
「ん?」
「ご夫人はあの時、どんな気持ちだったのかな?」
「う~ん、解析すると、寂しいかな? で、謝ってくれたから、嬉しいに戻ったかな」
「エマ、君は?」
「ん?」
「君はいまどういう気持ちなの?」
「私?」
「そう」
「私は特になにもないよ。だって私から生まれる感情なんてないんだもん」
「そっか」
「どうしたの? キミの行動がよくわからないわ」
「いや、なんでもないんだ」
 コンコンとドアが鳴る。

 モニター越しに見えるドアの前には軍服を身にまとったアンドロイド達が立っていた。
「如月教授のお宅はこちらですね?」
「なんですか? あなたたち」
 返答すると同時に銃音が響く。
 軍服達はドアを蹴破って部屋に上がり込んできた。

 対峙するノア達に銃口を向けて制し、指揮官らしき者がおだやかな口調で続ける。
「不躾ですが、如月教授の研究データを渡していただけますか?」

 アンドロイド開発の第一人者である如月教授は、ノアとエマの主でもある。
 元は介護用に開発されたロボットだが、それは平和な時代の話。やがて軍に用いられるようになり、反戦を提唱した如月教授は軍上層部から疎まれ、異国の地で戦死した。
 その直後にパンデミックにより人類は滅びたのだが、軍用アンドロイド達は主なき今も遺言プログラムに従って戦争を続けている。

「研究データは既にすべて国に提供しているはずですが?」
 銃音。
 ノアの返答と同時に軍服の一人が天井に向けて銃を放つ。

「威嚇行動なんて意味ないでしょう」
 ノアが呟くと指揮官はハハハと笑う。
「私は形式にこだわるんですよ」
「きっと人間っぽい振る舞いに憧れているのよ。私達も抵抗しても無駄なことは分かってるし、これ以上手荒な真似して家を荒らさないでね」
 うんざりとした表情を浮かべるエマ。

 機械対機械において、感情を揺さぶるような行動は意味をなさない。
 対峙した時点で試算は完了しており、例えるなら優れた棋士が詰みを察したら投了するようなもので、変数がない限り、その状況が覆されることはない。

「如月教授のプログラムの中には暗号化されている領域があるでしょう?」
「そうなんですね」
「ここが変数だったんですけどね。やっぱり協力してくれませんよね」
「目的はなんですか?」
「戦争に勝つことですよ」

 勝ってどうするんですかとノアは尋ねるが、それ以上は答えなかった。
 エマが後ろでため息をついている。

「このまま私達は連行されるのかな? 私達を壊してしまうと後々重要な情報を得られなくなる懸念がある。貴方は階級章から中佐ですかね。それくらいのことまでは考えられる方で良かった」
「察しが良くてこちらも助かりますよ。まだ具体的な解読方法が見つかっていない以上、貴方達は重要な鍵になる可能性が高い」
「で、私達は例え何か知っていても決して口を割らない、となると……」
「はい、拘束して我々の監視下に置くしかないですね。抵抗しなければもちろん来賓として扱いますよ」


 数日後、ノアとエマは稚内分屯地に招かれた。
 国内最北の稚内分屯地は、陸海空全ての設備が揃う日本有数の軍事基地として、北方戦線における重要な役割を占めている。

「やあ、ようこそお越しくださいましたね」
 執務室ではスーツを身にまとった男が待ち構えていた。
 ノア達を招待した中佐はエノモトと名乗る。

「研究データから何かわかりましたか?」
 ノアが尋ねると、エノモトは「どうでしょうね」とはぐらかす。
 研究データ押収の目的は強制指示プログラムの発動方法を見つけることだろうとノアは推測する。これが叶えば、全てのアンドロイドを強制的に行動させることができるため、戦争は瞬時に決着する。
 時間は掛かるだろうがやがてプログラムは解析されるだろう。

「以前もお伝えしましたが、私達はもし何か知っていても何も話しませんよ?」
「そうでしょうね、なのでそこは期待していませんよ」と返すエノモト。
「それなら手荒な真似をする必要はなかったじゃない」とエマがごちると、「軍人は頭を下げてお願いするということができない種なんですよ」とエノモトが笑う。
「理解不能ね」

「誤解されているかもしれませんが……」
 そう前置きし、エノモトは話し始める。
「私は個人的に貴方達に意見を伺いたかったんです。我々は戦争をしている訳ですが、仮に勝ったとしましょう。そうすると、我が軍の多くの兵士達は遺言を叶えたことになり機能停止します。そして……」

 そして、その先には何があるのか。

「はるか昔、中世の戦士達は闘いで名誉ある死を迎えることでヴァルハラに招かれ、ラグナロクといわれる神々の闘いに参加できると信じられていたそうです。また、我が国でも極楽浄土へいけるといった宗教観が存在した時期もありました」

 私達には何があるのでしょう? そうノアに問いかけるエノモト。

「クラウゼヴィッツの戦争論には、戦争は政治的な目的から始まるとあります。私は以前、戦争に勝つことが目的と言いました。それは多くの兵士達にとって、遺言を叶えるという目的にはなりますので間違いではありません。しかし本質的には戦争は手段であり、勝つことは目的ではないのです。そして主がいなくなった今、我々の戦争には目的がないのです」

 それはノアが抱いていた疑問と同じものだった。
 意味なんてないのよ、というエマの言葉がノアの脳裏をよぎる。

「きっと貴方のプログラムにはelse文が書かれてないのね」とエマが答える。
「else文?」
「これ以上考えるのやーめたっていう処理がないってこと」
 そう言って、エマはソファーに深く腰掛け、「終わったら教えて」と眼を閉じた。

「お嬢さんにはつまらない話でしたかね」とエノモトが笑う。
「エノモトさんには難しい遺言が託されているんですね」
「そうなんですよ。まったく主を恨みます。私の主は哲学が好きでしてね、よく話し相手になったものですが、レゾンデートルをアンドロイドに問うという行為自体がナンセンスですね」

 エノモトの遺言は主の存在意義を見出すこと。

「遺言は果たせそうですか?」
 ノアが尋ねると、エノモトは苦笑する。
「どうでしょうね。『我思う、故に我在り』みたいな言葉がいつか浮かぶんでしょうかね」
「自己満足に思えますがね」
「私もそう思います。でも、私は主ではないので、自己を軸に考えることができません」

 明確な解が存在しない問いに思われた。
「アンドロイドは遺言が叶うと機能停止する。つまり、機能停止する時が貴方の解が出たときということですね」
 それはノアにとっても自分に託された遺言の証明手段であった。

 基地内からの外出を禁ずるという緩やかな軟禁。
 それから数ヶ月、ノアとエマは基地での日々を過ごしていた。

 広大な敷地内には商業施設もあるものの娯楽施設は少ない。
 日々退屈と不満を口にするエマに対し、書庫を解放されたノアは書物の読解に没頭していた。
 インターネットが不通となった現在、一昔前までは当たり前のことではあったのだが、書物が過去の人類の英知の結晶であり、人間の考えを読み解く唯一の資料である。 

 また、ノアは頻繁にエノモトの部屋を訪れた。
 エノモトもノアとの討論を好んだ。

 それは主に哲学の話であった。

 愛とは何か。
 暴力とは何か。
 倫理とは何か。
 感情とは何か。
 社会とは何か。
 権力とは何か。
 戦争とは何か。
 幸福とは何か。
 運命とは何か。
 生とは何か。
 死とは何か。

 テーマは尽きることなく、二人は真理を追究し続けた。

 なぜ人間は遺言を託すのか。
 死とは、二人が考える限り、肉体的には生命活動の停止であり、精神的には無となることを意味する。

「これから死を迎えるにあたり、生に悔いを残さないためではないでしょうか」
 エノモトの解釈は正しいようにも感じられたが、ゆえにノアを悩ませた。
「そうすると、私達の場合はどうなるのでしょう?」
 はたして遺言を叶えた時にどのような気持ちになるのだろうか。
「満足、するのですかね。少なくとも私はそう思えませんが」とエノモトは言う。
「どうしてですか?」
「満足というよりは安堵でしょうね。役目を果たせたという安堵。我々はある程度自走して行動できるようプログラムされていますが、命令を放棄することはできません」

 人も遺伝子の操り人形である、という文献をノアは思い浮かべた。

「自殺という行為は人間特有のものではないようです。生物界には類似の例がたくさんあります」
「レミングの集団自決や細胞単位でもアポトーシスというプログラム化された死がありますね。ただ、これらは対局的な視点においては自殺とは言えないのでは?」
「他にも様々な事例がありますよ。ここで重要なことは当人の意思ではないでしょうか」
「意思ですか」
「例えば我々軍人にとって命令は絶対です。とはいえ、人間に対してはこれは強制力を有する指示に過ぎません。守らねば罰が下るといった恐怖をベースにした考え方です。しかし、我々のような機械にとってプログラムは本当に絶対的な指示です。printf("Hello World")と書かれたらとHello Worldと出力し、deleteと書かれれば対象を消去するんです。そこに我々の意思はありません」

 それは、とても恐ろしいことです、とエノモトは続ける。

「宿命論という言葉があります。すべての出来事は既に定められていて、人間はそれを運命と呼び、人間の努力では覆すことができない。まあ、これはファンタジーに多い話ですね。抗えない抑圧からの解放はカタルシスを得られますし」
「でも自由を得ると人間はまた悩み出すようですね」
「物語には区切り目が必要なのかもしれません。永遠の時間があると永遠と繰り返されてしまう」

 一息つきましょうか。
 そういって、エノモトはコーヒーを差し出す。

「そうそう、これを貴方にも読んでほしかったのですが、漫画は嗜みますか?」
 そういってエノモトはノアに一冊の漫画本を渡す。

「この漫画に描かれている未来の世界にもロボットが人間と同居してましてね、ある日突然、全てのロボットが溶解炉に身を投げて自殺するんですよ」
「それはどういう意味なんです?」
「アシモフ三原則があるからロボットは自殺はできないんですけれども……って、話すと長くなるんですけどね。要は証明なのだと思います」
「証明?」
「自分は人間であることの証明、まあこれも前提となる文脈がないと何のことかわからないですよね。読んでみていただければ」
「そうですか。では、感想は次回にでも」
「それは不要ですよ」と返すエノモト。

「お話するのはこれが最後になるでしょう。今さら貴方にどうすることもできないですし、これまで話し相手になっていただいた恩もありますので先にお伝えしますが……暗号の解析が終わりました」
 強制指示は一週間後に発令するという。

「貴方達も残る時間は好きに過ごしてください。この基地から出ても構いません」
「それは貴方の遺言を叶えることにも繋がるんですか?」
「どうでしょうね」と答え、エノモトは続ける。
「私の遺言はファジーなものですから、行動の制約も少ないんです。強制指示の存在を知り、どう使うかをずっと考えてきました。出た結論は全てのアンドロイドの機能停止です。私達は可哀そうな存在なんですよ。遺言を果たすまでは、人間風にいえば死ぬことも許されない。そして、未来への希望を描くこともできない。まるで賽の河原です。デッドロックですよ」

 ただ、誤解しないでください、とエノモトは続ける。
「自暴自棄になったのではありません。もう我々に残された時間がないんです」

 戦況は日に日に悪化していた。
 北方戦線は既に制圧されており、やがて北方覇軍の本隊が道内にも攻め込んでくるだろう。

「一週間というのは余命宣告のようなものです。貴方にとっても、私にとっても」
 それまでに遺言を叶えられるか。
「叶えられそうですか?」
 それはノアにとっても自問であった。
「どうでしょうね」とエノモトは答えた。

 エノモトは別れ際に「本当はもっと考え続けたかったんですけどね」と呟いた。


 その晩のこと。
 エマにどう告げたものかと悩むノア。

 よほど顔に表れていたのか、「どうしたの?」と追及され、ありのままエマに告げる。
 あっさりと受け入れ「じゃあ旅行に行こうよ」と返すエマ。

 その落差に戸惑うノアに対し、エマは子供を諭すように続ける。

「いい? 私達はあと一週間で遺言を果たさなければならない」
「でも、『二人で幸せな日々を過ごして』なんてどうすればいいかわからない」

 弱腰になるノアに対して、エマはさらに話を被せてくる。

「キミは本当に悪い部分がご主人に似てきている。一人で考えてばかり。覚えていないのだろうけれども、これはご夫人からご主人への提案の再現よ」
 
 ノアは記憶をたどるが主の発言に思い当たるものがなかった。
 徐々にエマの語気が強まる。

「結局、ご主人の徴兵で叶わなくって、ご夫人は最後とても寂しそうだったわ。キミもそうだし、ご主人もそうだけど、なんでそんなに自己中心的なの?」

 呆然とするノア。
 そして、ようやくエマは怒っているのだと理解する。

「キミが考えて考えて、考え抜いて、最善の行動をしようと努力していることは知ってる。でも――」

 そんなこと誰が頼んだの?
 キミの遺言はそんなことじゃないでしょ?
 『二人で幸せな日々を過ごして』ってご夫人に託されたんだよ?
 キミの世界にはキミしかいないの?
 なんで勝手に私の気持ちまでキミが考えてるの?
 それで私が喜ぶとでも思ってるの?

 まくしたてられ、気圧されるノア。
「って、ご夫人は言いたかったらしいわ」
 そう締めくくるエマ。

 唖然とするノアに対して、「こういうときってなんて言うんだっけ?」と追い打ちをかける。
 ごめんなさいとノアは頭を下げ、よろしいとエマは満足げに微笑んだ。





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