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人生の選択の中で「その選択肢をどうやって知ったのか?」仕事編

ネットで以下のような投稿を目にした。

あなたの今までの人生で「この選択肢を選んだことがその後の人生を良くした」と思う選択肢について「その選択肢をどうやって知ったのか?」を教えてください

「その選択肢をどうやって知ったのか?」という問いは私にとって、自分の人生を振り返るとても良いきっかけとなった。

この記事では私の仕事について、どうして選択したのか、どうやって知ったのかをつらつらと振り返ってみようと思う。

幼少期〜小学生

保育園の頃は、その年代らしくお花屋さんやケーキ屋さんに憧れた。

小学校高学年の頃、母が花屋に勤め始め、学校から帰ったあと、一緒に職場の花屋に行ったりしていた。
花が大好きな母でさえ「知らない花がたくさんあって名前を覚えるのが大変」「意外に重労働で大変」と言っていた。
そんな時ふと思った。「私はそんなに花が好きではないな」と。
嫌いではないけど、かといって好きというわけでもないということに気付いたのだ。そして、好きだと思う母でも大変なのに、好きではない私には務まらないなと思った。

それなら、将来はケーキ屋さんだろうか?
甘い物は好きだし。
いや、私はアトピー性皮膚炎で、手指などから皮膚片が脱落しやすかった。
なので、その症状が落ち着かない限り、食品関係の仕事をするのは難しい。
そう理解していたので、憧れるだけだった。

中学生

自営業だった両親。その背中を見て育った私は会社員になりたいと思った。
私にとって、好きなことをする代わりに表立つ仕事から裏方まで、何から何まで自分で(自分たちで)やらなければならない自営業と、やりたくない仕事はせずに定められた枠組みの中で自分の得意な仕事をするという会社員では圧倒的に会社員の方が魅力的だったからだ。

目立ちたくないし、人とあまり関わりたくないので、表立つ仕事(営業や販売などの接客)ではなく、裏方の仕事(事務や経理など)がしたいと思っていた。

中学の卒業文集に書いた将来の夢は「デパートの事務員」である。
これは経理などの裏方の仕事をしつつ、様々な商品が社員割引で買えるのでは?と考えた結果である。

ちなみに、未だに「自社で取り扱ってる商品を社員割引で買う」という夢は実現していない。いつか実現させたいものである。

高校1年生~2年生

私は商業高校に進学した。
事務に関わる簿記とコンピュータに関する事の両方が学べ、先生が就職のお世話もしてくれる。
なんて最高な学校なんだと思ったからだ。

簿記の方は適性があり、成績も良かった。
それよりもプログラミングなどのコンピュータ関連の科目の方が適性があり、成績も良かった授業内容も好みだった。

「何でも作っていいよ」と言われると何を作ればよいのか分からない。
だから、積み木などは苦手だった。
プログラミングも何もないところから何かを生みだしているのかと思っていたが、そうではなかった。何か"コンピュータにやらせたい"ということがあり、それを”コンピュータが分かるように翻訳していく”。それがプログラミングだった。
特に授業では課題があり、それに沿ってプログラムを作るので、無からは何も生み出せない私にとってはとても楽だったし、面白かった。

だからといって、SEやプログラマになるつもりはなかった。
2000年問題などもあり、残業や徹夜、連勤が当たり前の職場という印象が強くあり、体力のない私にはついていけないだろうと思っていたからだ。
なにより、事務や経理の仕事に就きたかった。

高校3年生(就職活動開始前)

そう思っていても、卒業後の進路を選択する時期となった時、少し迷った。

勉強が楽しかったので、まだもう少し学びたいなという欲が出てきたのだ。
ただ、あまり家が裕福ではなかったので「やっぱり交通費も出るし、お給料をもらえる就職の方がいいかな?」と思っていた。
そんな時、先生から紹介されたところがあった。
「お給料をもらえて勉強もできるところがあるよ?」という言葉と共に。
悪魔のささやきかと思ったのはここだけの秘密である。

紹介されたのは「税務大学校」である。
国税庁の職員として採用され、職員としての研修を行いながら勉強もするところだ。
これには揺れた。
が、「一度公務員になったら、その安定を捨て別の職業を得るという考えをしなくなるだろう。そうしたら、社員割引で商品を買う夢が潰えてしまう」と思い、やめた。
他にも「他人の税金を計算したくない」とか「(演劇が気ままに観に行けなくなるので東京から離れる)全国転勤は嫌だ」とか「ちんちくりんなのに女性幹部として税務署に赴任とかになったら自信ないな」とか、理由はあった。

次に「こんなのはどう?」と紹介されたのが「警視庁職員採用試験」だった。
警察官ではなく、警察署などで事務をする職員だ。当時、本部で働くプログラマを募集していた。
これにも揺れた。
私はミステリー小説が好きだし、刑事ドラマもよく観る。
警察官に憧れたこともあったけれど、身体要件も満たないし、体力的にも無理だと思っていたから、自分が警察という組織に入れるチャンスがあるとは思っていなかった。
自分の得意なスキルを活かせるし、プログラマといえど事務方の公務員ならそこまで無茶な勤務はないのかも?と思い、試験を受けてみることにした。

結果は玉砕。
思うように試験勉強ができなかったこともあるが、試験に受かることはできなかった。

高校3年生(就職活動開始後)

気持ちを切り替え、就職活動を始めた。
公務員試験を受けたり、その結果が出たのは秋だったので、夏の初めから就職活動をしていた同級生よりかなり出遅れていた。
当時、高卒の就職氷河期真っ最中で、求人倍率は1.2だった。
残り少ない求人の中から、受けられるのは1社だけ。
そう思い求人票を見るが、就職したい会社というのがよく分からなくなっていた。

そんな私を見かねてか「ここはどう?」と進路指導の先生が教えてくれた求人があった。都内の土木会社の事務だった。
ここなら「会社帰りに演劇を観に行くこともできそう!」そんな決め手で受けた。

ダメだった。
就職活動に対する自分の準備不足・力不足であったことは明白だった。
「あともう1社、受けられるところなんてないのかもしれない」
そう思うと余計に落ち込んだ。

そんな時、先生から「ここならあなたに合ってると思うから、受けてみない?」と言われた。

それは地域金融機関の社内SEの求人だった。
私は、窓口業務は絶対向いてないから金融機関には勤めたくないと思っていた。体力のない私にはSEは難しいだろうからSEになりたくないとも思っていた。

が、既に1社落ちている。後がない。どうする?

この会社の選考は終わっているはずだった。
先日、友達が落ちたと言っていた会社だったからだ。
「もう選考は終わってて、受けられないのでは?」と疑問に思っていたら、「受けるなら、聞いてみるよ!」と軽い調子で先生は言った。

今まで見てきてくれた先生が合ってそうだと言ってくれてる。
金融機関だけど窓口勤務じゃないし、SEだとしても金融機関ならそんな無茶な勤務もないかもしれない。
聞いて採用試験を受けられるかもしれないなら受けると言った方が良いのでは?
合わなければ数年後に転職すれば良いのだし。

そう考え、「受けます!」と私は答えた。
そうして先生は会社へ電話をし、翌日に面接試験とプログラマ適性試験を受けることとなった。

ここで一番困ったのは志望動機だった。
まさか「先生に受けてみない?」と言われたからとも書けず、頭を悩ませながら放課後の数時間で履歴書を書き上げなければならなかった。

試験を受けた結果は合格だった。
入社後しばらくして思ったのは「この会社、私に合ってるな」だった。
約17年勤めることとなる会社。
私の事をよく分かっていたのは、自分ではなく、進路指導の先生の方だったのかもしれない。

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